二十話 / 僕の顔を食べやがれ!


「一位、D組」
 判定の口から零れてきたのはその言葉。紙一重で負けてしまった私はゆったりと二位の旗が立っている列に足を向けながら、乱れた呼吸を深く息を吸うことで整えようとした。最下位にはならなかったからまだ失態は巻き返せただろうと信じたい。どうにかどっと疲れたような気がしてしゃがみこむと乾いたピストルの音に次のグループが走り出したのが見えた。
 カシャカシャ。
 耳障りな音が聞えてきた方向に視線を移すと、超至近距離でシャッターを切るパパラッチが一人。紀子はファインダーから眼を離すと、案の定からかうように眼をウインクした――下手糞だから両目で瞬きをしたようにしか到底見えなかったが。
「お疲れ。流石俊足だわぁ。――あ! 心配しなくても、逆フライングを見事に決めた時の最高に焦った顔、ちゃんと思い出として切り取っておいたから」
 そんな風にポエマーちっくに言っても無駄。誰も望んでませんから……!
 私の三白眼もなんのその、私の神経を逆なでしてくれた彼女はカメラを愛おしそうにひと撫ですると素っ気無い挨拶を残し、スキップで跳ねるように校庭を移動していった。次のグループに出場する可愛い女生徒の写真を撮らなければいけないらしい。もちろん好プレー依頼で……! ええ、僻んでませんとも!
 ふぅと、疲れたため息を付きながら、視線を移すと東軍の席には峰藤は居なかった。次の競技は騎馬戦だから既に召集が掛かっているのだろうと予想できた。しかし結城さんはちょこんと一番前の席に座っていて、私の視線に気がつくとひらひらと手を振ってくれた。それに振り替えしそうになった掌を握り締めて、私は取って置きの乙女スマイルを返し、隣のクラスメイトがそれにどん引きしていたのには無理矢理気がつかない振りをした。すると誰かがこっちを見ている、というか凝視しているのにも気付かされてしまった。それは――田代君!
 燃える闘魂陸上部の期待の星、私のにわか師匠の田代君が腕を組んで仁王立ちでこちらを見ている。その瞳は気のせいか爛々と焔が宿っていた……! 私は冷や汗が出るのを感じながらも誤魔化すようににへらと笑った。――スウェーデンリレー何が何でもがんばろう、絶対。
 退場門を潜る前に列から抜けた私は、パンの袋を加えたままするりするりと人の間を縫う様にして本部のほうへと向かっていた。怒れる獅子こと田代君が居る東軍席に戻りたくなかったというのも本音だが、最後に来るスウェーデンリレーまで用具係という仕事があったのも事実だったからだ。
 本部のテントに近づくと聞き覚えの在る声がした。ふと顔を上げると案の定桂木拓巳が本部の席に腰掛け、放送部の佐伯兄弟をいじり倒して遊んでいる。佐伯(ボケ)が会長やめてくださいよー。とどこぞの芸人のような台詞を吐いているが、結構顔は本気だ。本気と書いてマジと読む。弄られ歴が浅い私でもそのしつこさは身に染みている。可哀想に……。と同情は一応してみたものの、私は寝違えたみたいに不自然に首を捻りながら通り過ぎた。――所詮はわが身が可愛い。とばっちりは御免である。
 本部の横りには競技に使われる用具が一応は決まりがあるようだが、それでも乱雑に並んでいる。そこに見覚えのある影を目にして、私は少し足を速めた。
「大鳥君! 遅れちゃってごめん!」
「いいよ。競技お疲れ――大逆転、惜しかったね」
 私のパートナーである大鳥君は既に居て私を労いながらもちょっと笑った。しっかり見られていたらしい。騎馬戦用の鉢巻はもう配っておいたから。と、言った至れり尽くせりな大鳥君を拝んでから、私は立ち止まり深呼吸をした。ふと眼を向けると入場門のほうには、体操服を纏った男達が立ち上がって今か今かと入場を待ちわびている。にわかに殺気立っているのは気のせいだろうか。
 いよいよ男子騎馬戦、満を持して峰藤の登場である。あの列の中に峰藤がいるのだろうけど、生憎私の目では確認する事は出来なかった。仕事しては面倒臭いが用具係は近くで見ることが出来るから、競技を見物するのには丁度いい。始まったら嫌でも目に入るだろう。
 銜えたままになっていたパンを大鳥君に指摘され、少しだけ恥ずかしくなりながらも私はパンの袋を手にした。競技に夢中で気付かなかったが、それは学食のクリームパンだった。バニラビーンズ入りのカスタードクリームが軽く焦げ目の付いたパンにたっぷりと詰まっていて、その絶妙な甘みのバランスに人気がある。ひと競技終わった事もあって、私はエネルギー補給のために袋を破るとそれにかぶりついた。カスタードクリームの甘みが体中にじんわりとパワーを運んでいく。
「うまい! やっぱ一仕事後のクリームパンは格別! ――大鳥君も半分居る?」
 自分だけが食べているのもなんだから勧めてみると、大鳥君は案の定笑って首を横に振った。そっか。と私は一口かけたクリームパンに再び口をつけた。――筈だった。

「いいもの食っているな!」

 出た! 出た出た!
 もはや誰かが召還しているのではないかと疑いたくなるほどの出現率である。本部はここから近いから現れても不思議は無いけれど、佐伯(ボケ)で遊ぶのにも飽きたって事か……ちっ使えねぇ。
 私が心の中で悪態をついてたのが雰囲気で伝わったのか大鳥君がちょっと後ずさった。外界からの影響はまったく受ける事が無い完成された自分ワールドをお持ちである桂木はご機嫌な様子で上気させた頬に満面の笑みを浮かべて、私の手からクリームパンを強奪した。あの間抜けなポロリの衣装は流石に熱すぎたのか今は普通に男子生徒用のハーフパンツにクラスTシャツを着ている――それには某神龍がプリントされていて、彼の趣味がこれでもかというほど反映されている。多分軍のマスコットも彼の仕業。
 取り返そうと飛び上がる私の上空に掲げられたクリームパンは、太陽を受けてテカテカと輝いている。私が必死になるほど桂木も取らせまいと上手く回避する。
「か・え・し・てください!」
「断る! 俺のものは俺のもの、すべてのものは俺のものだ!」
「最低じゃないですかー!」
 どっかで聞いた台詞がグレードアップしている――悪い方向に。
 どっと疲れた私は、渋々ながらも桂木に戦利品を献上した。どうせどんなに言っても聞かないんだからこの人は。
「もう、いいです。どうぞ食べてください」
「流石2C、太い腹だな!」
「ええ、確かに太いですけど……!」
 そこは間違えて欲しくなかった! 本気で暴言に傷つき肩を落としていた私は、目の前に差し出された桂木の手にはっとした。そこには割ったクリームパン。全部独り占めされるかと(当然のように)思ってたから私は正直驚いた。私の視線に桂木は彼の本性を知っている人でもころりと悩殺されるスマイルを浮かべた。
「一応は2Cが無様なジャンプで取って来たものだからな! お前にも食べる権利は在る! しょうがない分けてやろう」
「無様は激しく余計です」
 つーかそれ素はといえば私の。という理論は通用しないのだろう。アリガトウゴザイマスネ。と精一杯の嫌味をこめて見たけれど、桂木は気にした様子も無く嬉しそうにニコニコしている。その子供のような表情にすっかり毒気が抜けてしまった。しかしさっきから気になっている事はきっちりと述べる。
「……私のクリームパン、会長の四分の一ぐらいしかないんですけど」
「2C、小さな事には気にしていると将来禿げるぞ」
「私の髪の将来なんて気にしてもらわなくて結構です!」


 結局仲良く(?)半分こしたクリームパンをもぐもぐと食みながら、私達はグラウンドを見物した。立っている大鳥君と私に反して、桂木は佐伯(ツッコミ)にぱしらせて持ってこさせた鉄パイプにどっかりと腰を下ろしている。入場してきた男子達が向かい合わせになり、その緊張感は異様に高まる。どっちかというと皆がっちりとした生徒が多い中に、峰藤の姿も見えた。背は高いが細身なので上に乗る生徒の証として鉢巻をしていたが、相変わらず最凶最悪に似合っていない。鉢巻似合わないコンテストぶっちぎり優勝確実だ。
 ――ちょい、待った。
 私は幻覚かと、思わず目を擦ろうかと思った。まわりとは鉢巻の色が違う。あの派手な色はまさに――。
 ごっほぐふ、とむせている私の背中を大鳥君が焦りながらも撫でてくれた。悪いねぇ。幸子さん。ってボケている場合ではなくて。
 説明を求めるように私が桂木を見ると、その驚愕っぷりが面白かったのか、彼はけらけらと笑ってから口を開いた。

「その通り、東軍の大将は藤だ!」



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