※(あまりためにならない)前回のおさらい。
 哀れアリスはチェシャ猫の下僕にされて、命がけの鬼ごっこの末、森の広場にたどり着きます。ヒロイン(?)、危機一髪の大ピンチに王子様が現れるのは、おとぎばなしのお約束。さて、ラブロマンス路線に突っ走るのか!?




 んんん。
 アリスは鼻をくすぐる、なんともいえないいい匂いに気づきました。きゅう。とお腹が弱った生き物のような鳴き声をたてれば、そばにいた人のくすりとした笑い声が鼓膜に届きます。
 うっすらとまぶたを押し上げてみれば、至近距離にはドアップの顔。
「あれ、気がついたのかな?」
「んぎゃーーーっっ!」
 アリスは鶏の首を絞めたような叫び声をあげました。
 その表情は軽く十五禁ぐらいでした。

「叫び声あげられたのって初めてだなぁ」
「ご、ごめんなさい。折角助けていただいたのに、もう、ほんと申し訳ないって言うか、合わせる顔がないって言うか……」
 豪華な細工が施してある椅子。その上でアリスは正座をしながら縮こまっていました。チェシャ猫の魔の手から救ってくれた上、介抱してくれていた人に失礼な態度をとってしまったことが激しく悔やまれます。いたたまれませんでした。
 しかし、その恩人は大して気にしていないようでした。くすくすと彼が喉を震わせれば、それだけで癒し系オーラが大放出されます。大盤振る舞いです。大特価です。
「冗談だよ。あれだけ叫ぶ元気があるなら体のほうは大丈夫かな? あ、それよりお腹すいてない? お姫様が起きるまで待ってたんだよ」
 きゅるると、お腹がアリスの変わりに返事をしました。
 アリスはいろんな意味で恥ずかしくなり、真っ赤になりながら黙り込みます。
 腹の虫ならしているお姫様って。っていうかそもそもお姫様って!
 そんなアリスの心境を知ってか知らずか、その人はにっこりとアリスに笑いかけます。
「よかった。じゃあ、早速、食べようか。拓巳! お茶にするよ!」
 机の上に置かれていたオレンジ色のケーキをその人は切り分け、机の上にひとつ。アリスの前にもひとつ。そして最後に自分の前にひとつ置きました。
 あれ拓巳ってなんか聞いたことあったようなきもしないでもない。
 アリスが首をひねっていると、ぐるんと世界が回りました。しかし、厳密に言うと、回っているのは世界ではなく、アリスの目でした。
「おお! アリス! 元気になったのか! 心配したんだぞ!」
 がくがく、ぶるんぶるんと、アリスの頭を鷲掴みして、桂木猫は朗らかに笑いました。気の使い方が明らかに間違っています。アリスはいまにもお花畑の国に舞い戻ってしまいそうでした。
「こらこら、拓巳やめなさい」
「むっ。また俺がアリスで遊ぶのを邪魔をするつもりか! 結城め!」
 忌々しそうに舌打ちをしながら、桂木猫は言いました。(ここでようやくアリスは桂木猫の名前を思い出しました。)しかし、結城と呼ばれた男はにこにこと笑みを崩しません。
「とりあえずは座りなさい。そうしないと折角の美味しいお茶が冷めてしまうからね」
 ふんっ! と桂木猫は不服そうに鼻を鳴らしました。しかし、それ以上は逆らう様子は見せず、どっかりと椅子の上に腰を下ろします。
 びくびくしながらその様子を伺っていたアリスは、とりあえずは安全だと安堵の息をつきました。どうやら怖いもの知らずだと思っていた桂木猫はこの男だけには頭が上がらないみたいです。
 しょうがないな、と苦笑しながら男は桂木猫を見つめていています。そしてぼやっと彼を見ていたアリスに気がつくと、ぽんと手を打ちならしました。しまった。忘れていたってな風に。
「あ、そういえば。自己紹介がまだだったね。僕とした事がうっかりしてたなぁ」
 男は被っていた白いシルクハットを軽く持ち上げました。その動作までが洗練されています。
「僕の名前は結城。しがない帽子屋だよ」
 白いシルクハットに燕尾服。王子様だといわれてもアリスは簡単に信じてしまったでしょう。しばし見惚れてしまっていたアリスは結城帽子屋の視線を受けると、飛び上がりました。
「あっ! 私はアリスです! よろしくおねがいします!」
「うん、宜しくね」
 ふんわり。
 まるで生クリームのようなあまぁい笑み。なぜかアリスの心臓がどきんと大きく脈うちました。アリスは胸に手を置き、深呼吸をします。これ以上、結城帽子屋さんを見ていると心臓麻痺で死んでしまう。そう判断したアリスはむりやりケーキに視線を移し、手を軽く合わせました。
 い、いただきます。召し上がれ。
 結城帽子屋は嬉しそうな音色で歌うように言いました。
 ふわふわの生地のケーキにフォークを刺し、一口。そしてまた一口。
 パンプキンの味がほんのりとするケーキ。それをアリスはおかわりまでしてしまいました。

「美味しかったです! とっても!」
「うん、嬉しいよ。顔色も良くなったみたいだしね」
「あの、本当になんてお礼を言ったらいいのか!」
 結城帽子屋の視線を受けて、アリスは頬を高潮させました。
「お礼なんていいよ。あんなに嬉しそうな顔でケーキ食べてくれて、僕のほうがお礼言いたいぐらいなんだから」
「……ゆうきさん」
 きゅん。アリスの胸が絞め技を食らいました。もはや三秒以内にノックアウト宣言をしてしまいそうです。自分から。
 アリスはうるうると目を潤ませながら結城帽子屋を見つめました。
「あの、私……」
「うん?」
 首をかしげた結城帽子屋、その視線がふと後ろにそれました。
 次の瞬間、アリスはお腹に圧迫感を感じました。そして居場所は桂木猫の肩の上です。そう、アリスは荷物のように担がれていました。
 じぶんは手乗り文鳥か!
 アリスは驚愕の中で律儀につっこみをいれました。
「さあ、腹も膨れたところで、鬼退治続行だっ! 腹が減っては戦は出来ぬっ!」
 まだそんなことおぼえてたのかよ、とアリスは泣きたくなりました。必死で結城帽子屋にアイコンタクトを送るアリス。しかし、受けた結城帽子屋はのほほんと人のよさそうな笑みを浮かべているだけです。
「あ、これ持って行きなさい。鬼によろしくね」
 それどころかケーキを渡され、激励されました。
 アリス一人を担いでもびくともしない桂木猫は軽い足取りで森に入っていきます。

 さてはて、鬼退治、その行方はどうなってしまうのでしょうか?




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