二十四話 / 開けゴマが使えたら


 私が現状を理解するのには僅かに時を必要とした。古ぼけた体育館倉庫の扉は勿論自動ドアなんかではあるはずは無く正真正銘人力である。誰かが中に私が居るのを確認せずに間違えて閉めてしまったのだろうと、予想をつけた私は、勢い良く閉められた扉を軽く叩いて、自分の存在を主張した。
「あの! 入ってます!」
 ――って、これじゃあトイレか。自分の発言の微妙さに首を捻り考えていると、今度は間違いなくぎぎぎと妙に鈍い音と共に鍵がかかったから、私はぎょっとした。
「――何鍵閉めてるんですか!? 聞えてます? 中に人が、閉じ込められてるんですけど!」
 アンタが閉じ込めたんだよ! という叫びをすんでのところで飲み込んで、今度はかなり強めにがんがんと鉄に拳を打ちつける。ちょっとしたパニックに陥り始めた私とは正反対にその人物は落ち着いて話し始めた。声質から言ってそれは女性のようだ。
「そんなに扉を叩かなくても、聞えてるわよ」
「ああ、良かった――って良くないですよ。早く空けてください」
「嫌」
「い、嫌ぁ!?」
「わざと閉じ込めたんだから、開けるわけないでしょ?」
 驚愕の声を上げると女生徒はふふふと笑った。扉を挟んで向こう側の彼女は見えないけど、王道悪役系の悦に入った表情である事は想像に難くない。押しても引いても冷たい鉄で出来た扉はびくともしない。古い扉だけあって、さび付いていてもともとたてつけも悪いのだ。
 閉じ込めたということは、靴を見つけてくれた先輩というのはこの人のことで、それはとどのつまり全部嘘だったとか。そこに思い当たり卑怯な嘘にかっと頭に血が上る。
「ちょっと冗談じゃないですよ! こんな事して何になるっていうんですか!」
「少なくとも尻の軽いお馬鹿さんのお仕置きになるんじゃない? 調子に乗るんじゃないわよ。ってあの時、警告したでしょ?」
「はぁ? 言っている事がまっったく理解できないんですけど。人違いじゃないんですか?」
 日本語が通じてなさそうな相手に、ついつい言葉にも棘が含まれる。人違いだったらかなり救われない。馬鹿の極みだ。彼女は馬鹿にするように笑った。

「間違いないわよ。2Cの委員長さん?」

 その含みのある言葉でぴんと来た。――桂木関連か。わざとらしく記事に乗っていた呼称を使ったのはそのためだろう。ここにきてやはりそのツケを払わされる羽目になったらしい。恨むよ紀子……。
 私は盛大なため息を付いてから怒りを抑えて、相手に向かって根気良く語りかけ始めた。確実にぷっつんしているから、なるべく刺激しないように理性的に説得する事が肝心だ。そうでないと万が一にも外に出られる確率はない。
「それは誤解で、私と会長はほんの髪一筋も関係ないんですけど」
「白を切っても無駄よ? 一緒に帰った時も抱きしめられてたり、渡り廊下のところで堂々といちゃついた癖に!」
「ヘッドロックがどうやったら抱擁に見えるんですか……!」
「煩いわね! ヘッドロックだろうとコブラツイストだろうと、体の密着度でいったら愛の抱擁と同義語よ! 後ろから羽交い絞めにされたり、頭を力の限り締め付けられたり、顔の形が変形するまで頬を抓り上げられたり、まったく羨まし……じゃなくて調子に乗るのも大概にしなさいよ!」
 マゾですか。
 ちらりと最後のほうに垣間見えた本音に私は怒りを忘れて絶句した。あの地獄の締め付けを羨ましがるなんて、げに恐ろしきは乙女心マジック。というか痛い思いまでした挙句、逆恨みされてしまうなんて、私が余りにも可哀想ではないか。私の声なんて聞えてないように、彼女は勢いを増した。
「さっきだってこっそりひっそりテントの影に隠れて見てたのよ! パンを仲良く半分こって、あたしに喧嘩売ってんのかこのアマ。――ってちょっと興奮させないでよ! 思わず汚い言葉つかっちゃったじゃないのよ!」
「それって私の所為デスカー!?」
 酷い突っ走りように突っ込みきれなくなってきた。思わずそう叫ぶと、「空が青いのも、地球が丸いのも郵便ポストが赤いのも、あなたの所為よ!」と論理もクソも無く肯定された。――もう。何を言っても無駄である。その思い込みの激しさが何となく誰かさんを髣髴させる。その力技な思考回路に脱力させられる所まで同じだ。
 はっと気付くと、遠ざかるような足音が聞こえ、私は焦って大きな声で言い訳を並べた。――自分が被害者なのにすでに凄く下手。
「ちょ、ちょっと待ってください! あれに特に意味はないんですよ。ほら! よくあるじゃないですか。熊がじゃれ付いて調教師に怪我をさせちゃうみたいな! あ、ちなみに会長が熊です! ね? 言うなれば、そんな関係なんですよ!」
「……その喩え、微妙な上に意味不明よ」
「ええ、解ってますとも……!」
 自分でも焦りの余り何言っているのか良くわからなくなってる。しかしここで彼女を引き止めないと、スウェーデンリレーには確実に間に合わない。自分を陥れた彼女に媚を売る行為だとしても、皆に迷惑をかけるよりはずっとマシだ。
「今後一切、私から会長には近づきませんから! それでいいでしょう!?」
 これまでも自分から近づいた事はないですけどね! というのが心の声だったけれど、傍にいることが目障りだと思っているのなら、彼女の望みはそんな所だろうと私が半ばやけっぱちで叫ぶと、遠ざかりかけた彼女は急に思い直したように足音荒く戻ってきた。
 淡い期待を抱いた私に、彼女は感情を抑えた声で言った。

「――あなたの恋心ってそんなもの?」
「は?」
「障害があるからこそ燃え上がるもんでしょ? 一度ぐらい私に邪魔されたぐらいで諦めるわけ? その程度の恋だったの? そんなんじゃないでしょ、恋ってものは。普通そういう時は『貴方なんかにあの方は渡しませんわ!』と高らかに叫ぶところでしょ? 違う?」
「あの、ちょっと」
「貫き通してこそが真実の愛! でしょ? 私のバイブルであるベツバラにもそう書いてあったわ。愛とは血と汗と涙にまみれながら勝ち取るもの! ――あ、安心して。私はあなたみたいな丸太体型には負ける気はないから」
「丸、太、体、型」
 ――暫し、絶句。



「誰か、委員長知らないか?」
 ふいにそんな声が耳に飛び込んできて峰藤は見つめていたグラウンドから視線を外した。振り返ってみれば、同じ軍である二年生の生徒が必死な形相でクラスメイトに声をかけているのが目に入った。
 ――そういえばあの生徒は陸上部の田代でしたか。
 記憶の中でその名前に思い当たった時、死角から桂木がにゅっと生えて来た。勿論、桂木も菌糸類では無いから、そのように姿を現したという比喩であったが、神出鬼没な登場の仕方はいつだって悪趣味だと思う。峰藤はその柳眉をそっと顰めた。
「桂木、スウェーデンリレーの召集始まったんでしょう? こんな所で油売ってていいんですか?」
「2Cが来ないから、俺が直々に迎えに来てやったんだ」
 偉そうに胸を張った後、東軍の席をぐるりと一通り見渡して、その姿が目に付かないと桂木は不機嫌そうにぶすくれた。その表情は子供じみていて、その端正な顔の上に浮かべるとどこかちぐはぐな印象を受ける。
「なんだ居ないな。もしや俺との勝負に恐れをなしたか! 鳥だな!」
 臆病者だと言いたかったのだろうが、その言語センスは独特すぎて理解不能である。
 なんとなくつられる様に峰藤も彼女の姿を探してみるがやはり姿が見えず、その代わりに焦ったような顔の田代が目が止まった。彼は、自分の記憶が正しければ、クラスはC組だった筈。
 何となく嫌な予感がした。自分のこういった勘は大体において当たっている事が多いのだ。峰藤はため息を付きながら立ち上がった。何故、こんなに頻繁に問題を起こすんでしょうか。――自分の事は棚に上げてそう峰藤は心の中で呟いた。



「とどのつまり、あなたの好きな人は桂木くんのお父さんってわけ」
「ハイ、ソノトオリデス」
 何で閉じ込められた被害者である私が、好きな人まで自白しなければならないのか。完璧に真っ白になりながら私はマットの上で体操座りで項垂れた。かなり強引な誘導尋問というか、売り言葉に買い言葉というか、外に出してくれるという交換条件で馴れ初めからここに至るまでまるきり全部吐かされた。桂木絡みということもあってか、彼女はまるで噂好きなオバタリアン級な食いつきの良さだ。
「あなたも辛い恋してるのね。――くっ、不覚にもぐっときたわ! 私、こう見えても涙腺弱いんだから!」
「オソレイリマス」
「桂木くんに馴れ馴れしかったのは私の寛容な精神で許してあげるにしても、私が本当に怒ってたのはそこだけじゃないわ。……あなた、さっきも峰藤君と乳繰り合ってたでしょ? 桂木くんと二股かけてたみたいでどうしても許せなかったのよ」
「ちっ乳繰り合いぃい? 誰がっあんな眼鏡とっ! さっきも私の腕の骨外そうとしたんですよ? 女相手に本気でですよ? 大人気ないにも程があると思いません!? あの鬼! 悪魔! はげ!」
 私の激しい否定――というか暴言に――彼女は少しだけ圧倒されたらしく、初めて戸惑ったような雰囲気が伝わってきた。
「……私の勘違い、だったようね」
 暫し気まずいような沈黙が降りたが、私はそれを払拭するように無理に明るい声を出した。今では彼女に対する怒りは薄れ、何となくしょうがない、という諦めの境地にまで来ていた。桂木や峰藤や紀子に付き合っていると、普通から大きくはみ出したイレギュラーな人に寛容になれるらしい。甘いと言ってしまえばそれまでだけれど、峰藤のようにハンムラビ法典を執行できるほど心臓に毛は生えてないつもりだし。
「誤解も解けたところで、そろそろ出してくれます? 私も競技でなきゃいけないので」
「……そうね」
 扉の向こうで立ち上がる気配がして金属が擦れるような音が聞えた。ぽつりぽつりと彼女が呟くように声を出した。
「ちょっと。ほんのちょおーっとだけね。閉じ込めるのはやりすぎかなって思ったんだけど。完璧に血が上ってたわ」
「……やる前に気付いて欲しかったです」
「――ああ、もう! 悪かったって言ってるでしょっ!」
 いや、一言も言ってなかったですけど。……まぁ、いいか。
 彼女が悪いなと思っているのが雰囲気で伝わってきたから私はそれ以上は何も言わなかった。好きという気持ちが何に対しても免罪符になるなんて思ってもいないけれど、その気持ちで突っ走ってしまう所は共感できたからだ。――彼女の思い込みの激しさと突っ走りぶりには及ばないにしても。

「私もプロレスとか詳しくなれば、桂木くんとの共通の話題が増えたりして! 『絞め技掛け合いしない? 私、ヘッドロックには自信があるの』――なーんてねキャッ!」
「……ナイスアイディアです」
 私は乙女の妄想てんこ盛りな彼女にげっそりしながらそう返しながらも、類は友を呼ぶか。と何となくしみじみとことわざを胸のうちで呟いた。――それにしても彼女は妙に扉に開けることに手間取っている。
「あの、さ」
「……今度はなんですか」
 私が聞き返すと、彼女はおずおずと声を出した。その声色に嫌な予感を感じながら。

「――鍵が壊れて、開かないみたい」

 ピンチです、姉さん。



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