五十三話 / ワタシの大冒険! 指を守れ!


 狭い茶室の中に、しゃかしゃかと茶筅(ちゃせん)が、茶をたてる音が響く。
 私は段々と痺れてきた足を意識しながらも、じっと目の前の等身大の呪われた日本人形――もとい少女を見つめていた。
 優雅な動作で茶をたてる少女は、私の視線どころか存在まで忘れているかのような様子だし、格式ばった茶室に漂う緊張感に私は息を詰める。
 それにしても雰囲気のある少女だ。
 その古風な髪形や、見るからに質のよさそうな着物も、独特の空気を盛り上げていたが、何よりも、彼女の性格を体現したような凛とした所作と、静かながらも気性の激しさを感じさせる瞳に、私は強い既視感を覚える。
 無性に逆らいたいような、逆らったら恐ろしい目に会うような気持ちになるのは、ホワイ?
 そんな複雑な思いを抱えている私の気持ちを知ってかしらずか、さ、と目前に置かれたのは、これまたなんとも高そうな茶碗。
 ほっそりとした白魚の手が差し出され、私はそれを視線で辿った。そして、自動的に少女の敵意にあふれた目にぶつかる。私は脳みそからできる限りの処世術を搾り出してみたが、できる精一杯のことといえば、にへら、という腑抜けた笑みを浮かべることだけだ。
 それを目にした少女は、まるで害虫を見る目つきになったが、いつも峰藤の殺意にさらされている私にとっては、それは大きな脅威にはなりえない――嫌な感じで慣れてしまっている自分自身に嫌気がさしてきた。
 私は差し出された濃い緑色の液体に恐々と視線を落とす。なんだかこの敵意びしびしの態度からいっても、さらっと隠し味に毒仕込んでみました、と言われても驚かないが――だって鬼の住処だし、伏魔殿だし――飲むまで返してくれなさそうなのも確実だろう。
 ええい、毒を食らわば皿までっ! ままよ!
 ぐわし、と両手で高そうな茶碗を鷲掴むと、私は決死の覚悟で抹茶を煽った。
 苦い。壮絶に苦い。
 その緑色のアメーバーが気管に侵入し、噴出しそうになったところを必死に絶えて、私は一気に胃に流し込んだ。そして、抹茶と同じ顔色で私は畳に頭をこすり付ける。
「け、結構なお手前で……」
 頭の後ろに槍のような視線が突き刺さっているのは、もしかして口の周りが抹茶まみれになっているのが露見しているせいか。顔を上げられず土下座状態で震えている私に、呆れを含んだため息が聞こえた。おそるおそる顔を上げてみると、美少女はゆるりと首を振り、それにつられて切れ味のよさそうな髪が揺れる。私の視線はまるで催眠術にかかったかの如く釘付けになり、少女はその吸い込まれるような黒い瞳でゆっくりとこちらを見据えた。

「――貴方がお兄様のスケですね。私の名前は峰藤紗優(みねふじさゆ)、お兄様――峰藤浩輝の弟です」

 丁寧語の中に明らかなヤンキーワードが異物混入されている。
 私は幻聴だと思うように努力したが、最後の言葉だけはさすがに聞き捨てならなかった。まるで愛憎ドロドロサスペンス映画に出てくるような、爛れた女装の美少年が存在してしまうなんて、さすが華麗なる眼鏡族。
 そんな失礼千万な感想が顔に書いてあったのだろうか、紗優は不快感をあらわにして、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「冗談も通じないなんて、貴方、見た目を裏切らない素晴らしい脳味噌をお持ちのようですね」
 中身は美少女、されど峰藤が乗り移ったような物言いに私は血筋を確信した。
 そもそも無表情で冗談言われても、判断しようがなく、ね?
 刺々しい雰囲気を緩めるために、私はとりあえず声を搾り出すことにする。
「えっと、よく副会長、紗優ちゃんのお兄さんには同じこと言われてますけど」
「――貴方に"ちゃん"付けで呼ばれる筋合いありませんが」
 日本刀でばっさりと袈裟切りするような物言いに、私は這い蹲って許しを請う衝動になんとか耐える。どうやら妹さんは峰藤を慕っているようだし、恐らく彼女と誤解している私にも良い感情は持っていないのだろう。さっきの赤司といい、人のあからさまな敵意にさらされるとやるせない気分になるが、目の前の彼女に限っては、思春期かつ難しいお年頃だと思い込めば我慢できないほどでもない――だいぶ打たれ強くなっていた自分に乾杯。絶望的に嬉しくない。
「すみません……じゃあ、紗優、さん?」
 顔色を伺いながら小さな呼びかけてみると、イラッとした目で睨まれる。どうやら私は選択を間違えたらしい。これでも駄目ならどうやって呼べばいいのだろう。鋭い目に急き立てられるように脳味噌をぐるぐるさせたら、素晴らしい解決方法を思いついてしまった。

「紗優様……! これでどうですかっ!」

 胸を張るように言い切ると、彼女のしなやかな肩にそって流れる黒髪がぶわりと逆立ったような気がした。そのまま白目を剥きながら畳の上でも匍匐前進すれば、即ホラー映画で銀幕デビューできそうなぐらいの迫力である。その激情を押さえ込むためにか、掴んだ着物に皺が刻まれていたから、私はいろんな意味で気が気ではなかった。
 どうしよう。とりあえず、高そうな着物に皺がいってますよ、と指摘するべきか。しかし、どこに彼女を怒らせる要素があったのかさっぱり思い当たらない。
 脂汗をかきながらきょどきょどしている私の目の前で、紗優は傍らにおいてあった茶匙を真っ二つに圧し折った。お嬢様の突然のご乱心に私は恐怖のあまり凍りつく――まさか、これはお前の腕もこの状態になるぜ? という脅しなのだろうか!? あああ、あると思います!
 恐慌状態に陥った私の恐怖を煽るように、紗優の地を這うような声が耳朶を振るわせる。

「一体、何なんですか。これだけ初対面で馬鹿にされて虚仮にされて、何、間抜け面で謝っているんですか。正真正銘の阿呆ですか。貴方がそんなのだと、私がただの陰険な小姑のようではないですか」
「……ある意味、間違っていないと思いますけど」
「私が陰険な小姑みたいだと?」

 少しだけ緩んだ空気から言葉を漏らした私に紗優は邪眼を向ける。再び頬はものすごい速さで瞬間冷凍され、言い逃れは許さないと言いたげな目が、私の発言の意を追求する。私はてんぱりまくって申し開きをした。
「いえいえいえっ! いつも峰藤副会長に罵られているので、嫌でも耐性がついてしまった、と言いましょうか! 紗優……様が言われたみたいに、つくづくアホだなぁって自分で思うときも多いので!」
 しどろもどろで紡いだ答えは、到底、紗優の気に入るものではなかったようだ。彼女の眉間の皺は深くなっていたが、それでも私を糾弾する気は殺がれたのか、紗優は深い溜息を吐く。
「本当に調子が狂う人ですね。それに最初の呼び方で結構です。年下に敬称付けってプライド無いんですか」
「……どちらかというと、あんまり」
「真面目に答えないでください」
 口を縫って差し上げたくなるので、と押し殺した声で付け足した紗優に、私は口を噤む。性格と私に対する態度まで似てしまうなんて、げに恐ろしきは眼鏡遺伝子だ。自分の口を防御しながらふるふると首を振っている私に、このままでは日が暮れてしまうと思ったのか、紗優は苛立ちを押し込めてくっと顎を引く。
「――貴方をここに呼んだのは、お兄様のスケがどんな方か見極めたかったからです。人付き合いを避けてきたお兄様が人を傍に置くなんて空前絶後、驚天動地の事態です。それ以上に、お兄様とまともに付き合えるなんて、どんなしたたかな女かと思ってたら来たのはこんな」
 紗優はちらりとこちらに視線をよこす。その瞳には「こんなアホが来るなんて」と刻まれていたから、私は半笑いを浮かべた。そして、何度か峰藤が繰り返してきただろう台詞を噛んで含めるように繰り返す。
「あの、こちらの皆さんは誤解されてるみたいですが……私、紗優ちゃんのお兄さんの彼女さんではないんです」
「それでは、貴方はお兄様とはどのような関係なんですか」
 そう切り替えした紗優の疑いの眼に射竦められて、私はぐっと言葉に詰まる。
 関係ない――とか言ったらなんだか誰かに怒られそうな気がするし、あれだけ迷惑を掛けておきながら『知人』とでも言おうものなら舌を引っこ抜かれてもおかしくない、誰かに――その誰かは確実に眼鏡を装備してるわけだが。
 私は逡巡した後、とりあえず無難な答えをひねり出した。
「しいていえば、ただの先輩と後輩、だと思うんですけど」
「お兄様が"ただ"の後輩を傍に置くとは、私には考えられません」
 紗優は確信を持った口ぶりでそう言ったが、私になんと答えろというのか。
 確かに峰藤浩輝という人間は近寄り難い雰囲気を持っていたが、それでも周りには桂木や結城さんがいる。私は成り行き上、峰藤と関わってしまっているが、それは恐らく峰藤にとっても私にとっても本当に不可抗力というやつで、一見、血も涙もなさそうな峰藤は、瀕死で行き倒れている知人を見かけたら介抱するぐらいの面倒見のよさはあることを、今の私は知っているわけだけども。

「それがたまたま、最近は私だっただけで……それに本人も、知人がどこかで酷い目にあってると更に気分悪いから、できれば自分の目の前で酷い目にあえ、って言われたこともありますし」
 以前、文化祭のときに峰藤に言われたことを意訳すれば、紗優は絶句して言葉が出ないようだった。そして目の前に私がいることなんて忘れたかのように、ぶつぶつと独り言を漏らしながら考え込んでいる。
 どうやら峰藤のことを哀れんでいる様な言葉が聞き取れたが、紗優は意外にも苦労性な兄を心配しているのかもしれない。ただでさえ桂木という人類最大級のストレス製造機が傍にいるのだから、これからはなるべく峰藤に迷惑をかけないようにしなければならない、と私は改めて思った。残念なことに、私はまだ美少女に罵られて喜ぶところまで進化できていない。
 紗優は未だ険しい表情で物思いにふけっていたようだが、私は思い切って声をかける。
 あぁん? 邪魔すんじゃねぇ、というメンチに怯みながらも、私はごくりと唾を飲み込んだ。

「あの……峰藤副会長は大丈夫でしょうかね? さっき見た限りでは元気なかったみたいですけど」

 私の言葉に紗優は一瞬、驚いたように目をしばたかせたが、その表情は一転して瞳には揶揄するような光が宿る。紗優は胸の前で手を合わせ、こちらの胸のうちを探るようにゆっくりと首を傾けた。
「"ただ"の後輩である貴方が、なぜお兄様の心配を?」
 黒い瞳は何かを期待しているような気がしたが、私には紗優が急に機嫌を直したことに少しどぎまぎした。
「峰藤副会長には、これまでお世話になったような、ご迷惑をかけたような気がしますし、それに、なんとなくここまで巻き込まれた以上、ほうっておけないというか……」
 握り締めた拳にじんわりと汗が滲む。一字一句を噛み締めながら言葉を紡いだが、明らかな緊張で私の声は震えていた。紗優は微動だにせず私の目を覗き込んでいる。その暗く底なしの邪眼が、私の瞳を目玉焼きにするまであと一歩、といったところで、紗優はすっと目を細めた。

「そんな風に首を突っ込んで、お兄様の私的なことに踏み込む覚悟はあるんですか? 興味本位で聞けることでは無いですよ」

 憂いをたたえた表情は墨で描かれた美人画のように儚げだ。
 私の答えは当然決まっていた。

「覚悟はさっぱりありません。興味本位でした。ごめんなさい。聞かなかったことにして下さい」

 即決即断、全力で遠慮した私の顔の横を、なにかが光の速さで通り過ぎていく。背後でぱりぃんという音がしたけれど、私は怖くて振り返ることが出来なかった。御髪を振り乱しながらいきりたっている紗優を目の前に、私は次に砕けるのは私の骨だと確信する。私の肩には今現在、紗優の白魚の手がぎりぎりと食い込み、肩から下の血液は半分ぐらいは失われているのだ。
「何故そこで食い下がらないんですか? そこは本来、『かまいません。教えてください』というところでしょう。それとも貴方は恩人が悩んでいるのに見てみぬふりをして、自己保身に走る臆病な恩知らずだと?」
 そのとおりでございます、と答えられなかったのが、まさに私が自己保身に走る臆病者の証である。激情に燃える瞳を前に私はあまり呂律が回らず、脳味噌と舌が繋がっていないまま、つらつらと弁解した。両腕がかかっているからそりゃあ必死にもなるというものだ。
「だって……そこまでヘビーな華麗なる眼鏡族の内部情報を知ったらもう逃げられなくなるっていうか、むしろ呪われる様な気が」
 相手のひくつくこめかみに危険を感じた瞬間、肩の骨が砕けるかと思うほど紗優の握力も上がり、私の喉からは引き絞られた悲鳴が漏れる。
「いだだだだだ! というかっ! 私から聞いておいてあれですけど、やっぱり峰藤副会長のプライベートって、直接、本人の口から聞いたほうがいいかなって! ちょびっとだけ思ったんですっ!」
 みしみしと軋む骨が音を立てるのを止め、痛みのあまり目を瞑っていた私は、じいと紗優に見つめられていることに気がついた。
 紗優は虚をつかれたように、動きを止めていたが、数秒後には万力のような力が復活。自分の悲鳴をBGMに、ぎらついた猛禽類の目が至近距離で威嚇してくる――これってなんて生き地獄?
「私がそう易々と騙されるとでも思いましたか――お兄様本人に事情を聞けるほどの度胸が貴方にあるとは到底思えません。誤魔化したり、はぐらかすつもりなら肩の骨を犠牲にするぐらいの覚悟はできていると言うことですね」
「ひぃ!!! ききます!!! ききます!!! 直接、峰藤副会長に事情をききますってば!!!」
 必死さが伝わったのだろうか、紗優は猜疑の目をしながらもようやく私の肩から手を離し、私は迫り来る恐怖から一時的に解放された。出会って一日もたっていないのに、なぜ私の性格がこんなにもずばりと把握されてしまってるんだろう。
 私はつばを飲み込んで喉を湿らせた。怒っているミニチュアの峰藤浩輝――紗優と喋るのは、峰藤以上に神経を使う。
「あのぉ、でも、プライドの高い峰藤副会長が自分から私に悩み相談するとは、到底思えないんですけど……」
 峰藤が私に悩みをすすんで相談するなんて、桂木がこれまでの自分の行いを悔い改めて仏門に下ることぐらいあり得ないと思う。
 私がそれを訴えると、紗優は心得えているという風に頷いた。
「それは重々承知の上ですが、お兄様だって感情が無いサイボーグではありません。誰かに悩みを相談したくなるときだってある筈――私は見たこと無いですが――そして、貴方みたいな何も悩みごとのなさそうなスカタンだったら、お兄様のストレスを多少は緩和することぐらいはできると思いますが」

 相談に乗るっていうか、むしろ人間サンドバックになれと仰せなんですか? 確かに気の利いたアドバイスをひねり出すよりは、現実味のある提案ではあるかもしれんけれども!

「私だって悩みぐらいはあるような気がするんですけど……」
 悲壮感に満ち満ちた表情で、弱々しくこぼした私に、紗優はなんでもないことのようにさらりと言う。
「それでは、お互いに悩みを相談しあえばいかがですか? 相手の警戒心を少しでも解くためには、自分の弱味や秘密をさらす事が得策。それに、お兄様だったら合理的なアドバイスで貴方の悩みなんて直ぐに解決してくれます」
「謹んでお断りさせていただきます」
 なんだ眼鏡の悩み相談室って、どう考えても拷問か断頭台的なイメージしか沸いてこない。あのきっつい口調で悩める子羊たちを一刀両断に殺戮、または処刑――死して屍拾うものなし。
 ぶるぶると慄きながら断った私に、紗優は鼻白んだようだが、威圧感のある表情で、私に言い含めた。
「それならけっこうですが、お兄様の相談に乗ると言ったのは貴方ですから――約束して下さい」
 さもなくば呪いをかけると脅したのはどこの日本人形だ、と思わなくもなかったが、神妙な面持ちで小指を差し出した紗優に、私は年相応の初々しさを見た気がして、ほろっと気が緩んだ。
 紗優も彼女なりに峰藤を必死で心配しているのだろう。
 峰藤から悩みを聞きだして相談に乗る、なんて無茶振り過ぎるが、当たって粉砕されて血みどろになるぐらいの覚悟で取り掛かればもしかしたら出来るかもしれない。
 私は腹をぎゅぎゅっとくくると、紗優の細い小指に自分のそれを絡めた。
 紗優は初めて穏やかな(それでもちょっと怖い)笑顔で、ゆっくりと手を振りはじめる。朗々とした声が約束を紡ぎ、私の血の気は音が聞こえるぐらいひいた。

 『指詰めげんまん、嘘ついたら、指いっぽん、詰ぅめる。指詰める』


 そうして、伏魔殿から脱出した私の指一本をかけた戦いが、今ここに始まろうとしていたのだ!
 極力冒険風味にして現実逃避してみたが無駄な努力なのだ!



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