五十二話 / 華麗なる眼鏡族
ここは城か寺か何かだろうか、と錯覚するほど広い屋敷の廊下を私は進んでいた。
目の前には息苦しいほどの緊張感を背負って進む阿修羅――もとい峰藤浩輝。そして背後から急き立てるように聞こえてくるのは、私を車で迎えに来た強面の男の足音である。そんな恐怖のサンドイッチ状態で連行されながらも、私は長いコンパスの阿修羅に遅れないように必死で短い足を回転させた――はぐれたり遅れたりしたら最後、本気で生きて帰れる気がしない。
高い塀にぐるりと囲まれた峰藤邸の中には、見事な日本庭園が広がっていた。完璧な造詣を誇るそこは見るものの目を十分に楽しませるものだったが、それに見とれる余裕なんて私にあるはずが無く、そして先程から角を何度も曲がったりしているが、一向に目的地には辿り着かない。
「忍者屋敷」という桂木の言葉をぼんやりと思い出していると、何の予告もなしに峰藤が立ち止まった。慣性の法則に従って猪突猛進マシーンと化していた私は思いっきりその背中にタックルをぶちかます羽目になる。
溺れるものは藁をも掴む。
私は目の前のものに死に物狂いでしがみつき、庭に転げ落ちるのをなんとか回避した。ほっと胸を撫で下ろしていると、顔面にぐさぐさ突き刺さるのは強烈な視線。恐々まぶたをこじ開ければ、まず始めに驚愕の表情を見せる男と、そして左側からは覗き込む一対の瞳と目が合う。
日本人形みたいな子、私が持った第一印象はそれだった。
切りそろえられた黒髪が揺れて、そこから覗く切れ長の目は凛とした光を宿している。小さく整った唇はきゅっと引き結ばれ、歳の割には妙に鋭い眼光がちらりと品定めをするように私の全身をひと撫でした。その視線がある一点で留まり、私もそれに釣られるように目線を下げる――わたくしめの腕が、何か貴方様の興味をひきましたでしょうか?
首を傾げながらもへらりと愛想笑いをすると、極寒のつららを思わせる声が至近距離から振ってきた。
「――いい加減、自力で立ったらいかがですか」
嫌な予感がして顔を上げれば、怒りのためか青白く、能面のような顔をした峰藤がこちらを睥睨している。気づけば、私の腕は峰藤の細腰に回され、倒れたときのままで体重を預けきっている状態。傍から見ればべったりと抱きついているように見えなくもない――っていうか掴んだのは藁じゃなくて阿修羅だったのですか。流石に選べよ私!
「ひぎゃああああ!!!! すみませんすみません!!!!」
襲ってきた絶対的な恐怖に私は奇声を発しながら上体をそらしたが、背後にいるのはぶつかりでもしたら逆にこっちが複雑骨折しそうな恐い顔の男。可憐な美少女なんて巻き添えにするなんてもってのほかである。
前門の阿修羅、後門の怖い顔。そして美少女。
そうした混乱の元、咄嗟に体を捻った私の目前に迫るのは真っ白な障子――結果、私はベタなコントよろしく高そうな障子をぶち破り、室中へ倒れこんでしまったのである。
「なんじゃいおんどれッ! いったいどこの組の鉄砲玉やッ!」
ドスのきいたしわがれ声が浴びせ掛けられ、私は障子をお布団にしながらも凍りついた――しゃれにならない。冗談じゃなく私はここで土くれに還ってしまうかもしれない。どすどすと近づいてくる足跡に私は辞世の句を唱え始めたが、その緊迫した空気を吹き飛ばしたのは誰かの快活な笑い声だった。
「おいおい赤司(あかし)、テメェの目は節穴か。その嬢ちゃんじゃ、鉄砲玉どころかパチンコ玉にもなれやしねぇよ」
からかうようなその口調と声には聞き覚えがあった。
おっかなびっくりで顔をあげてみると、バーサク状態のとてつもなくいかつい人がこちらを威嚇している。そして視線を移せば、まるで江戸時代の大名のような姿勢で、肘置きに体を持たせかけている老人が座っていた。その身を包むのは鶯色をした光沢のある和服だ。
「――よう、嬢ちゃん。いらっしゃい。よくきたな」
愉快さを隠そうともせずに、老人は場違いなほど穏やかな歓迎の言葉を述べる。私はその人物を認識し顎が外れるぐらいに驚いた。
そこにいたのは、私の猫好き仲間であり、友人でもある瀧川辰之進だったのである。
クックッ、と堪えきれない笑みを漏らしながら、辰さんは掌で顔の半分を覆っている。その辰さんを上座に据え右側に控えるのは敵意に満ち溢れた目でメンチを切る、どっからどうみても堅気には見えない男。そして私の隣に存在してしまっているのは更に不快度指数うなぎのぼりな峰藤である――鬼の棲家とはこのことか。
疑問や聞きたいことは頭の中でとぐろを巻いていたが、口を開こうとするたびに男の指が怪しげに蠢き、骨折してませんか? 大丈夫ですか? と問いかけたくなるぐらい不穏な音が関節から聞こえてくる。こんな本能的恐怖を煽るバックミュージックサービスは全力で遠慮したいところだ。
しかし、何よりも私を不審に思わせたのは峰藤の態度だった。
傍に居るだけで鳥肌が立つほど機嫌が悪いことに間違いは無かったが、不思議と峰藤の立腹は直接私にぶつけられなかったし、それどころかこの屋敷に入ってから峰藤は私の存在を意図的に無視しているようにも思える。障子をぶち破ったことひとつをとっても、「貴方が破壊した障子の代役にそこで風よけになってください――永遠に」ぐらい普段の峰藤ならいってしかるべきではないか。ぶるぶる。あなおそろしや。
さっきの廊下での一言を除けば、嫌味どころか鋭い視線の一つも向けられないなんて、車内でのイメージトレーニングが功を奏し私は本当に路肩の石ころにでも進化したのだろうか。
私が不可解に首を捻っていると、ようやく笑いを引っ込めた辰さんがひとつ咳払いをし、ざらりと顎をなでた。
「しっかし、嬢ちゃんには度肝を抜かれたぜ。俺が生きてきた中でも両手の指に入るぐれぇ派手な登場の仕方だったな――そういやあ、この赤司が始めてこの組に来たときも同じくれぇ愉快だったか。そうだな赤司」
「おやじさん、あんときのことは言わねぇ約束だ」
こちらを睨んでいた男――どうやら赤司という名前らしい――は照れ隠しに目を伏せて苦笑いをする。その畏まった態度や声からも辰さんに対する敬意と親しみが感じられて、顔は犯罪的に恐いけどそこまで悪い人ではないのかもしれない、と私は認識を改めた。
赤司は仕立てのいい白のスーツを纏い、長い足を無造作に折り曲げながら胡坐を組んでいた。大柄な身体には他者を圧倒するような雰囲気があり、その眼光に射すくめられたら、人は鋭い刀を突きつけられたような気分になるに違いない。厳しい年月を経てきたことを感じさせる顔立ちは精悍で、刻まれた無数の古傷も恐いイメージを引き立てるのに一役かっているようだった。
じいと観察してた私に気づくと、赤司は緩めていた顔を引き締め、今にも切りかかってきそうな形相になる。私はすんません、すんませんと目で訴えて首が寝違えるほど強く視線をそらした。なぜ、ここまであからさまな敵意を向けられているのか私にはとんと解らない。確かにエレガント、とは口が裂けてでも言えやしない初対面ではあったが、こんなに激しいいてまうどオーラを出されるほど恨みを買った覚えはない筈だ……願わくば。
そんな赤司の様子に気づいた辰さんは、呆れたように溜息を吐いた。
「こら赤司、てめぇみたいな不景気なツラした野郎が凄んだら嬢ちゃん泣いちまうだろうが」
辰さんに咎められた赤司は渋々と睨むことをやめたが、私がほっと安堵すると、口がいがんで犬歯が覗くほどの鋭い舌打ちが飛んでくる。怖っ! 感じ悪っ!
「すまねぇな。嬢ちゃん。ちぃとばかし人見知りするやつでな。これでも慣れりゃあ愛いところもある野郎なんだが」
人見知りとかいう次元じゃなくない?
眼光のみで人殺せそうな相手を可愛いとか言ってしまう辰さんの感性に私は戦慄したが、隣の峰藤の表情を見るに、私の感覚は狂ってはいないらしい。
「――見受けるに彼女とは初対面ではないのですか」
今まで黙り込んでいた峰藤が口を開き、辰さんに疑いの眼差しを向ける。ぴしり、と空気を裂くような緊張感に私をは息を止めたが、辰さんはのんびりとした口調で目を細めた。
「へぇ、俺みてぇなやくざもんと堅気のわけぇ娘さんとの接点があるとしたら、聞いてみてぇもんだな。それに嬢ちゃんみてぇなべっぴんさんに会ってたら、俺の老いぼれた頭だって流石に覚えてらぁ――なぁ、嬢ちゃん?」
そこで私に振るのですかぁぁぁあああ!?
悪戯っぽく微笑まれ、私は顔面蒼白で声無き悲鳴をあげた。辰さんが私と既知だったことを峰藤に伏せたがっていることは明白だが、その言葉を受け、前を向いていた筈の阿修羅が四百五十度くらい顔を回転させてこちらを見ているではないか! 嘘でもついたらなぶり殺されそうなプレッシャーに押しつぶされながらも、私は極限状態で自分の友情を守ることに成功した。
「初対面で……だ、だと思います。たぶん」
峰藤の懐疑的な眼光が鋭さを増し、それは私の薄っぺらい嘘などお見通しだと言いたげである。しかし、そんな私の曖昧な態度に反応したのは赤司だった。
「てめぇ、なんだその腑抜けた返事はぁ! 質問してんのを誰だと思ってやがる! その腐れはらわた引き摺り出して塩辛にされてぇのか!」
「赤司!」
辰さんから鋭い叱責が飛び赤司は口を噤む。辰さんは節くれだった右手で頬をかきながら、妙な迫力のある半眼で赤司をねめつけた。
「ちぃとばかし、声がでかすぎるぜ。俺の耳はそんなに遠くねぇ筈だったが――なぁ」
刹那、はりつめた空気に赤司は観念したように頭を下げる。
「おやじさん……すいやせん」
「このスカタン、謝る相手が間違ってらぁ。すまねぇな嬢ちゃん。このバカの無作法な真似を勘弁してくれねぇかい」
眉尻をなだらかに下げ、申し訳なさそうに目を伏せた辰さんに、私は首がもげるほど激しく頷いた。正直に言えば失禁しそうなほど恐くて、こちらこそ許して欲しかったし、下手な受け答えをしたら、てめぇ、誰に頭下げさせてんだ、あぁん? というメンチを今現在も微塵切りにしている赤司に撲殺されて、極楽浄土へウェルカムな未来はいつでも手の届く距離に。
「てぇわけだ、浩輝。だからな、そこの嬢ちゃんを俺らに紹介してくんねぇか」
口元をにやりと歪めて、辰さんは峰藤に向き直った。それを受けた峰藤は厳しい表情を崩すことなく、冷えた声で跳ねつける。
「――その必要はありません」
「おいおい、むさくるしい男共に囲まれてる寂しい老いぼれに自分の惚れた女は紹介しねぇって腹か?」
「それは誤解だと何度も説明したはずですが――そちらが白を切るつもりなら、私もそれ相応の態度をとるだけです」
取り付く島もない峰藤の態度に辰さんは呆れたように鼻を鳴らした。
「浩輝ぃ、おめぇも案外、ケツの穴の小せぇ野郎だな」
「腹芸ばかりの古狸よりは遙かにましだと思いますが」
「はっ、違ぇねぇ!」
からからと心の底から愉快そうに笑う辰さんを前にして、私は剣呑な言葉の応酬に胃を雑巾絞りされているような気分だった。上機嫌な様子を見るに、辰さんは峰藤との会話を(一方的に)楽しんでいる節があるし、いつ峰藤に対して怒鳴り声を上げるかと戦々恐々だった赤司においては、静かに二人を見守っている――いったいぜんたいなんなのこの絶望的とも言える温度差は!
峰藤は表情筋をぴくりとも動かさないが、それでいて身体から陽炎のように立ち上るのは触れるものをすべて血祭りにあげてやろうという陰鬱な殺気。この殺伐とした峰藤の様子に気づかないはずなんてないのに、辰さんはにやにやと人の悪い笑みを浮かべるのみである。私がまっさきに精神的ストレスで喀血してしまいそうだ。辰さんは頭をひとかきしながら、嘆かわしいという見せ掛けのポーズをとる。
「しっかし浩輝。久しぶりに会った祖父に悪態つくたぁとんだご挨拶だな。ちっちぇえ頃は三つ指たてて、おかえりなさいましおじいちゃま、なぁんて愁傷な態度で迎えてもらったもんだがなぁ」
「下らない思い出話を掘り起こすのは痴呆の気があるからですか。減らず口叩く前に、今一度、そんな態度をとらせている自分自身を省みたらいかがです」
「おや、いうねぇ」
辰さんのまったく歯牙にもかけない態度に峰藤はさらに激昂したが、知ってしまった衝撃的な事実に、私は思わず叫び声をあげる――あの温和でダンディで素敵な辰さんが陰険さ極まりない峰藤浩輝のおじいちゃん!?
にやけていた辰さんは、二、三度、目を瞬かせると急に腹をよじって笑い出す。何に対して笑われているのか解らぬまま、私がおろおろしていると、峰藤の禍々しい声が空気を震わせた。
「何故、初対面の彼女がお爺様の名前を知っているのですか」
私は舌を噛み切って自決するか否か本気で考えた。
びたん、と音がするほど激しく掌で口を覆い、肩をわななかせている私を庇うように、辰さんは滲んだ涙を手の甲で拭いながら口を挟む。
「ほんっとうに飽きねぇ嬢ちゃんだな――畏まるのは性にあわねぇが"お初"に目にかかる。俺は浩輝の母方の祖父の瀧川辰之進ってぇもんだ。よしなに頼むぜ」
あくまでも初対面を貫く辰さんに峰藤はくっと顔を上げ鋭い口調で噛み付いた。
「いい加減、白々しいことはやめてください。堅気の人間に身分を隠して近づいたり、力づくで拉致するなんて、それが天下の瀧川組親分のやることですか――私はお爺様を軽蔑します」
峰藤は鋭利な視線で辰さんを見据えながら辛辣に吐き捨てる。辰さんは眉をきゅうと跳ね上げたが、口元は変わらぬ笑みを刻んでいた。しかし、聞き捨てならないと口を挟んだのは赤司だ。
「ボン、勘違いしてくれたら困る。今回の件はおやじさんが命じたんじゃねぇ。ボンをたぶらかしたスケのツラ拝んでやると言いだしたのは元を正せばこの赤司――だからおやじさんに対して暴言吐くのはお門違いだ」
「仮に赤司さんが言い出したとしても、それを止める権限を持ちながら傍観していたのは誰です」
「ま、俺だわなぁ」
峰藤のあてこすりに辰さんは悪びれずひょいと肩をすくめる。そして、いつの間にか手にしていた煙管を銜えながらぷかぁと紫煙を吐き出した。辰さんは煙がその身をくゆらせて天井に昇っていくのを漫然と見ている。そして咎めるように峰藤に名を呼ばれると、若いころの魅力を留めたままの相貌の中でもひときわ印象的な瞳がすっと細められた。
「だけどなぁ、浩輝。さっきからてめぇは何をそんなにびびってんだ」
かちり、と噛みあわせた辰さんの歯が煙管の金属を鳴らす。剥き出しになった犬歯がひときわ鋭く見えて、浮かんだ嘲笑のすべては峰藤に向けられていた。
「俺や赤司にあたるのはかまわねぇが、怖ぇからって阿呆みたいに喚き散らすのは小便臭ぇ小僧のすることよ――惚れた女に自分の素性を知られたくなかったかい。だからっていつまでも隠し通せるわけがねぇだろうが。てめぇが俺を軽蔑するのは勝手だがな。いい加減、みっともねぇ真似はやめて腹ぁくくれや糞餓鬼が」
静かだが恫喝するように峰藤をねめつけると辰さんはあむ、と再び煙管を唇に挟む。しかし動かぬ石像と化した私に目を留めると、ふっと表情を和らげた。
「わりぃな嬢ちゃん、客人の前で内輪の醜態さらすなんてこと、普通はしねぇんだが」
「い、いえ、あの、お気遣い無く!」
しゃちこばった腕をぶんぶんと振ると、それはありがてぇ、と辰さんは頬をゆるめる。
「嬢ちゃんには浩輝も世話になってるみてぇだし、一度はこのあばらやに招待してぇなとは思ってた矢先のあの騒動だ。まぁ、先方との話はついたから嬢ちゃんは何も心配する必要はねぇ。今日もこんな無作法な真似をする気はなかったんだが……赤司のボケナスとそこの小便タレの意地の張り合いに巻き込んじまったのは俺の責だ。許してくんな」
なにがなにやらでよく解らないが、私の手元に「辰さんを許さない」という選択肢は残されていなかった――ただ単に展開に頭が付いていっておらず、じっくりと考える余裕すらないといったほうが正しいが。
ごくり、と喉を潤しながら私はなんとか腹筋に力を入れる。
「許す、だなんて。確かにちょっとびっくりしましたけど、むしろ謝りたいのはこっちのほうです。峰藤副会長のお見合いを台無しにしたのは私、ですし、それにそのぉ……障子まで」
ちらりと横目で見れば、無くなった障子一枚分の日本庭園が室内から覗ける状態で、さっきからずっと冷たい風が遠慮無しに吹き込んでいた。辰さんは思い出したように白い歯をこぼす。
「なぁに、気にすることねぇよ。障子屋に頼めば瞬きしてる間に直るが、庭を眺めての接客も風情があってたまにゃ悪くねぇ」
そう言って微笑んでくれた辰さんの心遣いに感動しながらも、私もでへへ笑いをすると、その和やかな雰囲気に耐え切れないように急に赤司が立ち上がった。
赤司は凶暴な感情でたぎった双眸をぎらつかせながら咆哮する。
「もう我慢ならねぇ……おやじさんがどう言おうが俺は絶対にゆるさねぇ! このどこの馬の骨とも思えねぇクソアマのせいでボンの見合いがぽしゃった……あれは組の勢力拡大には最良の縁談だったにも関わらずだ! それを台無しにしておいて、最低、指でも詰めて詫び入れるのが筋ってもんじゃねぇのか! ボンはこの組の将来を背負って立つ器――それがこんなへらへらした間抜け面に骨抜きにされたかと思うと、この餓鬼の顔面刻んで海に沈めたくなるぜ!」
脳髄を揺り動かすような怒号に私は硬直したが、それに黙ってはいなかったのは峰藤だ。強い怒りで峰藤は全身を震わせる。
「我慢が――我慢がならないのはこちらの台詞だっ……! 何度も組をつぐつもりなどないと言ったのに耳をかそうともしないのは赤司、貴様だろうがっ! 勝手な期待も、周到な手回しもうんざりだ――人の人生を強制的に義務で縛り付けようとするのはやめろっ!」
「てめぇら、いい加減にしねぇか!」
辰さんの一喝がその場に響き渡り、睨みあっていた二人は対峙したまま動きを止める。私は口調が変わるほど強い感情を露わにする峰藤に驚いて声も出なかった。峰藤は厳しい表情で赤司を睨みつけていたが、呆然としている私の視線に気づくと、さっと表情を強張らせ顔を伏せる――なんだか見てはいけないものを見てしまったようで居たたまれない。
峰藤から目を逸らすことが出来なかった私は低く落ち着いた声をかけられて正座のまま数センチは浮き上がった。
「嬢ちゃん、わりぃが今日のところは席を外してくれねぇか。この埋め合わせは必ずするからよ」
苦笑を滲ませた表情でこちらを見る辰さんの申し出を断ることもできず、私は頷くと張り詰めた空気が漂う客間から抜け出す。峰藤の様子が気になって部屋を出る前に視線を投げかけてみたが、こちらをちらとも見ない峰藤の表情を読むことはできなかったのだ。
もやもやとざわめく心を抱えながらも、私は夕闇に染まる廊下を進んでいた。
しかし、その足取りは重たい心を反映したかのように鈍く、私は立ち止まってしまう。
深刻そうな家の事情に首を突っ込むのは気が引けるが本当にこのまま帰っていいのだろうか、と私は心の中で自問していた。
残ったからといって何が出来るわけでもないのは解っている。赤司に忌み嫌われているらしい私が居ては彼を更に逆上させるだけだが、私が原因の一端にもなってないとは言い切れなかった。そして、一番気がかりだったのは初めて目にした不安定な様子の峰藤だ。
どうすべきかと、頭を抱えながら唸り声を上げていた私は、ぎしり、と木が軋む音を聞いた。はっと顔をあげると、闇にぼんやりと浮かび上がる等身大の不気味な日本人形――軽くトラウマになるぐらいのホラー映像である。
叫び声をあげそうになった口を押さえながらもよく見れば、そういえばその顔には見覚えがあった。先ほど廊下で会った女の子だ。恐怖で顔を引き攣らせた私の様子を鼻で笑い、少女は遠慮無しに私の腕を引く。
「――そのツラ、少し貸して頂けます?」
その丁寧語、微妙に間違ってませんか? え? 私の気のせいかなぁ?
そんな突っ込みを入れたら呪い殺されそうな迫力を背負った美少女に、私は有無を言わせず顔を貸し出す羽目になったのである。
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