※(あまりためにならない)前回のおさらい。
 行き倒れていたアリスを助けた? のはなんとも狂ったセンスをしたチェシャ猫。そしてあれよあれよと決まったのは鬼退治? 唐突に現れたピーチマンに奪われ、脱線したストーリーは元に戻るのでしょうかっ!




「昨日はーぐれったー狼がぁ〜 今日はマッットぉで血を流し 明日をぉぉ目指してぇ立ち上がれ〜」
 手に持った枝をぶんぶんと回しながらご機嫌で進む後姿を、小さめなコンパスでアリスはとっとこ追いかけました。アリスの事など忘れたように進む桂木は、足が長いうえに歩くスピードも早いから見失わないようについていくのでさえ、アリスにとっては至難の業です。アリスの息はふぅふぅと上がるし、空腹のあまり眩暈までしてきます。
 この奇妙な二人組は森の中をずんずんと進んでいました。先ほどからかなり機嫌がいいらしく、伸びやかな声量で熱唱されているのは妙にこぶしが入った歌でした。声聞き惚れてしまうぐらい良い声でしたが、曲の内容がちんぷんかんぷんだったことと、聞き惚れているような余裕もありません。
「たっ、隊長っ!」
 そう呼べと言われた時には戸惑ったものの十分で慣れた呼称で、アリスは桂木を呼びました。
「おいらにゃぁ〜獣の〜血――うん? なんだ?」
 シャドーボクシングで木の葉をパンチしていた桂木は空気の抜けたような生返事をします。
「これからっ、本当にっ、鬼っ退治に行くのでしょうか?」
 アリスはぜいぜいと喘ぎながらも訊きました。鬼なんて恐ろしいものがここにいた事に対する驚きと、それを自分が今から退治しに行かなければならないという恐怖があったのです。戦闘能力など微塵も無い自分など数秒でやられてしまうのが目に浮かぶようでした。それを想像して恐怖で身を震わせるアリスににやりと桂木は意地悪に頬を歪めます。
「そうだっ! 怖い――ふん。俺はまったく怖くないがな――といわれている鬼だ。血は冷たく凍っていて、その目は真っ赤に光り、他に例を見ないほど残虐非道なヤツだ!」
「そ、そんなのを退治にしにいくんですか?」
「まぁな。油断してると捕って食われるぞっ! ――こんな風になっ!」
 がうっ! と両手をあげて満面の笑みを浮かべながら桂木が飛び掛ってきました。アリスは絹を引き裂くような悲鳴を上げながら脱兎のごとく走り出します。
 わははは! という快活な笑い声がアリスの背後からじわりじわりと迫ってきます。なにをしでかされるのかまったく予想できないからこそアリスは怖かったのです。
 無我夢中で走り回っていると、アリスはなにやら広場のようなところに飛び出しました。森の中に用意された細長いテーブルには綺麗なレースのテーブルクロスまでかけてあります。お誕生日をお祝いするときのように沢山の立派な椅子がぐるりとテーブルを囲んでいました。その上には美味しそうなケーキがおかれています。アリスは自分がお腹を空かせている事を強烈に思い出しました。ふらりと状態を崩したとき、後ろからもの凄い勢いで押し倒されたアリスは顔面から地面に突っ込み、ぐえと蛙のつぶれたような声を上げました。
「わはは! アリス! もう降参か? 食べてしまうぞっ!」
 倒れているアリスの背中の上に腰掛け、桂木は幼児のように大喜びしてから、アリスの首根っこを捕まえて、耳に軽く噛み付いてやろうと口をあんぐりと開けました。そこに生えている鋭い犬歯がアパガードで磨いたようにきらんと白く光ります。
 アリス絶体絶命のピンチ!
 ――しかし、がちっと歯は虚しく空を噛みました。楽しい瞬間を邪魔された桂木は不機嫌そうに自分の服を引っ張った人物を睨みました。
「――なんだお前か。俺はこいつと楽しく遊んでるんだから邪魔をするな」
「だけどね、気を失っている女の子に悪戯するのは頂けないよ。拓巳」
 桂木がはっと視線を落としてみれば、見事に下敷きになっているアリスはぐったりとしていました。
「アリスっ! こんどこそ死んだのかっ! 俺は許していないっ! だから死ぬなっ!」
 桂木は顔色を変えてがくがくとアリスを揺すりはじめました。顔色が蒼白だったアリスは、はっきりと苦悶の表情をし、白目を剥きかけていました。
「……拓巳。揺すったら駄目だ。ちょっと離しなさい」
 渋々とその男の指示通りに桂木はアリスを離しました。うつ伏せになっていたアリスの体を優しく抱き上げると、男は椅子の上へとゆっくりと下ろします。そして男は頬に張り付いていた土をほっそりとした指でそっと撫ぜて落としました。
 不満そうにむくれている桂木に気づくと、男は少し苦笑してから言いました。

「美味しいケーキを作ったんだ。お茶にするとしよう――でも、お姫様が目覚めるまでもう少し待とう、ね?」

 にっこりと笑う男の視線の先には、うんうんとうなされているアリスがいました。

 作者も予想だにしなかったロマンチックな展開はこの後、どうなってしまうのでしょうか? それはどうやら、お姫様が目覚めるまでお預けのようです。




ページをもどす ページをめくる ほんをとじる