五十四話 / 旅は道連れ世は情け
私の大切な指をかけた戦いが今始まろうとして――いなかった。
伏魔殿に拉致されるのを防ぐという目的が、ものの見事に破られてしまった現在、必然的に私と峰藤の朝夕の登校はご破算になっていた。
だから、私は不本意ながらも峰藤を探し回って三千里していたわけだが、本当にそんな眼鏡生物体がこの学校に生息していたのかと疑いたくなるほど、校内で峰藤の姿を見ることはできない。
あれ、峰藤浩輝副会長って、邪悪な座敷童だったんだっけ? あるいは学校の怪談に登場するだけの眼鏡妖怪にすぎなかったのだろうか、と私は半ば信じかけていたが、クラスメイトと思しき先輩に話を聞くと、
最近の峰藤はまじで機嫌悪いから触らぬ峰藤に祟りなしだぜまじで。
と、まじでを二回言った挙句に、とても情感のこもった様子で諭された。それだけでこのクラス内が人外魔境化していることが想像できすぎて、私はげっそりする。そんな状態の峰藤を捕まえて悩み相談室をするなんて、気が立ってるツキノワグマに、空気読まずにタックルかますぐらい無謀な行動じゃないだろうか。下手したら目が合っただけで、消し炭にされそうだ。目に殺人ビームとか余裕で標準装備してそうだし。くわばらくわばら。
私は放課後の廊下で一人、カラスの鳴き声を聞いていた。窓から見えるオレンジ色の太陽は、眠りにつこうと山の向こうに沈みかけている。
――なんというか、避けられているのかもしれない。しかも、とてもあからさまに。
これだけ積極的にエンカウント狙っているのに、その影を踏むことさえ出来なければ、いくら私といえども流石に気づく。なにか私が気に入らないことをしでかしたのだろうか、という自問には、心当たりがありすぎて胃がきりきりと痛くなった。
しかし、私が気に食わないことをしでかした場合、通常の峰藤なら
『目障りだから即刻、その存在を自らの手で、この世から消し去ってください。私も微力ながらお手伝いしましょうか?』
とかなんとか悪い顔しながら言う筈であるし、こんな逃げ隠れするやり方は彼らしくないように思えた。あるいは顔を見るのも嫌なほど怒り心頭ということなのか……どちらにせよ、あまりすすんでは会いたくないことにかわりははないが。
その時、ぶるる、と震えた携帯に、私はぴきんと背筋を伸ばす。恐々と爆発物を扱うような気分で視線を落とせば、その文明の利器はメールの受信を知らせていた。しかも出血大サービスで三通も。
送り主がわかってしまったところが更に恐怖を煽った。私は生唾を飲み込みながら、決死の覚悟でメールを開く。
『例の件の成果はどうですか。ところで、質問なのですが一番不要な指ってどれですか? 個人的には小指だと思ったのですが、薬指というのも可能性として捨てきれないと小耳に挟んだので――』
こ、こえぇええええ!!! というか、実際に誰かに聞いたとか……生々しすぎて笑えない!!!
私はその淡白ながらも禍々しい妖気が漂う文面に、最後まで読むことが出来なかった。力が失われた片手から落下した携帯が、かつんとリノリウムの床にぶつかる。残りのメールも似たり寄ったりの内容に決まっているし、心のそこから読みたくなさ過ぎる。
あの日、紗優ちゃんは、私に向かって妙に威圧的な態度でアドレス交換を強要し、定期的にこのような脅迫としか思えない長文メールを送ってくるのだ。しかも、私が返信するまで延々と送り続けてくるというのだから精神衛生上とてもよろしくない。そもそも、背筋も凍る指詰め談義に対して、どう返信すればよいのか。私の事を、自分の身に降りかかるかもしれないグロトークで和気藹々と盛り上がれるマゾヒストだと誤解している節がある。そういう恐ろしい間違いはなんとしても正さねばならないのだ。
私は廊下の上でリズミカルに震えはじめた携帯を思い切って指先でつまみ上げ、とりあえず『どの指もひつようだと思います』と返しておいた。これが彼女の良心の種になってくれることを願いながら。
それだけで心身ともに疲れ果ててしまい、私は打ちひしがれながら黄昏ていたが、その時、うっとりするぐらいの美声が私の名を呼ぶ。しかし、魅了されるような心の余裕も無く、私はその人物を死んだ魚の目で見つめ返した。ぶつかった瞳は透き通るグリーンで、私はふっと生暖かい水の中にいるような気分になる。
「なんだシャッツ、その腐りかけの納豆のような辛気臭い顔は? 一人でゾンビごっこしてるのか? 両手挙げてあーあー言ってみろ! 俺が特別に付き合ってやってもいいぞ! バックドロップ係でな!」
納豆はもとから腐ってる、もとい発酵食品ですから! というか、自分がバックドロップしたいだけですよね? そんなつっこみは、お約束で心の中のみで留めておくに限る。口にしたら確実に一発はかまされるに違いない。
その神の贔屓のひきたおしとしか思えないほど整った顔にゆるりとした微笑を浮かべ、しなやかな肢体で立っていたのは、我らが傲岸不遜な生徒会長――桂木拓巳だったのだ。
桂木は目も眩まんばかりの煌びやかな雰囲気を身に纏い、悠々とした動作で近づくと、私の目の前で静止した。ぐったりしていた私の頭の上に、暖かくて大きい掌が重ねられる。そのほっとするような体温に油断してしまった私に向かって、桂木はにこりと花のように綺麗な笑顔を浮かべた。そして、私の左の瞼にはそっと柔らかい唇が寄せられる。
刹那、私は息を止めたが、次の瞬間走った激痛に、ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタなみに身を捩った。
あろうことか、桂木拓巳は私の目の玉を瞼の上から吸引し始めたのである。激痛と眼球がもげそうな恐怖感に阿鼻叫喚しながら、私は高性能人間掃除機の胸板をぐいぐい押した。それこそ死にものぐるいの勢いで。
「痛いっ! ほんっとうに痛いし、めんたまとれますっ! 冗談じゃなくて、まじで!!!」
「へいへいのひらろうにはひはくはいのは」
吸い付きながら喋ろうとするから、その生暖かい吐息と唇の感触に私は憤死しかけた。
極度に接近している桂木と私は、端から見れば抱き合っているようにも見えたかもしれない。しかし、私の腰を鯖折りすべく締めあげる桂木の腕や、私の瀕死の抵抗をみればエマージェンシーは一目瞭然だ。私の死の淵からのSOSは、基本的にかかわり合いたくない生徒、先生たちにもののみごとにスルーされてしまった。
これがまさに、渡る世間は鬼ばかりか! かどのたくぞうじゃねぇよ!
世の中の世知辛さを体感しながら私が遠い目をしていると、ようやく飽きてくれたのか、桂木が私の眼球を解放する――桂木がスッポンじゃなくて人間であったことに感謝する日がくるとは思いも寄らなかった。
私はえろい仕草で唇を拭っている桂木から思い切り距離をとると、自分の左目に手をやる。ちょっと目の玉が飛び出ているような感触は気のせいだとしておこう。本気で涙ちょちょぎれるから。
ぎゅむぎゅむと優しく目を押し込みながら、私が恨みがましい視線を桂木に向けると、やつは残念そうに唇を尖らせた。
「なんだ、シャッツ、平成の鬼太郎になれたのに、そのチャンスを棒に振るとは、不届き千万なやつめ! あるいは丹下段平でもいいぞ?」
「どこの誰が、親が目玉の剛毛妖怪とか出っ歯で濁声の拳闘トレーナーになりたいっついましたかっ!」
「お前、鬼太郎フリークと丹下段平信者に宣戦布告するとはいい度胸だな。しかたがない……百歩譲ってシャチでどうだ?」
「どうだじゃないわ、このオタク!!! ……って、すみません。いだいです。まじでいいすぎました。なまいきなくちたたいてごめんなさい」
ふん、わかればいいんだ、と桂木は私の頭を握りつぶそうとしていた手をごきごきと鳴らす。疲労困憊している人間の眼球を吸い込んだあげく脳味噌ばーんさせかけたというのに、このふてぶてしさはいったい。お前の血の色は何色だ! レインボーでも驚かないぞ!
私は涙目で桂木を睨んでみたが、桂木の鉄壁の美貌に一筋の傷をつけることさえ叶わない。桂木はそんな私の恨みつらみなんて何のそので、艶然と微笑むのだ。
「さぁて、シャッツ、トラブルか? この俺が快刀乱麻で解決してやろう! 任せておけ!」
ところで、その何の根拠の無い自信はどこからわき出ているのだろう――自己発電? 道理で!
私は素手でとっつかまった十姉妹のような気分で、自称名探偵の前でさえずるしか道は無かったのだ。ぴよぴよぴよ。
「というわけで、峰藤副会長の悩み事を聞き出さないと、私指詰めなきゃいけないんです……あの、ですから会長、笑わないでくださいますか」
私が話している途中、桂木は何度も突然吹き出したかと思うと、高らかに哄笑して話の腰を叩き折ってくる。
清々しいまでのBAKAUKEっぷりである。
確かに指詰めとか口にしている時点でシュールなのだが、それが実際に身に迫っていれば、朗らかに笑って済まされる問題ではない。
腹を捩りながらバカ笑いをする無神経さに腹をたてながらも、桂木だったらこういう事態でも高笑い一つで難なくクリアしてしまうんだろうなと思う。そんな行動力に溢れているところは素直に羨ましかったが、その美貌でもカバー仕切れない性格のどぎつさは矯正してしかるべきなのだ。誰だ、三つ子の魂百までなんて、今の私の希望を打ち砕くような諺を作ったのは。
桂木は目尻に滲んだ涙を親指で拭いながら、ふっと息を付いた。こちらをじいと見つめるエメラルドが少しだけ細められる。
「なるほどな、シャッツは藤の家に行ったのか。俺が言ったとおり楽しかったろう?」
「楽しいわけないでしょうっ! 危うく心臓が口から出るとこでしたよ!」
「シャッツ、緑の大魔王の出産シーンを再現するとは、俺はお前をナメック星人として初めて見直したぞ! ついでに、このデコッパチから触覚生やしてみろ! ほら、早いとこ出せ!」
「ぺちぺちと気安く額をたたくのやめてください! 私、節足動物でも、ナメック星人でもないので、触覚は無理です! 自分が来世に虫にでも生まれ変わればいいじゃないですか!」
「その手があったか……! シャッツ、お前、むやみやたらと心臓を口から出す以外にも取り柄があったんだな!」
「人をしょっちゅう心臓を出し入れしているクリーチャー扱いしないでください! というか、私、ものすごい酷い言われ様っ! ――冗談抜きで本当に困ってるんですから。なんか峰藤副会長にも避けられてるみたいですし」
荒い息を整え、暗い声で愚痴った私に、桂木は流麗な眉を跳ね上げ、馬鹿にするみたいに鼻を鳴らした。
「あんなネクラで陰気なオクラ男放っておけばいい。気が済むまで、一人で勝手にねばねばさせておけ。人に役立つ栄養分がない分、オクラにも劣るな」
私は峰藤に宣戦布告するような暴言を吐いている桂木を恐れ慄きながら見ていたが、そこまで言われてしまっている峰藤にもちょびっとだけ同情した。桂木に峰藤の相談に乗ってやらないのか? とは流石に口が裂けても言えない。これほどまで、お互いに悩み相談役として適さない人達っていないだろう。
だから、というわけではないが、強制されているという意思とは別に、峰藤に会わなければいけないかもしれない、という気持ちが芽生えたのは事実だった。
何故か不満そうに頬を膨らませる桂木に向かって、私はぐっと顔を上げる。
「だけど、峰藤副会長もほんきで様子がおかしかったですし……指がどうこうってのがやっぱり大きいんですが、なんとかどうにかしなきゃいけないとは思うんです。私に何ができるかはわかんないですけど」
拳を握り締めながら言葉を紡ぐ私を、桂木は腕を組みながらじっと眺めていた。そして、真剣な顔を美しく歪めながら、桂木は深い溜息を吐く。それはどこか呆れたような、諦めを含むものだった。
がしがしと蜂蜜色の頭を掻きながら、桂木は不機嫌そうな声で呻く。
「――ったく、お前はすこしお人好しのトンマすぎるぞ。よわっちい癖に。いい加減、身の程を知らないといつか本当に死ぬか、泣きをみるぞ」
不吉な台詞を真顔で言われてしまったが、既に泣きは何度も見たことがあったから、その言葉は痛いほど身に染みた。
今だって酷く気は進まないのは変わらない。だけど、峰藤の言葉ではないが、私だってお世話になった眼鏡妖怪が道端で干からびてたとしたら、頭の皿に水をかけてあげることぐらいできるのではないかと思ってしまう。そんなのだから、尻子玉抜かれるような目にあったりするのかもしれなかったが。
会長よりも強い人間の方が稀じゃないですか、と強気に返すと、桂木はにいっと不敵に唇を吊り上げる。その表情を一目見ただけで、私の危険察知センサーが警報を鳴らし始めた。
「まぁ、そこも気に入ってるがな――いいだろう、俺がお前を助けてやる。厄介ごとに首突っ込むのは俺の専売特許だからな! お前にお株を奪われてたまるものか!」
私の顔は喉と共に盛大に引き攣った。桂木の笑顔はぺっかぺかに輝いており、溢れるようなやる気がひしひしと感じられる。封印されていた古のミイラにモーニングコールしてしまったぐらいの危険を察知し、私は首をぶんぶんと横に振った。
「いえいえいえ、いいです! 会長のお気遣いはとても嬉しいんですが! これ以上、ご迷惑かけたくないというか! 私一人でも出来そうな気がしてきましたっ! もりもりと!」
乾いた引き笑いをしながら、私は必死に桂木を説得する。
破壊神なんてお供につれてたら、私の死亡率が高くなること間違いなしだ。
はかいしんがなかまになりたそうにこちらをみていても、丁重にお断りしないと私の未来は無い。
しかし、意気揚々としている桂木は、やはり人の話なんてさらさら聞く気がないのか、私の顔を両手でサンドイッチしながら声を張った――あの、妙に顔が近いのは気のせいでせうか?
「俺とお前の仲だ。絶対に守ってやるから安心するがいい」
一体、何の仲ですか、というつっこみも沸き起こったが、自信に満ち溢れたその言葉に、少しだけずずずと心が動いた。確かに並み居る危険から守ってくれそうな安心感はあるが、唯一問題なのは本人自体が最大の危険人物であることだ。ジェイソンとルームシェアをするレベルの自殺行為である。
私の遠回しな断りを遠慮していると見て取ったのだろうか、桂木は安心させるような笑みを浮かべて鷹揚に頷いた。
「遠慮するな――礼はお前からのディープキスでいいからな」
「むりむりむりむり! ってか見返りが大人の階段いきなりすっ飛ばしてますっ!」
最大限に拒否を示すと、桂木は愉快そうな表情で、ケチだなと笑う。
善意から協力を申し出たと見せかけて対価を要求するって、これが噂の助ける詐欺か! アブネェ!
私がぷるぷると震えながら見あげると、桂木はぐわしと私の頚椎を鷲づかみにして引き寄せると、目の端を柔らかな唇でなぞる。あぁ、よかった、今度は目玉を吸われなくって……ってそう言う問題じゃない! すさまじいセクハラ!!!
「頭金だ――さて、ゆくぞシャッツ! 出陣だ!」
精気を吸い取られてガラクタみたいになった私はドナドナドナドナと手首を思い切り引きずられる。
そうして、ラスボス並みに危険な仲間を増やしてしまった私の冒険は、さらにとんでもない方向に向かうのだが、子牛ばりの悲しい目をしている私は、未だ知る由も無かったのだ。
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