十五話 / 謎美人の微笑み


 授業後のホームルームというのは誰にとっても面倒臭いものである。だるそうな空気の漂う教室を一通り見回してから私は、静かにしてくださいと注意を集めた。
「体育祭の競技を決めるので、希望者は手を上げて」
 大鳥君が黒板に競技を書き綴っていく間に、諸注意などを読み上げる。すると、再び教室は騒がしくなった。友達同士で話し合っている所も在る。体育部に所属するクラスメイトは、棒倒し、騎馬戦と体を使う競技に嬉々として立候補した。枯れた現代っ子である南校生もこの時だけは羽目を外し、優勝をかけて戦うのだ。
 クラス対抗リレーの順番がようやく決まり、何とか収まりが付いたので、私はホームルームの終わりを告げた。普通、全員参加の競技以外は二つか三つの競技を掛け持ちしなければならないのだが、紀子は運動会の間も校内新聞の為に写真部と合同で取材をするらしく、一つ競技を免除されていた。
 大鳥君が総てを書き写すのを確認してから、私は黒板を消し始めた。ふわふわと飛んでくるチョークの粉に顔をしかめながら、黒板消しは白い文字を消し取っていく。
 大鳥君にねぎらいと別れの言葉をかけてから、私は鞄を引っ掛けて教室を出る。リノリウムの廊下を歩きながら、私は疲れている自分を意識し、ふと喫茶店に行こうかな。と思った。


「体育祭ねぇ、もうそんな時期なんだ。はい、お疲れ様」
 相変わらず、にこにこと穏やかな笑顔を浮かべながら結城さんはデザートの皿を目の前に置いた。今日のケーキはレアチーズケーキだ。絹みたいな色をした柔らかいクリームチーズが薄い生地の上にたっぷりと乗せてあって、口に入れた瞬間、とろりと解けるような食感に思わず顔が緩む。かすかに酸味が効いているがほどよい甘さだ。結城さんの入れてくれた紅茶とよく合う。
 そんな私の表情に結城さんは、満足そうに胸を張った。その仕草は三十台とは思えないぐらい若い。
「すっごく美味しいです!」
「それ自信作なんだ、気に入ってくれて嬉しいよ」
 結城さんは、もう一切れどう? とおかわりを進めてくれたが、私は頷きそうになってから思いとどまる。最近はここに来るたびケーキを薦められて、その笑顔に騙されてついつい食べてしまっている。――近頃、なんとなぁく、スカートのウエストがきつくなった様な気がするのだ。
「いえ、もう、お腹一杯なので」
 もう一切れぐらい食べたい所を耐えて、私は泣く泣く辞退した。好きな人の作ったケーキで太るのって、なんか嬉しいような悲しいような気分である。
そう? と結城さんに残念そうな顔で言われたら、罪悪感が痛む。――本当にいろんな意味で罪作りな人だ。
「で、君は何の競技にでるの?」
「クラス対抗リレーは全員参加で。あとはパン食い競争と、スウェーデンリレーです」
「へぇ、足速いんだねぇ」
 感心したような声を上げた結城さんに、私は少し暗い声で答えた。
「――押し付けられたんです」

 女子参加の短縄引きやイロモノ競技・仮装借り物競争を除外すると、消去法でパン食い競争が余った。スウェーデンリレーは四人が参加し、だんだんと距離が長くなる競技だが、四人のうち一人は女子でなければならなくて、紀子が無責任に私を推薦してあっという間に決まってしまった――委員長を決めた時もこのパターンだった。足は早いほうだけれど、このリレーは最後のとりを飾る競技なので配点も大きい。責任重大だから、かなり憂鬱だ。
 そういえば、去年の体育祭では桂木がスウェーデンリレーに出ていた。その時は桂木も二年だったからアンカーではなかったが、見事な俊足振りを披露してくれたのは記憶に新しい。今年は三年だから、確実にまた出てくるだろう。――桂木と同じ競技か、とちょっと嫌な予感がしなかったり。私の心を読んだように、タイミング良く結城さんがそういえば、と口を開いた。
「拓巳もスウェーデン出るみたいだね。あとは……棒倒しと仮装借り物競争って言ってたよ」
 他の競技が被っていなかった事にほっとした。それにしても流石桂木はやはり眼一杯競技に参加するつもりらしい。普通、生徒会役員は記録、受付、接待などの本部で当日の仕事があるから、新聞部の紀子と同じように競技を一つ免除されるはずなのに、あのお祭り好きには関係ないらしい。
「浩輝君は、騎馬戦だって」
 私が聞きもしないうちに、結城さんは丁寧にも教えてくれた。
 ――副会長が、騎馬戦?
 あの見るからに不健康そうな峰藤が男同士のぶつかり合い! である騎馬戦に出る事が驚きだった。私の訝しげな表情に、結城さんはくすくすと笑う。
「ああ見えて、浩輝君強いよ?」
「あ、はぁ」
 ――性格、最恐ってことは嫌というほど知ってるのですが。
 息子の友人をそう、真正面から貶す事はできずに、私は曖昧に頷いた。結城さんはうきうきと何故か嬉しそうに腕まくりをした。
「当日、僕も見に行くからね! がんばって」
「え! 結城さん、来るんですか?」
「当たり前じゃない。君たちの雄姿を期待してるから。……差し入れもって!」
 かっこ可愛すぎる。
 外人みたいななれた動作でウインクをした結城さんに私は心の中だけでたっぷりと数秒間は悶えた後で堅く決心した。
 ――絶対に、みっともない所を見せてたまるか!!
 げに恐ろしきは恋心である。


 喫茶店を後にして、私は家路に着く前に、コンビニに寄った。普段は寄るはずのない所だったが、なかなか品揃えはいい。新作のポッキーをかごに入れて、あとは数あるお茶の中から、最近贔屓の緑茶を選ぶ。最後にレジの近くにあったガムを放り込んだ。
 お釣りを受け取ってから、有難うございました。の声を背に受けて、自動ドアをくぐると、カップルが止っていた車の中でいちゃついているのが目に入った。
 ――うわ、こんなところで。
 反射的に眼を背けながら私は通り過ぎる。
 聞こえてきた車のドアが閉まる音に、つい立ち止まり振り向く。いちゃついていたカップルの女の人、その人につい私は眼を奪われた。
 ぼんきゅぼん。の形容詞が当てはまるような素晴らしいスタイルで、黒いミニスカートから伸びる足はしなやかだが艶かしい。華やかで洋風の顔立ちをした美人だった。
 その人は私の視線を受けると、少し驚いたような顔をしたが、ふ、と表情を緩めると、背を向けてコンビニに入っていった。
 知らない美人に微笑まれた私は、なんとなく不可解な気分でコンビニを後にした。



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