十八話 / ポロリはポロリでも


 パン、と乾いたピストルの音と共に、張られていた白の紙テープを切ったのは2Cのアンカーだった。
 誰かの弾けるような声を皮切りに、あちらこちらで歓声が上がる。私といえば、紀子と一緒に飛び上がり、その後、らしくない振る舞いに、お互い顔を見合わせて少し笑った。
 クラス対抗リレーは、東軍が大差で勝利を収めた。
 私が次のバッターにバトンを渡した後、陸上部の田代君は「女にしておくには勿体無いぐらいの、逞しい走りっぷりだった!」とあまり嬉しくない賛辞をくれたが、それには漏れなく「スウェーデンリレー、期待しているからな」というプレッシャーも付いてきた。
 きーん、とマイクが共鳴したような音が響き、ハイテンションで弾むような声が聞えてくる。
《只今の競技はクラス対抗リレーでしたーー! 流石東軍、強いですねー。じわりじわりときています。俺のボディーブローは……というヤツですね》
《突っ込みにくいボケを投下するな。現時点で東軍、170点でトップ。それを北が十点差で追ってます》
《その次は西軍、155点、そして最下位が125点の南軍となってまーす!! トップとの差は45点、まだまだ勝負は解りませんねー。さて次は午前の部、最後で最高のイロモノ競技、仮装借り物競争です! も・ち・ろ・んポロリもあります!》
《――期待していいんだろうな?》
 放送部コンビの絶妙な漫才中継が行われているうちに準備が整ったらしく、入場門からは借り物競争に出場する選手達が列を作って入ってくる。それを眺めながらも、私は火照った頬に結城さんの差し入れてくれた魔法瓶をひたりと当てた。少し汗をかいていた肌に鉄の無機質な冷たさが気持ちいい。先ほどまで隣に座っていたはずの紀子はもう既に黒光りするカメラをもって、次の仮装借り物競争を撮影するベストポジションをキープしている。流石。
 ピストルの音が競技の始まりを告げた時、ふと無意識に私は、結城さんの姿を探していた。
 ――居た。
 茶色のふわふわな髪の毛は、私にYシャツの背中を向けていたけれど、まだ東軍の席に座っていた。どうやら誰かと話し込んでいるらしく、時々、楽しそうに肩を揺らしている。――誰となんて聞かなくても解ってしまった自分が嫌だ。
 時折見え隠れする、白い体操服の上のほうに視線をずらしてみれば、彼のトレードマーク――と、私が勝手に認識している――銀フレームの眼鏡が飛び込んでくる。相変わらずの無表情で、この刺すような日差しの中汗一つも書いてないような様子だが、結城さんと話している所為か、ほんの少しだけ雰囲気が柔らかい……様な気がする。額につけた東軍の印である白の鉢巻が似合わなさ過ぎて、私は突発的に襲われた痙攣のような笑いを誤魔化すために咳き込んだ。笑いをかみ殺しながら団扇で顔を隠していた私が、またこっそり眼を向けると、視線がかち合い、峰藤に感づかれた。――どんだけ敏感なんだ。逸らそうと思ったときには既に遅く、峰藤は私の表情に、不機嫌そうにすっと眼を細めると、顎を軽くしゃくった。――こちらに来いという事らしい。
 その高圧的な態度に、むっとした私は、思いっきり舌を出してそれを拒否した。それを見た峰藤の柳眉が眉間に寄った。その不吉な表情に私が慌てて顔を背けようとすると、視界の端で峰藤は結城さんに一言二言口を開いた。多分、私の存在を教えたのだろう。結城さんはくるりと振り向いて私の姿を眼に入れると、にっこりと笑って手を振った。それは夢と魔法の国の某ネズミと同等の誘惑を発揮するらしく、私も反射的に手を振り替えしていた。すると結城さんは、手首の角度を変えて、二度ほど手を振る。あれはどこから見ても。
 おいでおいで。
 ……あなたの笑顔に完敗です。
 何故か言いようの無い敗北感を感じながらも、私は立ち上がると二人の所へと向かう。結局、峰藤の言いなりなったみたいなのが癪で、私は視線を逸らしながらも峰藤に「どうも」とおざなりに挨拶をした。結城さんは私が席に着くと同時に興奮気味に声を弾ませた。
「リレー凄かったね。かっこよかったよ!」
「いえ、それほどでもないです」
 ダイレクトに褒められて、冷えた頬の体温が再びかっかと上昇する。口では謙虚さを装いながらも、心の中では「体育祭有難う! 太陽よ有難う! 嗚呼、頑張ってよかった!」と感謝祭が始まってしまう始末だ。にやけてしまいそうな唇を噛みながら顔を上げた時、こちらをじっと見ていたらしい峰藤と視線が合う。嫌味の一つは飛んでくるんじゃないか。と咄嗟に身構えた私に、峰藤は寄せていた眉をふっと緩めた。

「お疲れ様です」

 その一言に、肩透かしを食らうどころか、労われるなんて気持ち悪い! と、私はつい峰藤の真意を測ろうと彼をまじまじと見つめたが、その表情からは何も読み取れない。私が食い入るように見ていると、みるみる峰藤の表情は不愉快そうに歪んだ。
 何故かその表情にほっとする。不機嫌そうな表情のほうが安心できるなんて変だけれど、いつもと違う態度をとられると混乱するのだ。
「――不躾に見る事が無礼だと、言わなければ解らないんですか?」
「あ、すいません。……まさか、労われるとは思わなかったんで」
「同軍の生徒が点に貢献したら、普通、労うでしょう」
「いや、普通はそうですが」
「――ほう、それでは私は普通ではないと」
 薮蛇だ。
 咄嗟にやばい! と低下する温度を悟った私は、それを誤魔化すように「あ、今、東軍ピンチみたいですよ!!」と力技で競技に話題を移した。
 仮装借り物競争はその名の通り、走る道の途中に紙切れが撒いてあって、それに”どの仮装”で”どの借り物”を”どの運び方”で持ってくるのか。の三種類が指定されている。そこで紙を拾ったら、その先に置いてある箱の中から衣装を探し当て、運動服の上から身に着けてから物や人を借りてくるのである。さっきからあちこちで笑いを帯びた悲鳴が聞えていたとは思っていたけれど、流石イロモノ競技。校庭の中を、様々な仮装をした生徒が、借り物や人を探して右往左往している。覆面レスラーが、大玉を転がしながら走り回っていたり、いかつい体をした白衣の天使が教頭先生を借り出したらしい。背中に背負いながら、ゴールに向かってダッシュしている。 紀子に切られているフラッシュの量が半端じゃないのは気のせいではないだろう。
 ――うわぁ、地獄絵図。
 ほんとに出なくて良かった。と、私は改めて胸をなでおろした。しかし見ているだけなら結構楽しいものだから、私は完璧に傍観者に徹する事にした。校長や教頭なら兎も角、私個人が「借り人」にされるはずも無いだろうと高をくくっていた。
「拓巳はこれ参加しているんだよね? まだかな」
「列に居るみたいですけど、あれは――腹抱えて笑ってますね」
 私が大してよくも無い眼を細めながら解説すると、拓巳らしいね。と結城さんは笑った。噂の桂木といえば、この競技を大いに楽しんでいるようで、きょろきょろと興味深げにあたりを見回しては、面白い仮装に眼を輝かしている。自分の番が回ってくるのが待ち遠しいのか、うずうずしているのが遠目から見ていても解る。彼の番はもうすこしだ――。
「委員長!」
 自分が呼ばれていると一瞬わからずに、無反応だったら、今度は名前を呼ばれ私は飛び上がった。それはクラスメイトの多田さんで、それは誰かの趣味が多大に現れたであろう可愛らしいメイドルックだが、焦りすぎていて舌がまわっていない。
「靴っ、貸して靴!」
「はぁ?」
「『自分のクラスの女子委員長の靴!』」
 多田さんの勢いに押されて、私は慌しく右の靴を脱ぐと、ぽいと投げた。それをキャッチすると、彼女は「有難うっ!」と踵を返して凄い勢いで駆けていった。その後姿を呆然と見送りながらも、左足の靴紐が緩んでいるのが目に入ったから、私はしゃがみこんで結び始めた。

「おい藤!」

 今度は桂木の声だった。下を向いていたから、近づいてきた事に気付かなかった。桂木は何故かくぐもった声をしている。多分、峰藤に話しかけたということは、峰藤に関連した借り物なんだろう、それとも峰藤が借り人なんだろうか。ふと、そう思い顔を上げようとしたら、まず足元に灰色のものが見えた。桂木が纏っているのは、どうやら全身着ぐるみのようだ。
 下から、灰色の足に青色の半ズボン。それから徐々に上に視線を滑らせていくとボーダーのシャツに出っ歯が目に入ってくる。特徴的な鼻に、つぶらな瞳。ピンク色の帽子から飛び出たチャーミングなお耳。間違いない! 「マザーと一緒」のおなじみの三人組、ライオン丸と太ったペンギン娘と、もう一人。

《見事、ポロリを引き当てたのは、桂木会長でーす! 流石!! 要所は外してきませんねぇ! 会長!》
《確かにポロリはあった。けど――》

 ――そっちのポロリかよ!!

皆の心が一体になった瞬間だった。

「桂木、借り物ですか?」
 妙にスタイルのいい長身のポロリを目の前にしても、流石全校一のクールと他称されている峰藤、眉の一つも動かしていない。そんな峰藤に思わず感服しながらも、私は笑いすぎて痛くなったお腹を抱えながらも、桂木の借り物に興味をそそられていた。桂木は不本意そうに――といっても被り物でよくは解らなかったが――峰藤を指差しながら宣言した。
「『借り人、副会長。運びかた、手を繋ぐ』だ、神妙に縄に付け!」
「お断りします」
 峰藤は0.3秒で即答した。
 幾ら体育祭が無礼講だといえ、一体何の罰ゲームですか? と、書いた人を小一時間問い詰めたい。
「――不快な思いをしてまで他の軍に協力する義理はありません」
「俺も藤と手を繋ぐぐらいなら、砂かけばばあとランデブーだ!」
 にらみ合いに突入した二人に、ゴールの所に居る係の人も困ったようにこちらをちらちらと見つめている。このグループは桂木が最後らしい。このままほっといたら終わりそうにも無かったから、私はおそるおそる真ん中に入って、妥協案をあげる。
「あの、取り合えず手は繋ぐのは置いといて、行ったほうがいいと思いますけど」
 峰藤は深いため息を一つ付いてから、立ち上がりさっさと一人でゴールへと向かう。桂木も、始めから言うとおりにすればいいんだ! とぶつくさ言いながら背中を追いかけた。結局、最後になって不機嫌そうにしているポロリな桂木と、常時仏頂面の峰藤に気圧されてか、遠慮がちに係りが何かを述べたが――多分、手を繋いでこなかたことを指摘したのだろう――二人の視線にすぐに口をつぐんだようだった……可哀想に。それでも桂木ポロリと峰藤のツーショットはどこかシュールで笑いのツボをくすぐる。私はもしかしたら紀子の写真売買にお世話になるかもしれないな。と笑いをかみ殺しながら思った。


 仮装借り物競争は一位には成れなかったが、戻ってきた生徒を労いながらも、私は多田さんの姿を探した。かなり明るめな茶色の頭は目立つから、すぐに見つけることが出来て、私は声をかけた。こっちに気付くと、多田さんはすぐにやってきたが、何故だか突然、謝られて面食らう。多田さんは本当に申し訳なさそうに、手を目の前で合わせると平謝りした。
「本当にごめん! 貸してもらった靴、ちょっと目を放した隙に、他の借り物と混ざっちゃったみたいで、探してみたんだけど、見つからなくって……もしかしたら、他の人が間違えて持って言っちゃったのかも」
 告げられた事に唖然としたが、ひたすら謝られては怒る事も出来なくて、私は諦めのため息を一つ吐いた。
「……わかった。もうお昼休憩始まるから今はいいから、午後になったら、また心当たりがありそうな所探してみてくれる? 私も失せ物放送とかしてもらったり、自分でも探してみるから」
 この際、緊急で上履きを外履きとして使えばいい。誰かが間違えて持っていたのならば、すぐに気付いて本部に持ってきたりするだろうし、借り物の中に紛れ込んでいるのならば探せばすぐに見つかるだろう。
 とりあえずはこの東軍の席から校内へ移動するのが問題である。午前の部が終わって、これからは昼食が始まるし、紀子とは穴場である視聴覚室での待ち合わせである。……これでは、本当に裸足になるしかなさそうだ。私が決心を決めた時、声が聞えた。

「シンデレラさん、お困りだね」

 アルコール入ってる時でも言えないような台詞をさらりと吐いたのは、もちろんこの人以外には居ない。一部始終を聞いていたのだろう、結城さんは悪戯っぽく笑うと、ふわりと軽やかな動作で跪いて大きめな革靴を私の足の前に差し出した。周りの皆の視線が痛くて、羞恥プレイかこれは!
「だだ、大丈夫です! 結構ですから!」
 これ以上、めだってたまるか! と遅すぎる感も無きにしも非ずだったが拒否すると、結城さんはカッコ可愛いウィンクをした。――ほんとに三十台なんだろうかこの人。逆サバ読んでるよ。ぜったい。

「それとも、運ばれたい?」


 がっぽがっぽな革の靴を片足に、酔いに当てられたような赤面で、汗臭いシンデレラは視聴覚室へと向かっていた。



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