二十二話 / 天下分け目の


 ドンドンドンという低音な太鼓の音がお腹に響く。戦いを生き延びた騎馬たちがゆっくりと自陣に戻っていった。北南、南西と試合があり結果、南が二連勝。そして今度はいよいよ西対東である。色の違う大将である証の鉢巻をした峰藤が中央に担ぎ上げられている。短く鳴らされた笛の音で、両軍が静々とラインの所でスタンバイをした。
 嵐の前の静けさ。妙な緊張感がグラウンドを包み、ピストルがなるのを今か今かと待ち望んでいる。私はごくりと喉を鳴らして、その光景に見入った。
 パンというピストルの音が聞えるや否や、西軍の騎馬たちは鬨の声を上げながら東軍の騎馬たちへと襲い掛かる。東軍の騎馬たちは――。

「左翼、右翼共々、包囲するように進んで下さい」
 峰藤の決して大きくないけれど通る冷静な声の通りに、統制の取れた動きを見せた全騎馬が綺麗にライン上に並び、ゆっくりと前進する。それに大将である峰藤が全体を見渡して細かく指示を加えた。大将である峰藤は少し下がった所に立っているが、その前には2、3騎ががっちりと彼を守っていた。西軍で突出して攻めてきた騎馬には複数騎であたり、フォローし合い死角が出来ないようにして、騎馬との間をぎゅっと詰め、敵の騎馬に決して間を抜かせようとはしない。それは騎馬戦というよりは、なにか将棋やチェスといったゲームを思わせた。
 じわりじわりと一騎一騎を潰していき、味方の被害が殆ど無い状態で峰藤から大将を潰すような指示があった。敵将の周りにも守る騎馬が複数存在していたが、それもじりじりと多勢に無勢で潰されていく。
 西軍の大将がやられたのか、ピストルの音が鳴った。ほぼ全滅の西軍に対し、東軍の騎馬たちは大半が残っている。颯爽と陣地に戻る峰藤の後姿を私は恐ろしげに見送った
 な、何じゃあれ。
 あんぐりと見ていた私の間抜け面に反して桂木はうずうずしていた。自分もどうにかして出たかったのかもしれない。
「地味に見えて隙が無くてやりにくい、藤の所にたどり着くだけで一苦労だ」
 凄い、凄いけど……もはや騎馬戦じゃないだろうアレ。
 桂木や結城さんから峰藤が強いと聞いて、まさか鬼のように相手をばったばったとなぎ倒すのだとは思ってなかったけど、そのらしい戦いぶりに、私は凄く納得しながらも、峰藤の非常識な強さに呆れたのだった。

 引き続き東軍は北軍との対決を圧倒的な力の差で下し、北軍が西の大将を集中攻撃で潰すと、最終的には南対東で勝敗を決めることになった。
 南軍には札付きの不良だと有名な柳が居た。さっきの二戦とも力技で大将を潰したのは彼の騎馬だったし、ちょっと不安が胸を過ぎる。
 ――はっ、別に峰藤の心配なんかしてないから! 同じ軍の勝利を祈ってですねぇ!
 自分で自分に言い訳していると、その挙動を心配そうに大鳥君に見られていた。――そのいたわるような視線が痛い。
 相変わらず涼しい顔の峰藤は、笛が鳴るとともに担ぎ上げられてラインに並んだ。
 そして雌雄を決する戦いが始まる。
 二つの試合を見ていて南軍も学んだのか、単独で飛び込んでいくことは無く、背後を見せないよう複数でじりじりと距離を縮めていく。
「東軍なんざ大した事ねぇよ! ただの腰抜けどもだ! やっちまえ!」
 柄の悪い柳の声で東軍に少し動揺が走ったようだった。――もちろん峰藤の顔色は微塵も変わらなかったのだけれど。
「ふぅん。面白くなってきたじゃないか」
「というか今時、やっちまえは、どうかと思いますけど」
 峰藤が勝ち続けていたのに少し詰まらなさそうにしていた桂木は、面白そうな色を含ませて唇を吊り上げた。
「あ、ちょっと押されてるみたいです」
 私とは違い純粋に同じ軍を応援していた大鳥君が、表情を曇らせながらそう呟く。
 そう言われれば、危なげの無かった前二つの戦いとは違い、東軍の騎馬数は同じぐらいかそれよりちょっと分が悪い。柳が他を蹴散らす勢いで暴れていて、下級生、それどころか同級生でさえも精神的、肉体的に荷が重い。
 自然と綻んできた守りを破り、チャンスと柳が果敢に攻め込んできた。峰藤の周りを守っていた騎馬も、他の騎馬のフォローのために傍を離れている。
 図体の大きい柳を乗せているとは思えないスピードで間を詰めて、柳は峰藤に襲い掛かった。長い腕が素早く峰藤の鉢巻を狙って伸ばされる。ふてぶてしいと思えるぐらいの無表情で、峰藤はその腕を振り払い、つぎつぎに繰り出される柳の猛攻もまるで暖簾に腕押しといった感じで避け続けた。峰藤の騎馬もあくまで避ける事に専念しているのか逃げ腰だ。強さが突出している柳を除けば、東軍にも勝機が見えてくる。押されていた東軍も落ち着きを取り戻してじわりじわりと巻き返してきた。
 柳は自分より貧弱な体をした男に言いようにあしらわれているのにはっきりと腹を立てていた。
 そして次の瞬間、その表情に嫌な感じの笑みが浮かぶ。
 ふいに拳を固めた柳ははっきりとした意思を持って、鉢巻ではなく峰藤の顔面を狙った。それを寸前で避けた峰藤の顔からはトレードマークである眼鏡が飛ぶ。かしゃん、とグラウンドに落ちた眼鏡を私は無意識で視線で追って、また峰藤に戻すと柳は今度はこめかみを狙って腕を振りかぶっていた。
 ――この、卑怯者!
 噴出すような怒りが声になっていたのかはわからない。
 殴られぐらりとバランスを崩し、それでもなんとか持ち直した峰藤に柳は舌打ちをすると、再び鉢巻を奪うために右手を伸ばした。
 顔を上げた峰藤が伸びてきた手と柳の右肩を掴んだ。それまで攻めに転じることのなかった峰藤だけに柳は訝しげに眉をゆがめる。そしてそれを力で振り払おうと柳が腕を動かした瞬間、柳は変な風にバランスを崩し落馬した。
「――馬鹿だなぁ、あの男」
 同じ軍でそういえば同じクラスでもあるはずの柳の名前は例に漏れず桂木の頭にはインプットされていないらしく、あの男呼ばわりだ。緑色の瞳を半開きにして桂木は呆れたように鼻を鳴らした。私は反射的にグラウンドに倒れている柳に視線を移したが、その時、ピストルが試合の終了を告げた。

 結局、東軍は最後に巻き返すことは出来ず、騎馬の数で南軍に敗北を帰した。
 騎馬から降りた峰藤は、グラウンドに落とされた眼鏡を拾い上げた。そして退場しようとする前に、東山先生が話しかけられ、それに軽く頷く。担架で運ばれていく柳をちらりと横目で見てから、峰藤は本部のほうへと歩き出した。多分、東山先生は救護班に寄れとでも言ったのだろう。力いっぱい殴られたくせに普通に歩いている峰藤に対し、落馬した挙句担架で運ばれている柳。――一体全体、何が起こったんだろうか。というか何したんだ峰藤……!
 じっと峰藤を見ていた私に、大鳥君が何を勘違いしたのか、心配なら副会長の様子見てきたら? というとんでもない提案をした。面白がった桂木がそれに同意する。
「そうだ、藤を手厚く葬って来い」
「死んでません」
 会長、それってもしかして労う、じゃないでしょうか? と遠慮がちに大鳥君が意見を述べると、桂木はああ、そう言ったかもしれないな。と手を軽く叩いた。というか、そうしか言わねぇだろ!
「さぁ、2C、うざがられながらも、精々労ってくるがいい!」
「なんか、いっちいち引っ掛かりますね――別に、心配してませんから」
「でも、副会長が殴られたとき、叫んでたけど――この、卑怯者! って」
 大鳥君の指摘に、やっぱり声が出ていたのだと恥ずかしくなった。でもアレは、怒りのあまり出てしまった声であって、殴られたのが誰だろうと怒るに違い無い。――もし結城さんだったりしたら、殴った相手を撲殺する勢いになるとは思うけど。
「――この卑怯者! 私の藤様に何するの! クソ! う○こ野郎! ――って言ってたのになぁ2C」
「はい、嘘」
 なんだ藤様って、歌舞伎役者か。その綺麗な顔でう○こって言わないで欲しい。いまさらイメージどうだらとかいう気は無いけど、ちょっとした衝撃だから。
 心配してない、とは言いながらも、さっき思いっきり峰藤が殴られていた瞬間を思い出して少しだけ顔が歪む。あからさまな反則行為に凄く腹を立てたのは事実だ。――ちょっと、ほんとに一ミクロンぐらい心配したのも。
 私が黙り込むと、桂木がぽんぽんと頭を軽く叩いた。

「俺の代わりに行ってこい」
 なんでも見透かしているような表情に少しだけ反抗的な態度を取りたくなる。少し考えた後、私はゆっくりと頷いた。それに満足そうに笑って、桂木はパイプ椅子から立ち上がった。一度大きな伸びをすると、当然ながらパイプ椅子を片付けずに桂木はのんびりと校舎の方へ歩き出した。お腹がすいたらしい。そのマイペースな言葉に、呆れているとくるりと桂木は振り向いた。
「あ、そうそう。俺から藤に労いの言葉だ」
 私が首を傾げると、彫刻のような顔をした男は、魅惑的な笑顔を受かべた。

「『負け犬』」

 言えるものか!
 ほんとに一番の友達なんだろうか、とその後姿を信じられない思いで見送ってから、私は救護班のテントに足を運んだのであった。



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