※(あまりためにならない)前回のおさらい。
 桂木猫とやってきたのはお庭のようなところ。そこではトラップ探偵社と名乗る三人が桂木猫の絵を描いていました。そして現れたのはガラの悪いチンピラ? なにはともあれ嫌な予感がします。




 「女王様だ、やべ」
 真っ青になりながら佐伯トランプBが呟いたので、そのチンピラ――女の人が件の女王様である事にアリスは気づきました。
 登場した女王様はトラップ探偵社の下っ端をにらみつけると拳を固めました。
「桂木君の玉の肌に傷一本でもつけたら命はないものと思えって、私、確かに言ったわよねぇ?」
「いや、でもこれ傷じゃなくてヒゲだし、上から重ね塗りしたら元通り……がふっ!」
「言い訳してんじゃないわよ!」
 振りかぶった拳が佐伯トランプBの鳩尾にめり込み、ゆっくりと沈み込んでいく彼の冥福をアリスは祈りました。アリスはぴくりとも動けず直立不動で突っ立っています。女王様の頭には完璧に血が上っているようでしたから、動いたら次の標的にされかねません。その女王様はアリスの隣に立っていた、紀子トランプに血走った目を向けました。ずんずんと近づいてくる暴力女王様を前に、しかし紀子トランプは微塵も焦っていないようでした。
 そしてやってきた女王が口を開いた瞬間に紀子は話し始めました。
「美登里女王様、こんにちは。ご機嫌はあまりよろしくないみたいですね――そこで女王様を喜ばせるビッグニュース!」
「……詰まんないこと言ったら張り飛ばすわよ」
 美しい女王様は平手で風を切りながら言いました。紀子トランプは美登里女王に顔を寄せると、手を口にそえ、目配せをしました。
「いまここに来てるんですよ、チェシャ猫さんが」
「え」
 美登里女王はそれをきくやいなや、そわそわと落ち着かなくなりました。そして佐伯トランプAの右足を持って引きずっている桂木猫を視界に捕らえて、その頬はばら色に染まります。
「いや、ちょっと、心の準備がっ! まだ出来てないわ!」
 髪を触ったり、身だしなみを整えたりと、美登里女王が気をやっているうちに、桂木猫がこちらへと近づいてきました。
「ああ、楽しかった。――おまえは?」
「あの、あたし、あたしは」
 先程までの態度が嘘だったかのようなしどろもどろぶり。美登里が誰に好意を持っているかはさえずっている鳥や産卵中の亀でさえ解った事でしょう。しかし桂木猫はそんな美登里女王の反応にも興味がないようで、ぽいと佐伯トランプAを放り出すと腕を組みました。
「俺達は鬼を退治にしてきたんだ! お前のところで働いているはずだ! 連れて行け!」
「ええ! 喜んで!」
 美登里女王は即答しました。桂木を見つめる瞳は熱っぽく、幸せの絶頂に居るかのごとくきらきらと輝いています。しかし、その幸せをうかつにも破ってしまったのはアリスでした。
「え、鬼って働いてるんですか」
 鬼のくせして社会性あるの? との疑問からアリスが桂木猫に質問してみれば、突き刺さるような視線が浴びせられました。言うまでもなく美登里女王です。
「……桂木君、この子は?」
 桂木に向ける表情はあくまでも笑顔なのに、美登里の声にアリスの背筋はぞぉっとしました。桂木はこともなげにあっさりと言います。

「あぁ、それはアリス。俺のだ」

 その間に下僕が入ったのでしょうけど、それは酷く誤解を招く言い方でした! アリスは美登里の背後に一瞬、そびえたつ阿修羅を見たような気がして、気が遠くなりました。
 死にたくない。死にたくない!
「じゃあ、いくぞ!」
 一人、空気を読めない桂木猫はさっさと一人で歩き始めました。要領のいい紀子トランプはこつぜんとその場から姿を消していました。そのうえ、部下は放置したままでした。
 アリスは美登里女王と二人きりで置いていかれては大変と、走りながらもついていきます。
 ――ぎしぎしと背後から聞こえてくる歯軋りの音は空耳だと必死で思い込むことにして。


 三人はお城のような所へやってきました。くねくねと曲がる石畳の廊下を進み、アリスたちがたどり着いたのは立派な扉の前でした。ここが鬼ヶ島にしちゃ、ちょっと趣味良すぎますね。とアリスが言う前に、桂木猫が扉を蹴破りました。そんな振る舞いにアリスは絶句しました。恋心ゆえに目の曇った美登里女王はワイルドだとうっとりしています。

「覚悟しろ鬼め! 俺が退治しにきてやったぞ!」

 高笑いとともに、桂木猫は鬼に向かってそう叫びました。部屋の中に座っていた”鬼”は突然の闖入者に驚いたそぶりはまったくせず、ただそっと眉をひそめただけでした。
 一言、文句を言おうと思ったのでしょう、鬼は赤い目をこちらに向けて、口を開きました。しかし、それがアリスにとまったとき、鬼の表情には驚きの感情が移りこみました。
 赤い目。残虐非道。血は冷たく凍っている。
 アリスにはもう一つだけそこに付け加えて欲しかったことがありました。
 ――その鬼には真っ白い兎の耳が生えているって!

「何故、家出した貴方が桂木と一緒に居るんですか、メリーアン?」

 鬼のような兎、峰藤はそう言ったのでした。




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