五十七話 / 治外法権の中心で何かを叫ぶ


 ディス・イズ・ザ・威圧感。リピートアフターミ。IATSUKAN。
 そう形容するしかないほど重厚な門がそびえたっている。その不穏な空気に、私は生唾を飲み込んだ。
 殺意まじりの脅迫、ばりーんと破ったフスマ、ビリジアンの毒抹茶、不吉な市松人形との指をかけた約束。
 走馬灯のように駆け巡る数々の悪夢は、ほんとにあった怖い話である。それは今尚、色鮮やかにトラウマとして刻みこまれていた。この地獄門をくぐるのは、次は死んだときって第一印象から決めてましたっ!
 しかし、一般的、普通の反応というものを総スルーしてしまうのがムッシュ・怖いもの知らず・桂木である。奴は怯む様子を微塵も見せず、瀧川組の門へと近づくと、何を考えたのか拳を扉へと叩きつけながら、大声を張り上げたではないか。
「たのもー! おい! 誰か居ないのかっ!」
 たのもう、じゃ、ねぇええええ! 確実に居るよ! 中に居るからっ! 確認とらなくてもぎっしり任侠的なのが餡子みたくつまってるから!
 ジャパニーズヤクザの根城に殴り見込みなんて、わざわざ死に急ぐような真似は一人っきりのときにやってくれ。巻き込んでいいのは寿司の具ぐらいだと日本人なら即刻気づくべきである。
 しかし、既に振り上げてしまった拳、張り上げた声は収めようが無かった。桂木のとんでも行動にごっそりと血の気を抜かれた私はその暴挙を止めようと必死になる。
「ちょっちょっちょっと、会長!!! 何してるんですかっっ!!!」
 腕にへばりつく私を、疎ましそうに桂木は見下した。そっと顰められる眉が無駄に優雅で腹が立つ。
「シャッツ、見れば解るだろう。藤の爺ん家の扉を叩いてるんだ」
「別に状況説明をして欲しかったわけじゃないんですけどっ!? 私が言いたかったのは、なんで、ここに来たのかってことなんですがっ!」
 あ、いま、なんか、激しいデジャヴを感じた。
 桂木は得意そうに鼻を鳴らし、美声でそろりと呟く。
「勘だ。ここに来るべきだと――そう、囁くのさ、俺のゴーストがな」
「電波はなはだしい言葉で、無理矢理、納得させようとするのやめてください!」
 お前は公安9課に所属するパワー型サイボーグか! できないから! これっぽっちも納得なんて!
 ぎゃんぎゃんともめている間に、目の前の扉が開き、顔を覗かせたのは、眼光鋭いやぶにらみの男だった。ひぃ、と恐怖で喉に声が張り付き、私はその視線を避けるべく桂木の背中に回る。男は桂木の規格外の顔にたじろいだようだったが、直ぐに険しい唸り声を上げた。友好的な歓迎なんて期待していなかったが、この無礼物に代わって土下座すべきか私は葛藤する。
「なんでぇ、てめぇら、ここをどこだと思ってやがる。ここは餓鬼が来る幼稚園じゃねぇぞ」
「あたりまえだ! お前みたいに、柄の悪い幼稚園児がいてたまるものかっ!」
 かつらぎさん。かつらぎさん。あなたのこわいものっていったいなあに?
 恐怖の余り、私は泣き崩れそうになった。なにが一番怖いかって、危険察知能力が、がぼんと欠如している桂木拓巳が!
 馬鹿にされたと感じたのだろう男が声を荒げる。
「あぁん!? てめぇ、舐めてんのかっっ!」
「舐めるわけ無いだろう、そんな汚い……むがっ」
 バルス並みの破滅の音が聞こえる気配がした。私は勢いよく飛び上がり、問答無用で桂木の口を封じる。桂木の口は災いを喜んで向かい入れているみたいだが、そんな友好さはいらねぇよ。来る災いは積極的に拒む方向でいきたいところである。
「おい、何の騒ぎだ」
「若頭」
 どすの効いた声が耳朶を打ち、近寄ってきた人物に、私は口から霊魂が抜けそうになった。
 現れたのは辰さんに、赤司と呼ばれていた、あのおっとろしい人だったのだ。可愛く言ってみてもぜんぜん緩和されない。初対面にも関わらず、徹底的に踏んづけたナメクジを蔑み、憎みぬくような視線を浴びせかけられたのは脳裏に焼き付いている。その悪印象が払拭されるなんて奇跡は起こるわけがなく、恐怖で凍りついた私の顔を一瞥し、赤司は親の仇を目にしたレベルの人相の悪さで舌打ちをした。いっそのこと威嚇しながらの舌打ちで挨拶する民族のひとだと思った方が精神衛生上は幸せになれるかもしれない。ただし、それを交わしあう勇気なんて沸いてこない。永遠に沸いてなんてくるもんか。
 赤司はぎょろりとした三白眼を桂木に移し、驚いたように目を見張る。
「てめぇは……ボンのダチじゃねぇか。弁護士先生は息災か」
「久しぶりだな、ヤクザのあっちゃん! ボンってのが爆発音じゃなくあの陰険オクラ眼鏡のことなら、断じてダチなんかじゃないぞ! ちなみに結城は相変わらずだ!」
「――相変わらずなのは、てめぇの養い親だけじゃねぇな」
 まさかの顔見知り。
 しかし、峰藤と桂木の腐れ縁ぶり、実際に遊びに来ていたことを考えれば、不思議ではないかもしれない。
 赤司からは私に向けていたような刺々しさが抜けたが、桂木は峰藤との友達関係をすっぱりと否定する。いやいやいや、ここで否定すんなよ! 空気読めよ! そもそもヤクザのあっちゃんってなんだ! アンダーグラウンドな人たちとどんだけ気安い関係を構築するつもりなの!?
 そんな正論は口から飛び出しはしなかった。ある意味、和やかに進む会話に口を挟めば、真冬の海水浴を楽しむ羽目になる。ドラム缶にコンクリート的な意味で――怖っ! 自分の無駄な想像力が恐ろしいっ! ほんと、わたし、いま、家路についてもいいアルか?
 涙目で黙りこくる私に視線を投げて、赤司は顎をしゃくる。
「で、組に何の用だ? そのアバズレつれて」

 あば‐ずれ【阿婆擦れ】あばずれとは、人擦れして品行が悪く、厚かましい人(女性)のこと。

 人として生を受けて、このような単語をぶつけられようとは思いもよりませんでした。
 桂木は、げらげらと腹を抱えながら笑って、おい、シャッツ、侮辱されてるぞ! やりかえせ! とかなんとか、ある意味、元凶のくせして無責任すぎる野次を飛ばしている。
 ヤクザの門前でけたたましい笑い声を立てる無駄に美形な男と、その男に背負われた石像のような少女。つまり、とても目立つ。押し問答をしている暇はないと判断したのだろうか、赤司は深く嘆息し、桂木と負ぶさった私を招き入れた。
「取りあえず入んな」
「ヤクザのあっちゃんは話がわかるなっ! 邪魔するぞ! 文字どおりなっ!」
「おい、調子にのるんじゃねぇ。騒いだら、すぐに叩き出すぞ」
 赤司に拳で頭を小突かれながらも、桂木は屈託のない笑顔を見せている。ヤクザとフレンドリーに歓談。その毛むくじゃらの心臓は繊細な日本製ではなく、メイドインジャーマニーか。どうりで頑丈だと思ったわ。
 このまま、私の存在も忘れ去ってくれればよかったのに、どうやらその儚い希望は、赤司の鋭い眼光の前に砕け散る。
「ところで、その背中にへばりついてるスケだ。よくもまぁ、のこのことその薄汚ねぇ顔を出せたもんだが――拓、てめぇの一体、なんだ?」
 その重低音に体感温度が七度ぐらい下がった。赤司から投げかけられたのは、即、死に直結する危険なファイナルアンサーである。ごくり、と唾を飲み込んだ私を背負ったまま、桂木は溌剌とした声で答えた。
「この子なき爺は、薄汚いが意外に可愛いところがないでもない俺のシャッツだ!」
 薄汚いってとこは否定しろよ。どちきしょう。
 桂木は私のことを好きだっていうの即刻撤回するべきだと思う。ぶっちゃけ嘘だろ。私を貶しているときの桂木はそれはもう輝いている。シャイニーどころか、もはやブリリアントです。
 しかし、この誤解は絶対に正さねばならないと、私はチキン魂を奮い立たせて赤司の前に躍り出た。
「あっ、あの、誤解されているみたいなので言いますけどっ、峰藤副会長も含め、私はただの後輩なんです。学校の知り合い以外のなにものでもありません、です」
 峰藤と桂木に二股かけるなんて、そんなマゾヒスティックな真似、誰がしようか。
 赤司から猜疑の目で向けられ、ぐっと私は喉が締め付けられているような気分になった。嘘は吐いてない。しかし、なんとなく後ろめたい気分になるのは、不満げに眉を寄せる桂木の表情が視界に入っているからだろう。しからば、この状況で私になんと述べよと!
 極度の緊張状態で微動だにできない私の耳に、助けとなる天の声が聞こえてきた。
「おう、てめぇら、門の前に雁首そろえて何してんだい」
 振り返れば、玄関の板間から顔をひょいと覗かせた痩躯の老人。辰さんの登場に私は高速で瞬きしエスオーエスを訴える。すると、わかっている、と言いたげに辰さんは力強く頷いてくれた。やっぱり持つべきはいざという時に頼りになる友達である。辰さんはにやりと悪戯っぽく微笑んだ。
「なんでい、嬢ちゃんを取りあっての修羅場かい。嬢ちゃんも、なかなかどうして、やるじゃねぇか」
「辰さぁあああん! この張り詰めた空気読んでから、冗談言ってくださいねぇええええ!」
 絶叫した瞬間、電光石火のスピードで胸倉を掴まれ、私の足はマリオネットの如くぷらんぷらんと宙に浮く。火花が散り、脳みそがぶれるような衝撃に目を白黒させると、眼前に屹立するのは、辰さんを心から崇めたてまつる若頭である。
 パンはパンでも、頭に喰らうパンはなぁに?
 答え、ちょーぱん、とか、面白クイズやってる、場合じゃなかったっス。まじで。
 赤司は片腕で私の体を釣り上げると、背中を門に叩きつけて、世にも恐ろしい顔で凄んだ。見上げた眼窩上隆起は著しく、血走った目は被捕食者をいたぶるものだった。そして、がっ、と耳元で鈍い音がして、恐々と視線を右に向ければ、目と鼻の先にあるのは、鈍い光を湛える長い刃物。
 あれ、銃刀法違反じゃね? ここってもしかして治外法権? なんてほざく余裕はなきにしもあらず。いや、むしろ一ミクロンも無い。
 恐怖のあまり呼吸が止まった私の目を覗きこみながら、赤司は胸倉をつかむ腕に力を込める。
「てめぇ、誰に向かって生意気な口を叩いてやがるぁあ? 前にもいったよなぁ? ――人の忠告を何度も聞き逃す、そんな役立たずな耳なんて要らねぇよなぁ? 要らねぇだろ? あぁん?」
 突き刺さっているドスをぐりぐりと回して巻き舌を駆使する赤司に、私は卒倒しかけた。
 ボスケテ。
 ボスたすけて。
 ボス、むしろ全速力で走って、早く私をこの荒ぶる893さんの手から救い出して!
 むしろ呪いの日本人形でも、都市伝説化している陰険眼鏡男でもいいから!



 そうして、瀧川組のボス、もとい組長にやっとこさ助け出された私は、いまだにとことこ踊る心臓を宥めすかしていた。そうだ、おちつけーおちつくんだ。ひっひっふーだ、ひっひっふー。
 ちなみに、世にも薄情な唯我独尊男は、辰さんに命じられて不機嫌さマックスの赤司を引き連れ、鬼が島観光を満喫中だ。
 すったもんだが一段落した後、俺は行く! と唐突に走り出した自由人に私は心から愕然とした。
 貴方様は、いったいぜんたい、なんのためにここに? つまるところサイトシーイングかよ! 前に私が来たときに羨ましがっていたことを思い出すに、ただ単に自分が来たかっただけか! 捧げた感謝の気持ちを返せ! ばーか! ばーか! おたんこなす! ええと……ばーか!
 貧相なボキャブラリーでひとしきり桂木を罵っていると、縁側で背中を見せていた辰さんが振りかえった。まさか声に出してしまっていたのだろうかと手で蓋をすれば、辰さんは口から煙管を外し、にぃ、と人好きのする笑みを浮かべる。
「嬢ちゃん、なんとか落ち着いたみてぇだな」
「はい、まぁ、ええと……そうですね。お蔭様で」
「おいおい、煮えきらねぇ返事だな。いまさら緊張する仲でもねぇだろうに」
 今だからこそ、緊張するんでする、という言葉は飲み込んだ。
 壁に耳あり、障子にメアリー。あの極端な辰さん狂信者が、床下に潜み、私を吊るしあげる機会を虎視眈々と狙っている気がしてならない。警戒を解かない私の考えていることなんてお見通しなのか、辰さんは困ったように笑った。
「まったく、赤司の野郎もどうしようもねぇ。普段ならあそこまでちっちぇこたぁ気にする奴でもねぇんだが。前々から、浩輝には相当、肩入れしてやがったからな」
 広げた両手を顔の横に当てて、辰さんは視界を囲んでみせる。
「ちょいとばかし、こう、視野が狭くなってるみてぇだな。あの阿呆は」
 ちょっとばかし視野が狭くなったら、刃物振り回すだなんて、むしろ人間よりもなまはげ寄りじゃね? いっそのこと秋田で永久就職して、いたいけな子供と戯れちゃっててください。心の底からお願い申し上げます。
 まだトラウマ冷めやらぬ私が震えていると、にゃあん、という声が聞こえた。顔を上げれば、悠々と歩く猫の姿が目に入る。しなやかな動作で辰さんに近付いた猫は、辰さんの膝の上がお気に入りなのだろう、遠慮なく飛びつくと体を丸めた。それは、私と辰さんが出会うきっかけとなった拾い猫だった。
「そういや、嬢ちゃんも虎之進に会うの久しぶりか。ったくこいつは、好きなだけ食べて、どんどんでっかくなりやがる」
 愚痴めいた事を口にしながらも、辰さんの瞳には柔らかさが宿っている。いそいそと辰さんの隣に近付いて手を伸ばせば、虎之進は少しだけこちらを一瞥したが、すぐに気だるげな目を閉じた。いいものを食べさせてもらっているのだろう。素晴らしい毛並みに私は頬が緩むのを感じる。そんな私の様子を見ていた辰さんは、静かに口火を切った。
「しっかし、まさか嬢ちゃんが先生んとこの坊と一緒にやってくるたぁ、そこまでは流石に予想してなかったな」
「……いきなりお邪魔しちゃって、本当にすみません」
「かまわねぇよ。前回の詫びもまだだったしな。埋め合わせするって、ついこの前の言葉を忘れちまうほど、俺は耄碌しちゃいねぇさ」
 小さくなって頭を下げた私に、辰さんは手を振り、かかかと哄笑した。機嫌の良さが見て取れる辰さんに私は安堵の息を吐く。
「それにしても、未だに信じられないです。峰藤副会長のお爺さんが辰さんだったなんて。本当に偶然ってあるもんなんですね」
 緊張が解けたら急に喉の渇きを思い出し、私は温度を失いかけていた緑茶に手を伸ばす。両手で握った湯のみが、じんわりと掌を暖め、吐いた雲は空に昇っていった。のほほんと湯飲み片手に猫を撫でる私に、何故か辰さんは苦笑を漏らす。
「嬢ちゃん。嬢ちゃんのその素直なところ、俺ぁ気にいってるがな。頼むから、飴玉やるってぇ野郎にほいほい付いて行くんじゃあねぇぞ」
「辰さん、私のこと何歳だと思ってるんですか! これでも高校二年生ですよ! 飴玉なんかでついていくわけないじゃないですか!」
 失敬な! と憤慨して見せると、辰さんはそうかい、と肩をすくめる。どうやら呆れられているらしいが、意味が解らない。どうも辰さんには前から実年齢よりも遥か下の子供扱いされている気もしていたが、確かにあれだけ精神年齢が高そうな孫と比べれば、私なんてばぶばぶレベルもいいところか。だけど、峰藤だって案外こどもっぽいところがあったりもするわけであるし。
 悶々と考え込んでいると、辰さんはふぅ、と溜息を吐いた。それが嫌に憂鬱に響き、私は辰さんを見つめる。横顔に刻まれた深い皺は思慮深げで、重ねてきた年月の深みを感じさせるものだ。辰さんはいつも快活な笑い声を上げているのが常だったから、それだけに沈み込んだ様子が気になった。
「辰さん、なんか、疲れてますか?」
「あぁ、たいしたこたぁねぇよ。ちぃと、別件でごたごたしててな。しっかし、煩わしいことに、俺の周りにゃ頭固ぇ野郎が随分と居やがるもんだ。あの浩輝の野郎も誰に似たんだか」
 顎をかきながらぼやいた辰さんに、ふと疑問が沸いてきた。緩んだ気持ちのまま、ぽろりと口にする。
「辰さんは――辰さんは、峰藤副会長に自分の組をついで欲しいと思ってるんですか?」
 赤司は確かにはっきりとそう言っていたが、辰さんはどうなんだろう。目を瞬かせた辰さんに、直球すぎただろうかと少し焦る。しかし、辰さんはにやり、と値踏みするような視線を私に向けた。
「堅気の嬢ちゃんが跡目問題について組長に真意を聞くたぁ、いい度胸だ。なるほど、それなりの覚悟があるってぇことだな?」
 この孫にしてこの祖父ありとはこのことか。ちなみに対価は腕一本ですか。鼓膜ですか。焼き土下座ですか。その質問に対する答えはクーリングオフでお願いします。
「あの……やっぱりいいで」
「まぁ、俺と嬢ちゃんの仲だ。おいおい、これから内臓売られる訳でもあるめぇし身構えるんじゃねぇよ」
 その比喩表現が既にぶっちぎりにレッドゾーンです。893ジョークは一般人の心臓には刺激的すぎるって自覚して欲しい。ローリング土下座でここから速やかに退場するか否か思案したが、私の拒否の姿勢もすっきり無視して、辰さんは私の耳元に口を寄せる。
「実際のとこ赤司の見立て通り、浩輝は、やると一度決めたら岩に噛り付くぐれぇの根性はあるし、弱ぇもんに対する情もある。上に立つものとして不可欠な統率力、決断力、実行力もなかなかのもんだ――が、ケツの青ぇところはどうしようもねぇな。今のままじゃ、到底務まらねぇよ。無理だ」
「むり……ということは、辰さんは、組を継がせるつもりはないということ、ですかね」
「嬢ちゃんがそう感じたってぇことは、そうなんじゃねぇか?」
 えぇと、これははぐらかされて、いるのでせうか? 頭の回転速度が桂木や峰藤に叶うべく無い私は、辰さんの意味ありげな台詞から意味を読み取ることはできなかった。私みたいな小娘が海千山千な辰さんを納得させることなんて出来ないけれど、沈み込んでいた峰藤の姿が脳裏に蘇り、私はありったけの勇気を奮い起こした。今燃やさなくていつ燃やす私の小宇宙。
「あの、私が口を出すことではないってわかってますけど……だけど、峰藤副会長、たぶん、すごく精神的にまいってるみたいで。だから、あまり赤司、さんに、追い詰めないであげて欲しいといいますか」
 向けられる眼力は圧倒されるほど強く、生きた心地がしない。だけど、しどろもどろになりながらも、話を黙って聞いてくれている辰さんを私は見返した。
「二人とも今は頭に血がのぼちゃってますけど、お互いの考えとか、ちゃんと理性的に話せる時間を設ければ、副会長も赤司さんも、もうちょっと穏やかな解決方法とか、妥協とかみつけられるかも、って思うんですが、ど、どうですか?」
 言葉を発するたび、心臓がどくどくと脈打つのを感じていた。生意気なことを言っている自覚はあったが、吐いてしまった以上引っ込めようがない。目を細めながら私の話を聞いていた辰さんはふ、と唇の端に苦い笑みを刻み、くつくつと喉を鳴らした。
「嬢ちゃんの、そういう砂糖菓子みてぇな考え、嫌いじゃねぇけどな――だけど、それ、あいつらに言えんのかい?」
「……うっ、それは。殺される覚悟で行けば、なんとかなると、いいなと思います」
 正直、自分が霊長類であることを放棄してしまいたくなるほど恐ろしかった。しかし、ここで踏み出さなければ交わした指詰めげんまんの足音はひたひたと近づいてくるばかりだ。指を守るついでに峰藤が元気になればミッションコンプリート。死ぬ気になればなんだって出来る。はい、ワンモアセッ! 死ぬ気になればなんだって出来るっ!
 妙に吹っ切れた私が力強く頷けば、辰さんが打った膝が小気味いい音を立てた。いきいきと輝く瞳は、いつもの彼がもつものである。
「よぉし、良く言った! そこまで嬢ちゃんが覚悟してるなら俺も協力するのはやぶさかじゃねぇ。赤司のほうは俺にまかせとけ。嬢ちゃんはあの洟垂れの顔ひっぱたいて、渇入れてやんな」
 すみません。顔をひっぱたくとか不可能どころか、肉体と精神に十倍、百倍になって返ってきます。確実に。
 息巻く辰さんにそう水を差すことも出来ず、私は曖昧な笑みで誤魔化した。
「あのぉ、でも、辰さん。私、どうやら峰藤副会長にさけられているみたいで、最近では会うことさえままならないのですが……」
「まぁ、浩輝の反応は予想の範疇だがなぁ――だからあの野郎は洟垂れだってんだ。嬢ちゃん、心配するこたぁねぇ。手は既に打ってある」
 手は打ってある? その言葉に首を傾げれば、辰さんの顔に広がるのは満面の含み笑い。何故かとても嫌な予感がします。メーデーメーデー。
 どん。どん。どん。と冷や汗をかいた心臓が再びリズムを刻む。しかし、それは体の中からではなくて外から聞こえてくるものだった。誰かが近づいてくる。しかもものすごい速度で。
 恐怖のため錆付いた視線を廊下の向こう側にやって、私は直ぐに見るんじゃなかったと心の底から後悔した。
 剃刀のような切れ味を持つ眼差しとか、開けば嫌味とか攻撃的な単語がうぞぉって飛び出す唇とか、久しぶりに見たはずなのに、変わっていないどころか、波動のように伝わってくる殺気は何割り増しだ。その鋭さは尋常ではない。
 峰藤浩輝、満を持して、ご光臨でございます。
 強張った形相は金剛力士に匹敵するぐらい高い威嚇パーセンテージ。その燃え上がるような怒りは真っ直ぐにこちらに向けられている。
 にや、と音が出るほど満足そうに、辰さんは笑った。

「――嬢ちゃん、お待ちかねの御迎えが来たぜ?」

 冥土に連れて行かれる的な想像しか浮かんできませんでした。
 はんにゃあ、はぁらぁみぃたぁ、しんぎょう。



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