二十五話 / ヒーロー改め苛めっ子見参


 盛大に焦っていた。――私、達は。
「どどど、どうすんですか! 開かないって冗談じゃないですよ! これじゃリレー絶対間に合わない!」
「ちょっと落ち着きなさいよ! 焦ってもしょうがないじゃない! こういう時にパニックを起こしたら負けよ! 解決策も見つかるものも見つからないじゃない!」
「じゃあ見つかったって言うんですか!? ほら。ほらほらほらぁ言ってみてくださいよ! 元はといえばあなたが勝手に突っ走って閉じ込めたりするからこんな事態になるんですよ!」
「うるっさいわねぇ!! それについては心のそこから謝ったでしょう!? 過ぎた事をぐだぐだいう奴は人間の器がちっちゃいと相場が決まってるのよ!」
「自分の事を棚に上げてなんですか! ――ええ、もういいです。ちょっとそこどいていてください」
「何するつもりよ」
「このドア、蹴破ります」
 このままでは埒が明かないと思った私は一大決心をする。扉は金属で出来ているとはいえ、古いし思いっきり蹴ったら壊れるような強度だと私は判断した。人間追い詰められると思考能力が狂うらしく、私は据わった目をしていたに違いない。
 扉の向こうの相手が戸惑いながらも離れたのを確認してから、私は扉から出来るだけ距離を取ると勢いをつけて思い切り足で蹴り飛ばした。


「――どこにも居ない?」
「なんだ2Cのやつ。校内で迷子か拾い食いでもしてどこかに倒れてるんだな」
 自分と一緒にしないで下さい。と峰藤は親切に突っ込んでやる事はせずに、桂木の間の抜けた台詞はあえて聞えない振りをした。それより兎に角彼女の事である。
 上級生、しかも悪名高い会長と副会長にとっちめられるように詰問されて、田代は居心地悪そうにそれを肯定した。
「スウェーデンリレー招集始まってるって言うのに、どこにもいないんっスよ」
 綱引きも最早終盤戦に突入している事であるし、本当に直ぐ最後の競技であるスウェーデンリレーが始まってしまうだろう。それに陸上部でも優秀な田代は参加者であること間違いない。峰藤は田代を落ち着いた声で諭した。
「とりあえず貴方は招集行って下さい。彼女は――探してみますが、万が一の事を考えて代走者を立てておいて下さい」
「なんで先輩達が?」
 彼にとって見れば魅力的な申し立てだったが、田代は関係のない先輩の手を煩わせる事に躊躇いを覚えたらしかった。峰藤はさらりと当たり前のように言い、それに被せて桂木は胸を張る。

「同じ軍ですから。一応は」
「強きを挫き弱きを助くのは、ヒーローの絶対条件だろう!」

 一応? ヒーロー? とは体育会系気質であることが手伝ってか田代は先輩には突っ込めなかった。
 礼を言って駆けていく田代の背中を見送ってから、峰藤は桂木に向き直りうんざりとした様子で声をかける。
「――桂木、あなた招集は」
「藤。俺がこんな面白い事ほっぽって行くとでも思ってるのか? それに俺はアンカーだから問題はない!」
「愚問でした」
 諦めの溜め息を付きながらも峰藤は思考を巡らせる。騎馬戦の後、救護テントで会った後に姿を消したという事は疑いようがなかった。彼女だって桂木ではないのだから、人に故意に迷惑を掛けたいと思うようなタイプでもない。とすると、何か避けようのない事態に陥っていると考えるのが妥当である。――もしそれが桂木が言った様な下らない理由だったら、如何してやろうか。
 そんな事を考えていた峰藤の前を一人の女生徒が通過していく。確か自分といる時に彼女に話しかけてきた――。その見覚えのある顔に峰藤は反射的に呼び止めていた。


 一方、その頃私は――足を捻っていた。
 結構派手な音を立てたものの、そのドアの弾力に跳ね飛ばされるようにしながら私は埃臭いマットの上に尻餅を付く。蹴った拍子に足首がぐきっと嫌な音を立てた。ズキズキと痛みを訴える足首を押さえながら、暗闇の中で開かずの扉を涙目で睨みつける。
「誰か先生とか、呼んでくるべきかしら? そうだ! 押しても駄目なら引いてみろって言うし、私が外から体当たりしてみれば・・・!!
「止めて下さい!」
 幾ら焦っているとはいえ彼女を突っ走らせて下手に怪我されるのも避けたい。女の力ではビクともしないということは自分の身で実証済みだ。足の痛みの所為かお陰か焦りは波のように引いて、私は妙に冷静になった。リレーは召集どころかもう始まっているぐらいの時間は経っている。田代君は烈火のごとく怒っているに違いないし、クラスの皆に迷惑をかけた事が酷く心苦しい。落ち込みつつも、諦め混じりに私は開き直った。急に黙り込んだ私に彼女は焦ったように扉を叩く。
「ちょっとあなた死んだのっっ!?」
「不吉な事言わないでくれませんか? 足捻ったぐらいで死んでたまりますか。……もういいです。リレーには間に合わない」
「何諦めてるのよ! そこから一生出られなくてもいいの?」
「いや、それ大げさですから――それよりうちのクラスの田代君って人に、私が諸事情でどうしてもリレーに出れないと言ってきてくれません? 彼、今リレーに出てる筈ですし、絶対に理由を問いただされるでしょうけど、あとで私が土下座して謝ると誤魔化しておいてください」
「わかったけど、あなたは?」
「あぁ……その後先生でも呼んできてくれれば。告げ口するつもりはないですから」
「……わかったわ。ほんとに、御免なさい」
 彼女も罪悪感が刺激されたのだろう、妙にしおらしい声でそう言うと扉から体を起こしたようだった。

「その必要はない!!」
 聞き覚えのありすぎる声と場違いなハイテンション。これは間違いなく「歩く公害」であり現状を引き起こした諸悪の根源である桂木拓巳。

「――矢張り貴方は厄介ごとに縁があるみたいですね。巻き込まれたのか自分から飛び込んだのかはあえて聞きませんが」
 皮肉を含んだ呆れたような物言いは峰藤浩輝。

 二人とも白馬にのった王子様にしては性質が悪く、後者にいたっては究極の根性曲がりだ。
「会長に副会長!」
「か、桂木くん!!」
 扉の向こうから動揺したような彼女の声に、段々と近づいてくる二人の足音が聞える。
 鍵が壊れた今、打開策はまったく思い浮かばなかったから、二人が来てもどうにかなるとは思えなかったが、ふと思いついた考えに、少し期待を込める。
「会長がここに居るという事は、リレーはまだ」
「安心しろ2C――たった今始まった所だ!」
「何でここにいるんですかーー! 早くっ早く行って下さいよ!」
 ――信じられないこの人。マイペースにも程がある!
 焦りが再びぶり返してきて叫んだ私に、桂木はあくまでも朗らかにからからと笑った。
「お前もだろう。ところで、何してるんだ隠れんぼか?」
「んなわけないでしょう! 閉じ……じゃなくて、入ったら鍵が開かなくて出られなくなったんです!」
 流石に好きな人の前で悪行をばらされるのは気まずいだろうと私は口ごもったが、その不自然さにも気付かない、というか気にしないような桂木はあっさりと納得したようだ。

「隠れんぼじゃないか」

 如何してそうなる。
 桂木の思考回路を理解しようとするだけ無駄らしい。黙っていた峰藤が冷静な声で不毛な言い合いを遮った。
「桂木、遊んでる暇はありません。――倉庫、前々から古くて壊れそうだと報告を受けてましたが、ここにきて漸く壊れましたか。タイミングが良いというか悪いというか」
「知ってたんなら直せよ」
 八つ当たりのようにそう呟くと、顔を見なくても峰藤の表情が変わったのが雰囲気で伝わってきた。自分の口のうかつさを嘆く前に、峰藤は堂に入った悪役みたいな声を出した。
「――その態度、そこから出たくないみたいですね」
「誰も、そんな事言ってないじゃないですか!」
「貴方曰く、私は惰弱で性格は矯正できないほどに曲がり、見るに耐えないほど醜いらしいですから。一生会えないほうがお互いの精神衛生上宜しいのではないでしょうか」
「あなたっ、そんな事言ったの? 最低っ!」
「いや、っていうか……ああ、もうこんチクショウとしか言えないですね」
 半分濡れ衣で激しく脚色された言葉を峰藤に皮肉られた上に責めるように彼女にも詰られた。踏んだり蹴ったりである。こいつらは本当に自分を探しに来たのか、あざ笑いに来たのか凄く微妙な線だ。――今の所、後者のほうが優勢であるし。
 このままでは「それでは、一生出さない方向で」と満場一致で見捨てられそうな勢いだ。桂木はさっきから笑ってばっかりで我関せずだし。私はぎりりと唇を噛み締めながらも、屈辱的な台詞を余儀なくされた。
「私の態度が悪うございました。……助けて、ください」
「そう言われましても、助ける方法なんてありませんが」
「この陰険眼鏡が!」
「――というのは、冗談で」

 こいつの眼鏡、いっぺん割りてぇ。

 私を普段どう思っているか本音が出ましたね。とせせら笑う峰藤の眼鏡を想像の中でぶち割って私は怒りをギリギリのラインで堪えた。
「――まぁ、いいでしょう。本当に遊んでいる暇もないですし、助けてあげます」
 遊んでたのかよ! と私が怒りで鼻息を荒くしていると、扉をはさんで誰かが向こう側に立つような雰囲気があった。
「どうするんですか?」
「言い忘れましたけど――扉から離れていたほうが身のためですよ」
 その言葉が聞えるやいなや私は反射的に体を捻り、無様な格好で床の上に転がる。
 凄く大きな割れるような音がして扉が破られ、突然入ってきた光に目をしばたかせると、始めにしなやかで長い足が見えた。そして翠色の好奇心で輝く一対の目が倉庫の中を眺め回した後、石灰まみれの私を見つけると桂木はにこりと無邪気な笑みを浮かべた。

「見ぃつけた」



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