十四話 / 少女Aの憂鬱


 針のむしろとは、このことですか?
 廊下を歩くたび突き刺さる視線に自問する。諸悪の根源である伊藤紀子といえば、部活だとさっさと姿を消した。
 新学期が始まってからここ数日の間は動物園のパンダにでもなった気分である。クラスメイト、主に女子にはどういうことだととっちめられるし、クラスにわざわざ顔を見に来る生徒もいる――その度に、大した事ないじゃん。という言葉が舌打ちとともに聞こえてくるので気分が滅入る。
 それというのも、すべて紀子が書いた臨時新聞の所為だ。
 それを咎めれば、「校門に生徒はいたんだからどっちにしろ噂になってただろうし、広まるのが早くなっただけよ!」と逆に開き直られた。それでも少しは悪いと思っているらしく、回収できるだけの部数は回収してくれた。ジャーナリズム命! 言論の自由! を 掲げている紀子にしては信じられない譲歩である。いろんな意味で目立っている桂木に付いての記事だったので、殆どの生徒が眼を通したのだろう。素晴らしいアピール――紀子に逆らうなという――になったことは、否定できない
 廊下を通り過ぎる時、女生徒から向けられる嫉妬の視線から逃れるように私は足を速めた。ふとリノリウムの床に落ちていたプリントを嫌な予感をしながらも拾い上げてみれば、やはり噂の記事である。私はそれを暗い気持ちで読み直してみた。

《我らが桂木会長の登校時間が遅いというのは一部の先生方の間では有名な話であるが、新学期初日である今日も例外ではなかった。――が今朝はなんと肩に女生徒を担ぎ上げての登校で、その後に二年C組のクラス委員長でもある彼女と顔を近づけて親密な雰囲気だったというのだから驚きである。新学期早々、桂木会長に新たなロマンスの到来か?》

「……なにが、名前は伏せといた、だ。あの外道」
 確かに”名前”はでてはいないが、これだけ特定されていればバレバレである。
 新聞部部長への呪詛を吐き捨ててから私は新聞をぐしゃぐしゃに丸めて、廊下に置いてあったゴミ箱に向かって投げた。それは見事に外れて、緑色のリノリウムの上に転がった。それに余計にむかついて、私は足音も荒く階段を昇った。
 今日は新学期はじまって初めての生徒議会がある。この時ほど自分がクラス委員長であったのを後悔した時はない。この階段を上りきれば、議会をおこなう教室がある廊下に出てしまう。サボろうかとも一瞬思ったが、クラス委員長の相方、同じように委員長職を押し付けられた大鳥君に迷惑をかけるのは忍びなかった。
 鉄のように重く感じるスライド式のドアを開けると磁石に吸い付く砂鉄みたいに私に視線が集まった。それをまるべく見ないように俯いて、お馴染みの席に座る。座る直前に見えた視線の一つに、峰藤のが混じっているような気もしたが、気のせいだと決め付けた。
「顔色悪いけど大丈夫?」
 隣から聞こえてくる労わりの声に私が力なく頷いた時、噂の中心のもう一人桂木拓巳が颯爽と登場した。
 その見事なバランスを保つ体躯に着崩した制服を纏っている。まるで軍隊のようにきっちりとした制服を着ている峰藤とは対照的だ。晴れやかなその表情からは、予想はしていたがあの記事なんてへとも思ってない様子が伺える。桂木と私の間を遠慮がちな視線が移動するのにも気付いていないのか、桂木は張りのある声で叫んだ。
「ヤッターマンの為に、さっさと会議終らせる! ――藤、頼んだ」
 ――今日も、寝る気まんまんらしい。
 どっかりと椅子に座り込み、三秒後には寝息を立て始める――あんたはどこぞの、のびのびたか。それに峰藤は軽くため息を吐くと、桂木の存在は無視して、それでは会議を始めます。と口上を切った。

 今日のテーマは、体育祭についてだった。
 迫り来る体育祭は、この後に来る南高祭――文化祭と並んでの二大行事である。峰藤が黒板の上に綺麗な字で一通りの競技を書き並べていくのを写しとっていく。応援団員の選出と、各競技の人数の振り分け、いくつかの諸注意などを述べた後、議会は比較的短い時間で終了した。

「おい2C」
 急いで教室から出ようとしたら、窓際でグラウンドを眺めていた桂木はまるで頭の後ろに目がついているように私を呼び止めた。好奇の視線を向ける他の委員も、峰藤の「解散だって言っただろうが」というような圧力のこもった一瞥を受けると慌てて出て行く。桂木はそんな雰囲気にも頓着せず、くるり、と振り返るとそれが何故か機嫌良さそうに私に喫茶店に来ないかと誘った。――というか、半分以上命令である。
「遊びに来ないか? 来るだろう? むしろ来い」
 その勢いに頷きそうになり、私はぎりぎりで思いとどまる。
「……遠慮しときます」
「何に遠慮してるんだ?」
 断られる事をまるっきり考慮に入れてなかったのか、桂木の声色が不機嫌になった。峰藤は我関せず、と今日の議会の記録を書き出している。そのシャープペンシルの奏でるBGMをバックに、私は何となく噂を掘り返す事を躊躇した。
「……これ以上変な噂がたったら嫌だな、と思いまして」
「噂?」
「ほら臨時校内新聞の」
 桂木は少し考えた後思い当たったように桂木は手を叩いた。言われるまで気付かないのは、本当になんとも思ってなかったのだろう。その図太さがなんだか羨ましくなると同時に、自分だけが被害をこうむっていると思うと腹立たしい。
「今はあること無い事言われてますし、関わらないのがお互いのためだと思いますけど」
 ――本当は、半永久的に、関わりたくないんだけどなぁ。と心中で付け足してみたり。

「断る」
「即答ですかい」
 桂木はきっぱりすっぱり私の意見をはねつけて偉そうな声で胸を張る。しかしちょっとイライラしてきたらしく、運動靴のつま先がリノリウムをノックしている。
「そんな理由で俺の誘いを断るのか? そんな下らない事に悩むなんて無駄だ! 馬鹿の考え休むに似たり、だ!」
「それは会長だから言えることであって、私みたいな凡人には周りを気にしないのは難しいんですけど」
 凡人代表、私の意見は彼を納得させられなかったらしく、桂木は首を捻りながらあっさりと言う。
「お前は結城が好きなんだろう。そうなら周りが何と言おうと関係ない、ただ胸を張ってればいいだけだ――」

そして指をビシ、とこちらに向けて高らかに笑った。

「それに何と言っても2Cで遊ぶのは面白い。よって逃げても無駄だ、観念しろ!」

 ”私と”ではなく”私で”と言い切るところが桂木らしい。そのエゴイズムの塊みたいな思い切りのいい台詞に脱力しながらも、周りの目を気にしていた自分が馬鹿らしくなった。そう思えば、百歩譲って桂木の言葉に励まされた、とも言えなくもない。――確実に無意識だろうけど。
「会長って、ほんっとに会長らしいっていうか……凄いですね」
 本当に少し感心していたが、それは呆れたような声色に聞こえていたらしい。桂木は「むかつく奴だ!」と頭を力任せにぐりぐりかき回した。
 峰藤は書き込むのが終ったらしく、ノートを閉じて立ち上がり、いつの間にか頬の抓りあいに発展していた私と桂木に視線を移して、馬鹿にするように鼻で笑った。
「これがロマンスの到来ですか……目が腐ってるとしか思えませんね」
 まさしくその通りだったけれど、態度と表情になんとなく腹が立って峰藤を睨みつければ、低温度で峰藤は睨み返してくる。残念ながら頬が伸びたままの顔では迫力不十分どころか、むしろ間抜けに見えたらしい、峰藤は気をそがれた様にため息を一つ付くと、鞄を掴んだ。
「結局、貴方はいらっしゃらないんですか? そうなら結城さんも寂しがると思いますが」
 私は疑いの眼で峰藤を見る。彼の眼鏡に蛍光灯の光が反射してその顔色は読めない。
「……どうしたんですか副会長。病気ですか?」
 気味悪そうに言った私の失言に、峰藤は不吉な笑みを満面に浮かべて、私を思う存分震え上がらせた。
「藤に冗談言えるなら、堂々とするのぐらい簡単だろうが」
面白そうに言った桂木の声に激しく納得した後、「ごめんなさい、もう一生言いません」と私は負け犬の如く頭を下げた。


 結局、お邪魔する事に決めた私は、喫茶店のドアが軽やかな音を立ててなるのを聞きながら、峰藤の後に続いて中に入った。
「いらっしゃい、よく来たね」
 柔らかい笑みを浮かべた結城さんが、変わらずに私を迎えてくれた。その顔を見ただけで沈殿した負の感情が溶けていく。やはり私の元気の元だ。
 カウンターに腰掛けた私の前には、空色マグに注がれた冷たいレモンティーが置かれていた。その心遣いが嬉しくて、私はお礼を言いながらそれに口をつけた。――隣でお揃いのマグでアイスティーを飲んでいる峰藤は見てみぬふりだ。桂木といえば、帰りに買ったコーラーのペットボトルを勢いよく喉の奥に流し込んでいる。見ているだけで喉が痛くなりそうだ。
 ふと覗き込むような結城さんの視線を感じて、どぎまぎしながらも、顔を上げると悪戯っぽく輝く瞳にぶつかった。それが好奇心でむずむずしているのが解る。

「拓巳のロマンスの相手って、君でしょ?」

 私は、アイスティーを噴出した。

「知らなかったなぁ、拓巳と君なんて」
「あ、あの、違うんです。誤解なんです、それ」
 面白そうに話を膨らませようとする結城さんに、しどろもどろで説明していると、視界の隅にあさっての方向を向いている峰藤が見えた。――唇の端を歪めているのは見間違いなんかじゃない。

 少女Aの憂鬱を無くすためには、まず、
 この誤解を解く事から始めなければならないようである。



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