四十六話 / 目撃者、花火のみ。


 にこにこと場違いなほど朗らかな笑顔を浮かべながら、結城さんは桂木に対峙していた。
 その凄みさえも感じられる笑みに怯むこと無く、桂木は飄々とした態度を崩さない。私はようやく緩んだ腕から脱出を果たしたが、二人の間に漂う緊迫した雰 囲気に動けなくなってしまった。しかし、結城さんは私と目が合うと、相変わらずのエンジェルスマイルで、やぁ、昨日ぶりかな、と普段通りの挨拶をする…… 背負ったオーラとのギャップが逆に怖いなんて口が裂けても言えませんとも。
 一人ではらはらしている私を尻目に、面倒くさそうな表情をした桂木に結城さんはゆっくりと近づいていく。そして重々しい沈黙を落としながら、向き合う形で立ち止まった。
 張り詰めた空気はそれほど長くは続かなかった。
 結城さんの腕が閃き、桂木の脇腹を抉るようにして拳が突き出される。それは桂木も読めていたようで、後ろに跳躍することで容易くさけた。しかし、じゃりっとアスファルトを蹴る革靴が音を立て、すぐに結城さんはその距離をつめていたのだ。
 骨と骨がぶつかり合うような鈍い音が私の耳に届く。
 桂木は拳が見事にクリーンヒットした顔を押さえ、ふてくされながら結城さんを睨んでいた。結城さんは握りこんでいた拳を広げて、さらに桂木のほうへと歩を進める。
 はっと我に返った私は、ざっと血の気を引かせながら、凄い勢いで結城さんに詰め寄った。
「ちょちょちょちょ、待ってください! 二人とも何やってるんですか! ゆ、結城さんも!」
「君は心配しなくてもいいよ。ちょっとした親からの不良息子に対する鉄拳制裁だから」
「ちょっとっていうか、すんごい不穏なんですけど!」
 おろおろとしている私は、ふと頭の上に暖かい掌の感触を感じた。顔を上げれば私を安心させるよう柔らかい笑みをした結城さんと目が合う。
「嫌だなぁ。本気のときは道具かなんか持ってくるよ」
「ってか道具ってぇぇぇ!?」
「それは秘密ね」
 ばちこんと悩殺ウインクをし、結城さんは胡散臭いほどの爽やかな笑みで答える。それに軽く騙されかけた私は、目の前の人がさっきまで桂木をぼっこぼこに 叩きのめそうとしていたことを半分近く忘れかけた。すると、ずっと無言だった桂木が切れた唇を乱暴に拭いながら、馬鹿らしいとばかりに吐き捨てる。
「……つくづく親子ごっこが好きなやつだな」
 ぴりっとした緊張が結城さんの表情を過ぎたような気がした。しかし、それは一瞬のことだったからただ単に私の目の錯覚だったのかもしれない。
 私の頭から触れていた熱が逃げて行き、また結城さんの影が桂木のほうへと近づいていく。
「拓巳がどう思っていようとも、僕は君のことを大切な息子だと思っているよ」
「それはムッティへの贖罪か? 感傷に浸るなら一人でやってくれ。俺を巻き込むな」
 私にその意味は解らなかったが、明らかに挑発する意図で吐かれた言葉だった。
 結城さんの体が刹那、大きく震え、振り上げた掌が再び振り下ろされる。私は思わず目を瞑るが、想像に反して聞こえてきたのは、ぺちん、というなんとも情 けない音だった。目を開くと桂木がつまらなさそうな顔で結城さんを見返していて、結城さんは静かな声で桂木に話しかける。
「今さら拓巳のすべてを変えろとは言わない――だけどお前のことを思ってくれている人の想いを踏みつけるような真似をしては駄目だ」
 ふっと、言葉を切り、結城さんは苦笑した。
「……まぁ、僕に言う資格もないんだろうけどね」
 結城さんの視線と言葉を受けていた桂木はじっとそれを見返していたが、ふぅと肺からすべたの空気を搾り出すかのように深いため息を吐いた。
「結城にまで説教されるとは、俺もずいぶんと落ちたもんだな……そういうお前のスカしたところ、本当に腹が立つ。一度は泣くぐらいの可愛げを見せたらどうなんだ」
「まぁ、それなりにいい歳した大人ですからね」
 感情的になったところなど、もはや微塵も感じさせない結城さんに、桂木は舌打ちをする。
「やっぱりお前だけは好きになれん」
「僕は愛してるよ」
「真顔で言うな。寒気がする」
 ぶるりと震えながらも桂木は歩き出し、結城さんの横を通り過ぎた。そして校舎のほうへと向かう背中に結城さんは声をかける。
「拓巳」
「やるべきことを片付けてくるだけだ。今日はちゃんと家に帰る……それと2C」
「はっ、はいぃぃぃぃぃぃ!」
 唖然と二人のやり取りを見守っていた自分がまさか話しかけられるとは夢にも思わず、私は雷に打たれたかと思うくらい派手に飛び上がった。桂木はにやりと挑戦的な笑みを浮かべると、ぴしりと指を突きつけて腹式呼吸で宣言した。
「お前、命拾いしたと安心するのはまだ早いぞ! せいぜい、その間抜け面のくっついた首をごしごし洗って待っているがいい!」
 ――どう楽観的に考えても桂木は復讐でもするつもりではあるまいか。
 悠々と去っていく桂木を見送りながら、私はどっと押し寄せてくる疲れとともに眩暈を覚えた。
 二人のやり取りに気を奪われていて記憶がすっ飛んでいたが、そういえば私は桂木に、告白のようなものを受けたような受けてなかったような気がする。桂木 がどういうつもりであんなことを言い出したのか未だに理解ができていないし、自分はいったいどうするべきなのかもわからない。それよりも本当に日本語の、 というか根本的に言葉の意味を解っていっているのか、まったくもって信用なら無いのだ。そもそもあんな独自の恋愛観持った人から好意を示されても、はい、 そーですかい、と素直に臆面通り受け取ると思ったら大間違いである。人のファーストキスを最悪な形で奪っておいて簡単に許されると思うなよ!
 そしてなによりも――私には大好きな人がいる。

 隣に立っていた結城さんの様子をそろりと伺えば、彼は視線に気づき目を細める。なんとなく彼の雰囲気が沈んでいるような気がして、私は一瞬声をかけるべきかどうかためらった。
「結城さん、あの、大丈夫ですか?」
「うん。反撃してくるかと思ってたんだけど、少し反省してたみたいだから……あぁ、もしかしなくても君のお陰かな。仲直りしたんだね」
 昨日の夕方から今までに起こったことを「仲直り」という単語で片付けていいのか、激しく疑問だったが、私は曖昧に頷いておいた。まるまるぺろっと説明してしまうほど私はトチ狂ってはいないつもりだ。
「そっか……よかったね」
 そう言って結城さんは言葉を切り、空を仰いだ。そこには気の早い星達がちらほらと顔を見せ始めている。そして風に乗って微かに聞こえてくるのは音楽と喧 騒。ふと気づけばそろそろ後夜祭が始まる時間になっていた。なんとなく破りがたい沈黙に身を委ねていれば、結城さんがこちらを見つめていることに気がつ く。
「君はこの後、友達と約束でもしてるの?」
「あ、いえ別に何も無いですけど……」
 反射的にそう答えていたが、ふっと頭の隅をよぎったのは兄の姿である。しかし、優先事項は私の中で既に決まっていた。心の中で一言だけ兄に対して謝罪す ると、私は結城さんに頷いてみせる。結城さんは逡巡していたが、申し訳なさそうに眉を下降させると声を潜めた。
「じゃあ、僕の我侭を聞いてくれる? ――少しだけ話に付き合ってくれると嬉しいな」
 そんな風に儚げにお願いされて私が断れるはずが無い。
 ハイ、喜んでぇ! と焼肉屋の店員のように良い返事をすると、私は結城さんの目の前に直立不動で仁王立ちした。結城さんはそんな私の様子に目を丸くし、 くすくすと喉を震わせていたが、ふと何かに気づいたかのように、再び空を見上げた。つられて視線を移す私の目に飛び込んできたのは大輪に咲く花だ。赤と青 と黄色の光のシャワーが惜しげもなく夜空を滑る。そしてそれは一瞬の夢のように消えていくのだ。
「わぁ……綺麗ですねぇ」
 ドーンドーンと絶え間なく打ち上げられる花火に、思わず私は一人ごちる。
 こんな風に結城さんと一緒に花火を見られるなんて、何度夢に見た光景だろう。幸福感に眩暈すら覚えていた私の耳元に唇が寄せられる。ふわり、と香ってき たコロンに気をとられて、そしてその時ひときわ大きな花火が上がったせいで、私はすべての言葉を聞き取れたわけではなかった。しかし、離れていく結城さん の顔はぼんやりとした光に照らされて、私はその表情をはっきりと目にする。

 ――拓巳と僕の血のつながりは無いんだ。

 その時の結城さんはまるで懺悔するような顔をしていた。






 拓巳は悠々自適に歩を進めていた。
 彼の足取りには迷いというものが一切存在しない。しかし、珍しくも彼は少しばかりの緊張感を身に纏っているようにも見える――かたづけねばならないこと。理由は恐らくそれにあるのかもしれない。
 拓巳はある人物を探していた。さっき声をかけた、恐らくクラスメイトだと思われる相手に聞いたところ、相手も自分を探していたらしい。理由はなんとなく思い当たったが、果たしてあっているかどうかは会ってからのお楽しみだろう。
 渡り廊下を歩いていると、後夜祭が始まったのか、空気のさざめく気配がした。たいした興味もそそられず、舌打ちをする。これだけ自分が探しているというのに見つからないのはどういうことだろう。かくれんぼでもしているつもりか。
 ぱりぱりと何かが割れるような音が聞こえてきて拓巳は顔を上げる。真っ暗な夜空にこんぺいとうがちりばめられていた。なんだか懐かしいような気がしてそれに見とれていると、そんな拓巳に声をかけた人物がいた。
 目を落とせば、そこには拓巳の探し人が立っている。

「探したのよ……桂木君」

 荒い息を必死に正しながら、雪女がこちらを見ていた。そのまま溶けそうな勢いだ、と想像して思わず緩んでしまった口を押さえ、桂木は美登里を見返す。美登里は視線を受け、困った風に笑い、そして少し顔を逸らした。



 そんな複雑な恋愛模様が繰り広げられていると気づいていたのは、きっと空舞う花火だけ。




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