非常に厄介な事に成りました。
 死神は悽愴たる様で死の宣告をした。


四十九話 / 窮虎鶏を脅す


 悪夢の休日を経て、登校した私を待っていたのは、重苦しい鎮魂歌をバックミュージックに校門に佇む峰藤浩輝だった。
 まるで不可侵の結界が張られているかのように、登校する生徒は異様な緊張状態で峰藤から五メートルは距離をとりながら通り過ぎていく。私は反射的に見なかった振りをして踵を返そうとしたが、その瞬間、ゆらりと峰藤の纏う澱んだ空気が動いた。峰藤の顔は幽鬼の如く青ざめ、トイレで聞かれるままに青い紙を所望したかのごとく血の気が抜けきっている。
 生理的な悲鳴が漏れてしまった喉を押さえ、私は峰藤を凝視した。峰藤は鈍い輝きをたたえた眼鏡を押し上げながら、硝子の向こう側の黒の双眸をひっそりと歪める。
 そうして長いコンパスで一足飛びに狭められた距離に私は迫り来る死を覚悟した。
 テメェ、ちょっと顔かせや、というのをほんの少しばかり丁寧にした言葉で峰藤は私を屋上に誘――否、拉致。そのときの私は心地をどうか想像してみて欲しいものだ。
 ドキン! 屋上に二人きり! 高鳴る胸! これは恋の予感かしら!
 と思うほど私の頭はいかれてはいなかった。違った意味での胸のざわめき、というか本能的な生命の危機を感じていたわけではあるが。
 まさか峰藤はいよいよ私をSATSUGAIするつもりなのだろうか……方法はやっぱり刺殺だろうか、それとも撲殺……はっ! 屋上に連れて行くということ、それはすなわち突き落として転落死させた後、それを奴は自殺に見せかけるつもりなのだ!
 ダイイングメッセージは頑張って血文字にしよう、ハンニンハメガネと書こう。いや、その余裕はたぶんないだろうからせめてメガネの絵だけでも……と決心を半ば固めていたところでかけられたのが峰藤の冒頭の台詞だったわけである。



 その不穏な台詞に対して、今、この瞬間、不機嫌な峰藤と一緒にいる状況以上に厄介なことがあるんでしょうか? という失言を私が紡ぐ前に、峰藤はとつとつと暗い声で説明し始めた。
 そう、不幸なことに、私の想像は概ね当たってしまっていたのだ。
 あの日、あのホテルで、あの着物姿のお嬢さんと、峰藤はお見合いをしていた。そして、その為にめかしこんでいた(と思われる)峰藤を水の中に引きずり込みずぶぬれにした挙句、ものの見事にお見合いをぶち壊したのが、とどのつまりこのわたくしめでした……という話を聞いただけで発狂しそうになる大惨事。
 更に最悪なことに、相手のお嬢さんは私と峰藤の関係を誤解し、いたくプライドを傷つけられたと発言していたらしい。

「そそそそ、それでっ、わた、わたしに責任とって切腹しろということなんですねっ!!!」
「一体、何処をどう理解すればそう結論づけられるのですか。あなたは馬鹿ですか、馬鹿なんですね。馬鹿なら馬鹿なりに最後まで話を聞いてから発言して下さい」
 合点がいったと土気色をしながら覚悟を決めた私の言葉は、これ以上ないほど冷たい声で一刀両断に切り捨てられた。峰藤は疲れたように頭を振り、眉間に深い渓谷を刻む。
「相手の親御さんが寛大な方で大事には至りませんでしたが、厄介なのはそれがこちらの身内にも伝わってしまった事です」
 峰藤の言ってる意味がまったくもって頭に浸透してこなかった。それでも峰藤の陰鬱な表情を見ていればそれが最悪の事態だということが解る。つまりどういうことなのか、とごくりと私は喉を鳴らし、峰藤の次の言葉を待った。
 峰藤は珍しくも躊躇しているようだった。苛立ちで象られた青白い顔が歪み、峰藤の黒髪がいっそう暗さを増したように錯覚する。そうして長い逡巡の後、つまり、と薄い唇が戸惑いがちに言葉を紡いだ。

「その彼女とやらを『連れて来い』と」

「……誰を、どこに」
 私は反射的に聞き返していた。もう季節は秋も深くなり冬さえ近づいているというのに嫌な汗がじっとりと背中に滲む。峰藤は私の言葉に眉をひくりと跳ね上げ、その眼差しは鋭さを増した。不本意、という文字がはっきりと刻印された不吉顔で峰藤は私の目をはっきりと見据える。

「あなたを、家に」

 つまり、それって――彼女イコールわたしなんかーい! 峰藤家という名の伏魔殿に行くなんてそこで黒魔術の儀式の生贄にされる想像しかわいてこんわーい! アハハハ……あはは、あは。
 おもむろに私は立ち上がると、ふらふらと歩を屋上の隅へと進めた。そしてそっと手すりに足をかけようとしたところで、氷のように冷たい手が妙な重量を伴って肩へと置かれる。
「――あくまでも義務から伺いますが、一体あなたは何をするつもりですか」
「私を自殺に追い込むための、副会長なりのメガネジョークなのかな、と」
 みしり、と肩に激痛が走る。物理的な痛みと背後から波動となって伝わってきた恐怖に加えて私の悲鳴が絶妙なハーモニーを奏でた。

「指の骨一本ぐらいで勘弁してあげますからとりあえず――そこに直れ」

 文字通り土下座状態でコメツキばったのように平謝りして、指の骨は勘弁してもらいました。



 ひゅるりと冷たい風が通り過ぎていく中、ようやく落ち着きを取り戻した私は、固いアスファルトの上に正座させられてた。目の前には厳しい表情をした峰藤が腕を胸の前で組みながら仁王立ちで私を見下ろしている。妙に空気が冷え切っているのいるのは常識的には季節のせいかもしれないが、その大部分は峰藤から来る冷気が原因だと私は信じている。
「だけど、だけどですよ。副会長も私がただの知人だってご家族に言えばよかったじゃないですか」
「――私が否定しなかったとでも?」
「……まぁ、ですよね」
 凍結した視線ですっぱりきっぱり否定している峰藤の姿は容易に想像がつく。
 あっさりと頷けば、苛立ちを滲ませながら峰藤は溜息を吐いた。
「――救いようがないぐらい頭の固いところがありますから、多少、強硬な手段を使ってくる可能性が高い。身の回りには十分注意してください」
 不穏な言葉に耳を疑って凝視すれば、峰藤は何でもないことのように口を開く。
「十中八九、拉致されます」
 さらりと怖いこと言うな!!!
 まさか冗談抜きに伏魔殿……と改めて確認することさえ恐ろしくて、私はぶるりと身体を震わせた。その様子を見ていた峰藤は厳しい表情を崩すことなく続ける。
「事の発端は貴方だったとしても、根本的な原因は此方側にあります。今回は事情が事情なだけに止むを得ません――暫くの間、登下校は私が付き添います」
「……へっ?」
 一瞬、自分の耳が信じられなくて私は間抜けな音を発しながら峰藤を見返した。
 とんでもないことを言い出した相手は、テメェの耳は節穴か? とでも言いたげに私を睥睨する。そして忌々しそうに舌打ちをすると、峰藤は語調を強めた。
「あなたとどうしても一緒に帰りたい、自分の時間を割いてまでもあなたの傍にいたい、とでも聞こえましたか? これは単に貴方の身の安全を確保するためだけの義務に過ぎません」
「はぁ、えっとそれは解ってる、んですけど。身の安全を確保していただけるのは、ご丁寧にどうもありがとうございます、っていうか……それってまさかじゃなくても毎日、ですよね? いつまでとか……いや、だって副会長にお時間をずっととらせるのも、あれですし!」
「私の身内が聞く耳を持つ程度に頭を冷やすまで。私からも働きかけますが、はっきりとした期間は申し上げられません」
 この上なく気が進まない、というのが態度に滲んでいたのだろう、峰藤は不愉快そうにきりりと眉を持ち上げた。
「これは覆ることのない決定事項ですし、あなたに拒否権はありません。あなたはただ、事が起きた時には形振り構わず逃げるように――勘違いしないで下さい。呉々も私の邪魔にならないで欲しいという意味からですが――他に質問でも?」
 お荷物のくせに口答えするのか、と言われた気がして、かっちーん、とドタマにきた。
 確かに今回も多大なる迷惑の発端を作ったのは私だろうし、峰藤が義務感からこんなことを言い出したのは重々理解している。しかし、それにしてもなんなのだろうこのメガネの無駄に偉そうな態度は。こっちが恐怖に打ち震えていれば調子に乗って高圧的に命令する。慈悲だとか寛大とか思いやりだとかいう文字を辞書で引いて勉強したらいいのだ。
 そう勢いづいて睨みあげると、すぐさま反抗的な態度を見咎めた絶対零度の魔貫光殺砲に私は視線を即効でそらす――ええ、焼き鳥野郎とでも呼んでください。
「……でも私もお願いしてないんです、けど」
 それでも未練がましくあさっての方向を見ながらもぼそりと呟けば、ぴしりと雰囲気がさらに凍気を増した。まさか峰藤はオーロラエクスキューションの使い手か。氷の聖闘士だったのか。そう信じたくなるぐらい冷たく、凍てついた視線を一身に受けながら、私は必死にそれに気づかぬふりをする。目が合ったが最後、であることに間違いない。

「……います」
 その時、まるで金属を擦り合せたような音が地獄から響いてきた。
 え、これっていったい何の音? 
 私が周りを見渡せば、それは確かに目の前の人物から発せられているようだった。この世のものとは思えぬ不吉な掠れ声に私が恐る恐ると顔を上げれば、なんと峰藤はうっすらとした微笑さえ湛えるではないか! しかしその唇の端はひくひくと引き攣り、こめかみには隆起した血管が脈打っている。そして、更には己自身の腕をつかむ手が、なにかを握りつぶしたがっているかのように怪しげに蠢いていた。正直言って私のスイカ頭などはとてもいい按配だろう。
 恐怖に動けなくなっている私が三日三晩は夢に見そうな恐ろしい顔で、峰藤は確かに言ったのだ。

「私、が、頼ん、でいます――付き、添わせて、頂きたい、と」

 それは到底、お願いをしている人間の目ではなかった。
 これで断ったら、絶対にSATSUGAIされること確定。
 無論、私はその鶏魂を存分に発揮して、こちらこそお願いいたしまする、副会長にお手数をお掛けするのは大変恐縮だが、どうか付き添ってくださりませ、と体を直角に折り曲げて全力でお願いしまくった。下手に出る峰藤浩輝は追い詰められた虎の如く獰猛で、笑い飛ばしでもしたら食い殺されそうな雰囲気が普段よりも三割り増しで怖い。
 鼠さえ窮すれば猫を噛むと言うのに、追い詰められたのが虎だった場合、逃げるのだけが得意な鶏に勝ち目があろうか?
 そうして妙に硬質な声で放課後、裏門のところで待ち合わせをする旨を述べた峰藤に頷くままに、約束は交わされたのだった。



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