十七話 / 飛ぶのは彼か、それとも縄か


 本日は晴天なり。
 お決まりの文句を言ってみたくなるほどの晴れ模様。そんな中、我が南第一高等学校体育祭が始まろうとしていた。短期間で作ったとは思えないぐらい見事な各軍ごとのマスコットパネルが校庭の四隅に中心を向く形で立てられ、生徒はその前にクラスから運んだ椅子を並べて観戦するスタイルとなっている。我が東軍の今年のマスコットは百獣の王ライオンで、それが飛び出してくるような躍動感で描かれていて圧巻だ。獅子奮迅! がテーマらしい。
 西軍は鷲、北軍は鳳凰だった。そして、南軍のそれは龍で――爪の中に、なんだか見覚えのあるような玉が。
 ――えっとあれ、星四つだからすーしんちゅう?
 気のせいだった。ということにしておいた。
 各クラスごとで作られたTシャツに鉢巻を身につける。東軍である私は白いそれをネクタイのように首に結んでいた。入場門に集合せよとのアナウンスに従って、わらわらと生徒達が集まり始める。紀子といえば、カメラを持って既に激写、激写! と飛び回っていたから、私は彼女に手を振ってから前を向いた。行進が始まった。
 行進は吹奏楽部の演奏する星条旗の音楽に合わせて進む。それが軍隊の行進のように整うはずも無く、あくまでも適当に列を作ってぞろぞろと。開会式もどっちかというと緊張感が無く、いい感じに歳をとった校長のお決まりの話が終われば、各団長の選手宣誓が行われる。流石に選ばれただけあって声量とはりがある声が青い空へと溶ける。
「宣誓! われわれ選手一同は―――」

南第一高等学校体育祭は、こうして始まった。

「ちょっと短縄引き、もう招集始まってるんだけど!」
 そうヒステリックに叫ばれた声に、やばい! と焦って立ち上がるもの数名。それに招集係の彼女は眉を吊り上げて催促した。バタバタと走り去っていく彼女たちの後姿を見送ってから、私は空いた一番前の特等席へと座った。何かの委員会に所属している生徒は何かしら係が在る。保健委員は救護だったり体育委員は招集だったり。かくいうわたしも午後からの用具係を受け持っているから、人事ではないのだろう。だから今は、束の間の高みの見物と決め込む。手には白い団扇、涼むのと応援するのと一石二鳥だからと、四色の団扇がそこらじゅうで振られている。
 今から始まる競技は男女混合障害物リレー。網をくぐったり、袋を履いて飛び跳ねたり、小麦粉の中から飴を探し出したりする、心技体を必要とする――というと大げさであるが――競技である。
 実況を担当するのは、南校のお昼のコーナーを受け持つ放送部の佐伯兄弟――ちなみに兄弟と言ってもこの人ら、ただ単に名字が一緒なだけで血のつながりは無い。
《さーてこれから始まりますのは、男女混合障害物リレー! 様々な困難を乗り越え、たすきを次の走者へと見事渡す事はできるのか!!》
《出来んかったらまずいだろ。では、選手の入場です》
 ――聞えてきた選曲は「ウサギと亀」
 もっしもっしかめよかめさんよ。の子供の声が微妙に脱力を誘う。あってるけど間違ってる。
 さすが放送部のお笑い担当。と半分呆れ半分感心しながらも私は白い団扇で仰いだ。


《北軍が大幅リード! ……おおっと、東軍の選手、小麦粉で眼鏡が曇って見えない模様です! これはピンチ! その間に、抜かされちゃいましたーーー! 伊藤先輩! 眼鏡落としてる暇じゃないっすよーー!! 左ですって! 左!!》
《昔懐かしの「めがねめがね」をこの場でやるとは、伊藤先輩、流石っす。グッジョブ》
 どうやら小麦で眼が見えなくなった挙句、つまづいて眼鏡を落っことしたのは私の親友紀子さんだったらしい。幸か不幸か放送部と縁のあった彼女は、その上名指しで応援(?)されている。――うわぁ。
 何とか眼鏡を見つけ出し次の走者につないでみたものの、その差は埋めようが無く、結果四位。前の棒倒しとの合計点で北と南軍が65点でトップ、それに25点差をつけられて東軍ただいま最下位。それに「くそう」と呟いたりしながらも出場者には惜しみない拍手を送る。眼鏡を白くしたまま退場していった紀子と眼が合って、反射的に噴出しそうになって私は団扇で顔を隠した。――笑ったなんて知れたら後が怖い。

「だーれだ」
 ひんやりとした手が唐突に視界を妨げてギャッ! っと声が漏れた。
 この声、この振る舞い。間違えようも無い。
「―――結城さん、驚かせないで下さいよ」
 今時小学生でもやりやしない悪戯の犯人は勿論結城さんだった。何時もの通りに甘いマスクに笑みを浮かべている。やはり体育祭だからか、ざっくりしたブラックジーンズに淡いブルーのカラーシャツ、頭にはキャップを被って何時もよりカジュアルだ。帽子からはみ出たチョコレート色の髪の毛をなでつけながら、結城さんは私の隣の椅子へ腰をおろした。
「どう調子は?」
「ご覧の通り最下位なんです。今の競技、友達が出てたんですけど、駄目だったみたいですし。最初の棒倒しは……会長凄かったですね」
「そうだねぇ。よく――飛んでたね」
「……飛んでましたね」
 その光景を思い出したのか、結城さんはけらけら笑っている。一方私の笑顔といえば見事に引きつっていた。
 一番最初の競技、まさに桂木は飛んでいたのだった。


 ――棒倒し、それは男の競技である。
 と定義付けたのはある哲学者……な訳が無いが、それは危険な競技であるのは明白である。今回の体育祭の最初を飾る競技であり、それが後々の士気にも関わってくるから、掴みは重要だ。棒倒しは、攻めと守りに分けられ、守るグループは先端に旗が刺さった棒を立てて敵に倒されないように守り、攻めるグループは校庭を半周してから相手の棒を倒すために襲い掛かる。先に相手の棒を倒して旗をとったほうが勝ち。その三本勝負。単純なように思えて、攻めと守りの配分や、どうやって旗をとるのかなどと、戦略を駆使し男の面子を掛けた、まさにがちんこ勝負である。
 それに颯爽と登場したのが桂木拓巳。その性格から言って勿論攻めるグループに入っていた。
 乾いたピストルの音とともに、初戦は東軍対南軍、両者とも棒に向かって走り出した。攻めのグループからも抜きん出ていた桂木は棒にいち早くたどり着いた。しかし、敵も誰が主力なんて百も承知だったから、桂木に対する執拗な守りは凄かった。
 十数人がかりでがっちりガード。まるで地獄の魍魎にとりつかれたみたいである。桂木がちぎっては投げ、ちぎっては投げてみても、どんどん新しい守りが取り付いてくる。
 その間に、南軍の旗は取られてしまった。
 それに味を占めた東軍が二回戦も同じ手を使おうとしたのは当然だった。がしかし、桂木はまた張り付いてこようと腰を落とした生徒の前で―――飛んだ。
 げし。
 見事に、肩、腰、顔面さえも足蹴にして人の壁の上に駆け上がる。脚力とバランス感覚が優れていないと出来ない技だ。引き摺り下ろそうとする手を容赦なく蹴っ飛ばして、桂木は見事に棒を倒し、旗をもぎ取った。そして人を踏みつけたまま偉そうに胸を張る。――その直後、東山先生に引き摺られながら怒られていたが。

「そんなので俺を止めようとは笑止千万! 甘すぎるな! この勝負俺が貰った!」
と、まぁ、こんな流れで棒倒しでは南軍が一位を力技でもぎ取り、それに続き東軍が二位だった。


「本当に、やる事なすこと派手って言うか……」
「まぁね。でも見てる分には楽しいけどね」
 見もふたもない台詞を吐いて結城さんは笑った。グラウンドには女子の死闘、短縄引きがちゃくちゃくと準備されている。それを横目に見ながらも、視界の端に周りの女生徒がこっそり目配せしているのが見えた。やはり結城さんは目立つのだ。私はちらりと結城さんに視線を移す。その視線に気付き、結城さんはも一つ笑顔をお見舞いしてくれた。
「やっぱり、女子高生のショートパンツっていいよねぇ」
 結城さんが言うと幾らセクシャルハラスメントな台詞も「風が気持ちいいですね」に匹敵する爽やかな台詞に聞えてしまうのがザ・ミステリー。私は心の中で突っ込みを入れておいてから、立ち上がった。次の全校参加縄跳びの招集が来ていた。
「あ、じゃあちょっくら縄飛んできますね」
 私の微妙な言い回しに、結城さんは少し苦笑してほんわか「いってらっしゃい」と言ってくれた。
 そして、あ、ちょっとまって、と思い出したように彼はリュックサックから魔法瓶を取り出した。

「これアイスティー作ってきたから飲んでね。――君ために作ったんだから、がんばって」

 そういうさり気無い優しさとか、罪作りな笑顔とか。何よりも――臭い台詞を素面でいえるのが凄いよなぁ。なんて変な所に感心してみたり。諦めようと思ってもやっぱり未練たらしく繋ぎとめてしまうのも、そんな所にばっちりやられてるのだからしょうがない。

 私もお礼と満面の笑顔を残して、飛ぶような心で縄跳びに挑んだけれど。
 私一人の飛ぶような心も、団体競技縄跳びには大して通用せず、結局は東軍は三位で十五点貰う結果になった。
 只今の結果、東軍105、西軍90、南軍85、北軍120。



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