四十五話 / 恋の呪文は、バルス、ザキ、好き?
日本人はノーとは言えない人種だ。
重ねて言えば、好きかと問われて否定するより、嫌いかと尋ねられてそれを肯定するほうがより抵抗を覚える――とどこかで読んだ覚えがある。
きゅーん、くーん、と聞こえてきそうな哀愁をたたえてこちらを見つめる巨大なチワワ。その澄んだ瞳の奥には狡猾さの影なぞ見えるはずもない。
大人な対応であしらうべきか、スルーすべきか、それとも敵前逃亡か――個人的には三つ目を希望したいところだ。自分が武士でなくて本当に幸運だった。これまで逃げた回数合わせたら武士道不心得で何回切腹しても足りないところである……あぁ、それにしても会長って羨ましくなるほどお肌綺麗……って顔近すぎぃぃ! パーソナルゾーンを侵しすぎっっ!
翠色の瞳は翳り、憂えている。 吐息まで感じる距離で注視され、私は鏡を前にしたガマのごとく脂汗をだらだらと流した。寝乱れたのだろうか、精悍な顎のラインから続く艶かしい首筋、そして言葉を発するたびに震える喉仏が露になり、白い鎖骨がちかちかと網膜に焼き付く。むせ返るほどの色気にあてられてまさに私は卒倒寸前だ。突発性フェロモン過剰分泌症候群なのか、はたまた発情期がはじまってしまったのかと様々な可能性を捏造してみたが、どれも所詮は益の無い現実逃避に過ぎないのである。
そうしている間にも刻々とタイムリミットは迫っていた。桂木の堪忍袋が切れたが最後、どうなってしまうかは怖くて想像したくもない。ごくりとつばを飲み込むと、私は桂木から微妙に視線をそらしながらも口を開く。ひくりと頬の筋肉が緊張のあまり引き攣れた。
「……迷惑だし、酷い人だとは感じてますけど、嫌いでは、ないと思います。たぶん」
私にしては最大限の譲歩を見せたつもりだった。 しかし、桂木は満足いかなかったようで、さらにずずいと距離を縮めてくる。
「じゃあ好きなんだな?」 好きか嫌いかが知りたいなら一人で永遠に花でもむしってろYO! ――と言えるような性格をしていれば、今現在、こんな風に追いつめられている筈もない。
このままではエンドレスなループ地獄に突入するのは目に見えていた。 もうどうとでも思ってくれ、どうせ自分の好きなようにようにしか取らないんだから。
正直、思考回路はショート寸前で、深く考えるのさえめんどくさかったというのも否定できない。
そうして究極生命体を見習った私はとうとう投げ遣りに頷いてしまった――そして当然のことながらすぐにそれを後悔する。 「――ホントか?」 囁くような声で再び確認をとる桂木に私は少しだけうんざりしていた。
「はいはい。その通りですけど――っでぇぇぇぇぇぇ!」
肋骨をへし折られそうな力で締め上げられて私は一瞬、三途の川の向こう岸で手を振るおばあちゃんの姿を見た。 アハハ、ウフフ、きれいなお花がいっぱいあるなぁ。
そしてぎりぎりのところでカムバックを果たしたが、意識は朦朧として、目の前は霞んでいる。そのおぼろげな視界の中に私は恐ろしいものを目にしてしまった。
喜んでいる人を目にしたときは誰しも微笑ましい気持ちになるものだが、美形の全力の微笑みはある種の凶器といっても間違いではない。私は崩壊の呪文を唱えられた時の眼鏡大佐の気持ちが痛いほどわかった気がした……つまり眩しすぎて目が痛い。バルス。 私に多大なるダメージを与えのたのは後光がささんばかりに眩しい表情をした桂木拓巳だったのだ。彼は自分の美貌を惜しみないほどに輝かせ、今にもがぶりと噛み付かんばかりに口を大きく開けた。
「こんなに嬉しかったのは、日本昔話の再放送が始まったときぶりだ!」
「ゲホゲホ……はぁ、それは光栄で、す?」
かなり小規模な上に基準が微妙。
桂木の真意を測りかねたが、私のような凡人に桂木の思考、行動パターンが読める筈も無い。 ……相変わらず掴めない人だけれど、まぁ、とりあえずは喜んでるみたいだし、害もなさそうだからスルーしとこう。上機嫌な人間びっくり箱にわざわざつっこみを入れて、薮から蛇のようなまねをするのも馬鹿らしい。
私は早々に自己完結して、薄笑いでお祝いの言葉を述べておいた。確実に世界の中心は自分だと信じて疑わない男は、そんな私の様子など気づかず、いたって素直に私の祝辞を受け取ったようだった。
ますます顔を輝かせ、さらりと死の宣告をする。ザキ。
「俺もお前のことが好きだぞ」
自分の耳を疑った。というかむしろ頭を――誰のとはあえて言うまい。
絶句している私を前に、桂木は合点がいったとばかりに膝を打ち、新しい発見を報告する子供のような無邪気さで微笑んだ。
「そうか……これが相思相愛ってやつなんだな!」
「ちょっとまてぇぇぇぇぇぇい!」
鬼気迫る表情で私は桂木にしがみつく。
とてつもない勘違いである。この誤解を解くか否かで今後の私の命運がかかっていると言ってしまっても過言ではない。 恐ろしさにがくがくぶるぶる震えている私を見て、桂木は思わずと言った風に吹き出すと、面白そうに顔をつつきだした。
その様子が普段通りすぎて、私ははっと我に返る。もしかして大きな誤解しているのは私のほうではあるまいか。その真意を確かめるのは激しく気が進まないが止むを得ないだろう。 そうして苦渋の決断をした私は、桂木の様子をおそるおそる伺いながらも、その可能性にかけてみることにした。
「あの、桂木会長。会長って漫画好きですよね」
いきなり何を聞くのか、と訝しむような表情で桂木は頷く。
「じゃあ、アニメは?」
「愚問だな」
「それで……私のことは」
「だから好きだと言っている」
面倒臭そうに言い切った桂木に私は全身の力が抜けるぐらいどっと安堵した。
私の思った通りだった。桂木の言う「好き」には妙な含みなどないのだ。漫画やアニメと同列の言葉なんておそるるに足りず! でも実際には寿命が五年ぐらい縮んだっぽいが。 私が地獄に仏の心地でいれば、それを見つめていたらしい桂木が何故か不機嫌そうに鼻を鳴らした。びびびと弾かれたように視線をあげると、剣呑な光を宿した瞳に射すくめられる。形のよい唇が少しだけ皮肉げにつりあがり、それはまるで意地悪いチシャ猫の口のようだった。
「――お前、俺のこと侮っているだろう」
唐突に言われた言葉があたらずも遠からずで私は激しく動揺した。 それでも、これを肯定するのは非常にまずいと私の第六感が囁いている。ワタシニホンゴワッカリマセン的な顔で見返せば、桂木はもどかしそうに舌打ちをした。 そうして桂木はふと、引き結んでいた唇を開き何かを囁く。聞き取れなくて首を傾げていれば、次の瞬間、ふわりと空気が動き、唇の端に湿った何かが触れた。それは本当に一瞬のことで、私は呆然と離れていく桂木を凝視しながら、かすかに感触が残る唇を押さえる。桂木は私のリアクションにおおむね満足したようで、熱のこもった声で怒ったように声を吐き出した。
「――こういう好きだ。解ったか」 「アアア、アイキャントアンダースタンドォォォォォ!」
キャントじゃなくて、ウォントっていうのが本音である。
私の魂の叫びは到底、桂木のお気には召さなかったようだ。彼はきりりと眉を吊り上げる。
「往生際が悪いぞ! いい加減腹をくくれ!」
「拒否権を発動します! っていうかとりあえず離せ! ドーンタッチミィィィィィ!」
「だが断る! どうせ逃げるつもりなのはお見通しだ! 馬鹿め!」
私は真に問いかけたい。 仮にも好意を持ってると宣言したばっかりの相手の首ねっこを鷲掴むって人間的にどうなんだろう……あまりにも桂木らしくて涙さえも出てこない。もみくちゃにされながらも逃げようと私は奮闘していたが、桂木に取ってはそれも赤子の手をひねるような物だ。がっちりとホールドオンミーされたままで、耳元に息を吹きかけられた。ぞぞっと鳥肌を立てている私の様子を見て桂木は心底愉快そうに笑う。
「はははは! 愚かな2Cよ。もし俺のものになれば世界の半分をお前にやろう!」 「アンタは竜王ですかーー!?」
チキンな勇者は断固拒否とぶるぶると首を振ったが、竜王はまったく話を聞いていないし、聞く気もないのだ。 絶体絶命、というよりはにっちもさっちもどうにもブルドックな大ピンチ。 そういう時に現れるのは正義のヒーローだと相場は決まっているが、このたび、私を救いに来たヒーローはいささかバイオレンスだった。
高笑いをしていた桂木が急に眉をひそめたかと思うと上体を沈ませる。そしてそのすぐ上空を何かが鋭く横切っていった……私の目が正しければ、誰かが桂木の顔面を狙い正確無比なヤクザキックをかましていたような。
抱き込まれたまま私は見覚えのあるシルエットに目を留め絶望した――何故、あなたがこんなところに。
そこにいたのは、桂木結城、その人だったのである。
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