五十一話 / おいでませ伏魔殿


 脅迫され、威圧され、首絞められかけて、辿り着いた学校は、私にとって地上の楽園だった。
 流石に魔王も最後の涙には怯んでいたようだったが、その後の腫れ物を触るような胡散臭い態度もそれまでの恐怖体験を思えば到底、帳消しに出来るものではない。
 ようやく昼休みをむかえたが、全身の筋肉が退化してしまったように力が入らず、消耗しきった肉体と精神を抱えながらも、私はゆっくりと歩を進めていた。よろめきながらジグザグ歩行する私に、廊下で談笑していた生徒は訝しげな顔をするが、すぐに見てはいけないものを見てしまったかのように視線を外す。
 しんどい、今すぐ帰りたい、疲れきった脳みそが今にも腐って溶けだしそうだ。
 そんなセミゾンビな私に覆いかぶさるように降ってきた重量感。それは新たなる災厄の前兆である。
 煌く金髪がさらりと揺れ、柔らかい猫っ毛が私の頬をくすぐった。不意に首筋を掠めていく生暖かいものが何なのか、鈍った私の頭では認識できなかったが、ぎゅう、と音が出るくらい――そして足が地面にさようならするぐらい――強く抱きしめられた結果、私のなけなしの精気が更に搾り取られてしまったことは言うに及ばない。私は雑巾になった覚えはないのにもかかわらず、だ。
 史上最強のKY男(空気なんてもの読む気もない! の略)、桂木拓巳はその厚い胸板を喜びいっぱいに膨らませて、見事な腹式呼吸で美声を披露した。出来ればもっと音量は抑えて欲しかったところだが、そんな私のささやかな願いなんて聞き届けられたためしはないのだ。

「Guten Tag だ! Mein Schatz! この俺が自ら会いに来てやったぞ! 死ぬほど嬉しいだろう? ほら、遠慮せずに光栄でございます拓巳様、とむせび鳴くがいい! ほら、鳴け! 高らかにブヒブヒと鳴け!」

 ――これって完璧にイジメですよね?
 もはや抵抗する気力も無くて私は、なすがまま、きゅうりがぱぱ状態である。きゃっきゃと欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する桂木に揺すられながら、私は死んだ魚の目で遠くをみつめた。
 暫くの間、桂木はぐりぐりごりごりと私の軟骨が鳴るぐらい力任せにじゃれついていたが、あまりにも無反応な様子に気づいたらしい。えいやという掛け声と共に視界が反転すれば、不思議そうに細められた翡翠色の瞳とグーテンモルゲンすることになった。じぃっと注がれる熱光線にも私は微動だにできない。その距離が段々と縮まり、立体感のある唇が、吐息を感じられるほど近くに迫る――ってアブねッッ!
 乙女の貞操の危機を感じた私は息を吹き返し、顔を横に逸らすことで桂木の口付けを回避する。それでもぶちゅうと頬に桂木の唇が激突した衝撃で、私はむちうちになりかけた。
 桂木は不満そうに眉を顰めると、頬を膨らませる。
「……なぜよける。俺の熱いキュッセンが受けられないのかっ!」
「当たり前じゃないですか! そもそも何で唐突にキスしようとすんですか、この痴漢!」
「痴漢とはなんだ! ただ単に目覚めさせてやろうと思っただけだ!」
「ファンタジーやメルヘンじゃあるまいし、キスなんかで目覚めてたまるか! 他にいくらでも違うやり方があるでしょうが! ――って、胸を揉まないでくださいよ、変態!!! ヒィィィィ! 先生、せんせいっ、助けて!」
 通りすがりの東山先生を視界の端っこに捉えると、私は力の限り助けを求めた。
 いつの間にか二次災害を恐れた生徒たちは教室へと避難をしていたし、嫌そうな顔で立ち止まった東山先生の表情には係わり合いになりたくない、とはっきり書いてある。それでも生活指導の先生らしく咳払いをひとつすると、東山先生は威厳のある声を出した。
「まぁ、その、なんだ桂木……さすがに白昼堂々、女子高生の胸部を揉むのはアウトだろ。いい加減にしねぇと訴えられるぞ? くれぐれも風紀を乱すような真似はやめとけ。な?」
「もちろんだとも、先生! 今だって人命救助をしていたところだからな!」
 へぇえ、と東山先生の白けた視線が桂木の手元へと集まる。
 桂木はそれを受けて、怯むどころか益々胸を張り、堂々とのたまった。

「これは心臓マッサージだ!」

 公衆の面前で乳揉まれて、もう、貞操どうこうの話じゃないと思いました。



 もうお嫁にいけない。
 しくしく、さめざめと沈み込んでいる私に、桂木はあっけらかんと言う。
「泣くな辛気臭い! 心配しなくてもちゃんと俺がもらってやるから安心しろ!」
「……まったく安心できもしないフォローを有難うございます。八十歳ぐらいになっても貰い手なかったら、そんときはお願いします」
「うむ、くるしゅうないぞ! よきにはからえ!」
 言外に謹んでお断りしているのに気づいていないのか、どこまでも自己中心的な馬鹿殿は、機嫌よさそうにカレーパンにかぶりつきながら笑う。
 なんやかんやで、桂木に担がれるようにしてつれてこられたのは生徒会室で、一緒に昼食を取ることになってしまっていた。いつの間にか運び込まれていた豪華なソファに腰掛けながら、私は熱い紅茶をすする。紅茶は珍しく桂木がサービスしてくれたのだが、相変わらず壊滅的な性格に反して美味である。
 ふぅ、と一息ついた私の頭をかき混ぜながら、桂木はソファに腰を沈めた。
「時にお前、最近、藤とおててつないで仲良く登下校してるらしいな――何か厄介ごとか? 楽しそうな予感がぷんぷんするぞ。俺を仲間はずれにするとはいい度胸だな! 俺も一枚噛ませろ!」
 危うく紅茶を噴出しそうになりながらも、体を乗り出した桂木に乞われるままに、私はこれまでの経緯を説明した。すると、楽しいの基準が一般人とは掛け離れている桂木の表情が目に見えて輝きだす。
「ふぅん、そんな愉快なことになっていたのか! 藤のやつ、この俺に一言も言わないとは不届き千万だな!」
「どこにどう楽しい要素があったのか、まったくもって理解できないんですけど」
 膝を叩いて悔しがる桂木を冷めた眼で見ながら、封印した今朝の恐怖体験が蘇ってきて私は泣きそうになった。そんな私の心中を慮るどころか、桂木は羨ましそうな視線を私に向ける。
「俺も藤んちには一度だけ行ったことあるが、あそこは楽しいぞ」
 それは、いったい、どういった意味で?
 ご家族が楽しい人ばかりなのだろうか、とふと思ったが、複数の峰藤浩輝があの厭味ったらしい口調で皮肉の応酬をしていたり、通夜のように辛気臭く食卓を囲んでいるような、危険すぎる映像が浮かんできて、私はそれを宇宙のかなたへと放り投げる。
「映画みたいな家で、そこら中が忍者屋敷みたいでわくわくした! 宝探しとかやったりしてな! 武器を手に入れるんだ!」
 木の棒を振り回している桂木が容易に想像できたが、いまいち、よくわからない説明である。幼少時の桂木らが思ったよりも普通の遊びをしていたことと、とにかくも大きなお屋敷だというぐらいしか解らない。どういう遍歴を経て、あの峰藤浩輝という人間が出来上がってしまったのか、そのルーツになった家族の存在は、紀子ほどにではないにせよ、怖いもの見たさ的な興味がまったく無いといってしまうと嘘になるが――まぁ、あの峰藤の厳戒態勢を思い出せば、行く機会は訪れないだろうし、それはあくまでも想像の範囲を超えないのだ。
 ぼんやりと考え込んでいれば、私を呼んでいるらしい声が聞こえてきた。
「おい、何をぼんやりしている。残念な顔が崩れて更に不細工になっているぞ、mein Schatz?」
「残念な顔ですみませっんねぇ! ……って、さっきからずっとひっかかってたんですけど、なんですか、そのマイシャツってのは」
 肌着の一種かなにかだろうか、あんまりいい予感はしなかったが、私が問いかけると、桂木は良くぞ聞いてくれた、とばかりにニヤリと唇の端をゆがめた。そのセクシーな微笑に一瞬、私は目を奪われる。

「――俺の愛しい宝物って意味だ」

 だばっ、と紅茶が口から出た。ものすごい破壊力である。

「キザアアアアアアア! 鳥肌立つのでやめてください! ハーフの会長にはわからないかも知れませんけど、日本人の私には耐えられません! 即刻やめてください! さもないと泣きますよ!」
 そのこっぱずかしい呼び名をどうにか改めてもらおうと、頓珍漢な脅しをかければ、なんだそれは、と桂木は柔らかく苦笑する。
「そうか? 残念だな――俺はけっこう気に入ってるのに」
 不意に伸びてきた大きな掌が、私の唇や頬をぐい、とぬぐう。
 ハンカチで濡れてしまった制服を拭いていた私は、唐突に触れられて言葉を失った。首を傾けた桂木はこちらをみつめ、頬杖をつく指が己の精悍な顎のラインを滑る。そして、私の頬から離れていく熱は、そっと桂木の口元へと添えられ、赤い舌がそれを舐め取った時点で、私は卒倒しそうになった。

「濡れてるぞ、口周り」

 ヒィィィィィ! という声なき悲鳴が漏れ、気づけば部屋の中にはむせ返るほどのピンクな空気が漂っている。感染元は言うまでもなく隣に座っている歩く十八禁男。そういえば、桂木から告白らしきものを受けていたことを私はようやく思い出した。
 冗談じゃなく身の危険を感じた私は、立ち上がろうと腰を上げたが、踏み出すと同時に後ろ足を引っ掛けられて転倒する。ソファに鼻を打ちつけて、私は涙目になりながら桂木を睨んだ。
「だから止めるにしても他に違うやり方が――ってスカート引っ張らないで下さいよ!」
「だって、逃げるだろうが」
 拗ねているような桂木の態度に少し戸惑いながらも、私は毅然とした態度を取る。
「じゃあ、唐突に触ったり、口説きスイッチをオンするのやめて下さい」
「好きな女に触りたくなるのは当然のことだろう」
「そういうのを、やめて欲しいと言ってるんですけどおおお!」
 なんなのこの人、こっちが超恥ずかしい。居た堪れない。これは新手の羞恥プレイか、それとも言葉攻めかなにかか。私にとってそれはいささか破壊力が大きすぎるのだ。

「――ふむ、しょうがない。唐突に触ったり、口説かなければいいんだな」
 半泣きになりながら訥々(とつとつ)と諭すと、桂木は詰まらなさそうな顔をしていたが、渋々、了承してくれた。ここに座れ、と促されて、少しばかりの抵抗感はあったものの、私は導かれるままゆっくりと桂木の隣へ腰を下ろす。かちんこちん、としゃちこばって座っている私の様子に、桂木は喉の奥を震わせた。その低い振動さえもがセクシャルで、それだけで逃げを打ちたくなったが、がっちりと右手を掴まれていたらそれも叶わない。それでも、一応、約束を守る気はあるのか、それ以上、なにかする素振りはなかった。
 私は終始、緊張感に支配されていて、いつもなら口数が多いはずの桂木さえ沈黙を守ったままだ。耐え切れずに、こっそりと様子を伺うと、ずっとこちらを向いていたらしい桂木と眼が合った。逸らそうにも逸らせず、蛇に睨まれた蛙状態だった私に、桂木は心から嬉しそうに顔を綻ばせる。なんとなく反射的に私も片頬を吊り上げたが、それは桂木とは比べ物にならないくらい引き攣っていたに違いない。その滑稽さに堪え切れなかったのか、桂木が腹を抱えて笑いだした。
 箸が転がってもおかしい年代の娘さんのようにきゃらきゃら笑う桂木を前にして、私は少しだけ緊張を解く。繋がれたままの掌とか、注がれる優しい眼差しの意味を、少しも考えないわけではない。自惚れかもしれないが、桂木は桂木なりに好意を示してくれて、それを跳ねつけることに微塵も罪悪感を感ずにいられるほど私は強くもない。だけど。それでも――。

「……桂木会長、ごめんなさい」
「阿呆、急に謝るな。お前は何か悪いことでもしたのか」
 いつもはちゃらんぽらんな癖して、こんなときだけすべてを見通しているかのような、聡い大人の男の顔をする。眉間に皺を寄せて俯く私の頭を、桂木は軽くはたいた。
「お前があのすけこましのことを未だに好きだというのは癪だが、俺はどうやらお前が好きらしいからな。俺にとってはこの感情がすべてだ」
 そう言って、桂木は一度、言葉を切る。
「俺は欲しいものを"欲しい"と言えない愚か者ではない。どうしても手に入れたければ、それの傷心につけこむことも躊躇しない。せいぜい肝に銘じておけ」
 付け込まれる側が可哀想じゃないですか、と私は小さな抵抗を試みたが、その抗議は桂木を不敵に笑わせただけだ。
「喫茶店に少しでも行きたくなったら言え。俺が"無理やり"引きずって連れて行ってやる――それで、とっとと吹っ切って、俺を好きになればいい――どうだ、それで可哀想じゃなくなるだろう?」
 自信満々に言い切った桂木の顔は晴れやかで、万人が魅了されるであろうほどに完璧な美を象っていた。私は呆気にとられながらも、実のところは彼らしすぎる青天白日とした態度に感心すらしてしまったのだ。
「……桂木会長のそういうところ、尊敬せざるを得ないというか……なんだか羨ましいです」
 呆れ半分、賞賛半分で弛んでしまう口元を意識しながら、私は自分の正直な気持ちを口にすれば、桂木はなぜか言葉に詰まり黙り込む。蓋をするかのように押さえられた桂木の口元が、何か、言葉にならない音を紡いだ。
「会長? どうかしましたか?」
 本来の桂木らしからぬ様子に私は不安になり、黙り込んだ桂木の顔を覗き込む。すると次の瞬間には、がしっと肩を掴まれて、デジャブを感じてしまうような空気が再びとぐろを巻き始めた。額から脂汗が流しながら激しく動揺している私の目を直視していた桂木は、少し掠れたハスキーな声で甘ったるく囁く。

「――なぁ、駄目か?」

 N A N I G A !?

 約束と違うじゃないですか、と私は桂木を刺激しないように表面上はやんわり、しかし内心は死に物狂いで訴えた。桂木は話を聞いているのか怪しいぐらいに上機嫌で、私に噛んで含める。
「俺は自分で誓った約束は破らないぞ」
 きっぱりと言い切った桂木は嘘を言っているようには見えず、私はとりあえずほっと安堵する。
 にっこりと汚れなき天使のような微笑を浮かべた桂木は朗らかに言い放った。

「唐突に触ったり、口説いたりしない――つまり、予告すればいいってことだ」

 謀られた、と悟ったときには既に遅し。
 私はこの死線を越えるべく覚悟を決めた。息を思い切り吸い込み、死ぬ気で手を振りかぶる――結果、満身創痍になりながらも命からがら逃げ出せたということだけご報告しておく。



 朝から殺されそうになり、昼には襲われかけた私は、完璧にやさぐれていた。
 それでも、時間というものはあっという間に過ぎてしまうもので、そろそろ恐怖の下校時間が迫っている。
 憂鬱な気分になりながらも、私は下駄箱で峰藤が来るのを待つことにした。靴箱を開けると、白い手紙のようなものが目に入る。首を傾げながらも取り出してみるとそれは和紙のようで、表には妙に雄々しい字で『峰藤浩輝』と署名してあった。びびりながらも中身を開いてみれば『裏門にて待つ、至急来られたし』と簡潔に書いてある。
 ……いったいどういうつもりだろう。この果たし状としか思えない手紙は。
 生意気なんだよテメェ! 歯ぁ、くいしばんな! とかなんとかいわれてリンチされそうなイメージしか湧いてこなかったが、私にはそれを無視するという選択肢は残されていなかった。深い溜息を吐きながら靴を履き替え、とぼとぼと肩を落としたままで私は裏門へと急いだ。
 それにしても峰藤も連絡事項があるのなら、携帯電話を使えばいいのに。今朝、一方的に電話を切ったことをまだ根に持っているのだろうか。
 冷静になって考えてみれば、その手紙は不自然すぎるものだったのだが、これまで受けてきた理不尽な扱いを思えば、これぐらいの違和感なんてあまりにも些細過ぎることだったし、だって桂木だから、だって峰藤だから、という理由でこの世の殆どの摩訶不思議が片付いてしまうのではないかとすら私は思っていたのだ――ネス湖のネッシーが実は峰藤だった、とか言われても私は驚かない自信がある。

 そんなわけで、裏門にまんまと誘き寄せられた私を待ち構えていたのは、黒光りのする高級感溢れる車で、その前に仁王立ちするスーツ姿のやけに強面の男。その鋭い眼光に晒された瞬間、私はそれが峰藤家の関係者であることを確信する。生存本能は逆らうことをあっさりと放棄して、気がつけば私は恐ろしいほどふかふかな後部座席に鎮座していた。運転席との間には仕切りが合って、向こうの様子はわからない。窓は可動式のようだったが、それを開くような勇気は私になかった。
 十分ほどたった頃だろうか、突然、後部座席のドアが開けられる。事態が少しでも好転することを期待して私は顔を上げたが、それがいかに浅はかで愚かな考えだったかを私は思い知らされた。
 ぬう、と幽鬼の様に音もなく現れたのは般若だった――否、般若そのままの表情をした峰藤浩輝だったのだ。
 ぎらつく双眸と、きゅうと限界まで寄せられた眉間の皺。その湧き出る殺意を押し殺そうとして失敗している裂けた口元。怒髪天を突く角さえも、にょきにょきと今にも生えてきそうな勢いである。
 そんな峰藤にめんちをきられて、私の心臓は五秒ぐらい停止した。
 そうして、車は静かに、しかし確実に、伏魔殿へと向かって走り出したのである。

 どれぐらい走ったのだろうか。
 車の中を占める圧倒的な威圧感だとか、緊張感で時間の感覚は既に麻痺している。
 峰藤の怒りはすさまじく、私は自分をただの路肩に転がる石っころだと思い込むことで、なんとかぎりぎり心の平静を保っていた。車の窓にはシールドが張られていたが、流れ行く景色を見れば、どうやら車は高級住宅街の中を走っているらしかった。立ち並ぶ大きな豪邸に目を奪われていると、ついに車がゆるやかに停止する。
 私が緊張感に顔を強張らせると、道中、ずっと沈黙していた峰藤がようやく口を開いた。

「――今この瞬間から、余計な無駄口は一切叩かないこと。約束してください」

 切迫した様子の峰藤に逆らえるわけも無く、私は首を縦に振る。
 峰藤は私が頷いた事を確認すると、外から開かれたドアの向こう側へと消えた。ここまできたら私も腹をくくるしかないらしい。
 女は度胸だと、勢いよく車から飛び出すと、開いたドアの傍らに立っていたのは先程とは別の男だった。妙に強面かつ眼力が鋭いのはもはや峰藤家のデフォルトなのだろうか。
 目の前にそびえ立っている立派な屋敷の門は見事な日本家屋で、重厚な雰囲気や造りがその刻んできた年月を容易に想像させる。
 やっぱり、峰藤はお金持ちだったのか。すごく古くて大きな家だなあ。
 庶民のミーハー感覚がむくむくと頭をもたげ、自分のいま置かれている状況も忘れて、私はまじまじと家を観察した。すると、門かかっていた立派な表札が目に留まり、私はそこに書かれている文字に首を捻る。その意味を峰藤に尋ねようとした瞬間に、扉が開け放たれ――その向こうは広がっていたのは別世界でした。

「――ッ、坊ちゃんッ、お帰りィなすって!」

 妙に巻き舌、かつドスがきいたド迫力の挨拶に出迎えられ、私は危うく腰を抜かしかけた。開けた門から玄関まで続くのは、腰を直角に曲げて頭を下げる漢達の花道である。絶句している私を尻目に峰藤は深い息を吐き、ただいまもどりました、と声をかけながら花道を進んでいく。一番手前で腰を折る男の左手小指第一間接から先が、びっくりイリュージョンしているのを発見してしまって、私は本当に気を失いそうになった。

 ――映画っていうか、むしろVシネじゃん?

 とても不親切な説明をした桂木を逆恨みしながらも、私は震える足を踏み出す。
 兎角にも、"おいでませ伏魔殿"といったところである。



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