特別者が見つけるモノ




 ゆっくりと意識が浮上してくる。
 ガタンゴトン、という心地良い揺れを体中に感じた状態で深い眠いについた俺は、開いた目の前に真っ白な天井があることに、とりあえず驚く。
 あれ? 確か意識が落ちる前は電車に乗っていたよな。
「気が付いた?」
 ゆっくりと目を覚ました俺の目の前に、ひょいっという身軽さで見覚えのある女の顔が飛び込んでくる。
 えーっと、この女は誰だっけ?
「えっと……」
「やっぱりあっちからの移動は政司にはちょっと厳しいものがあったんだね。思ったよりも眠りが深かったからびっくりしちゃった」
 そう言ってにっこりと笑う目の前の美少女に、俺は思わず言葉を飲み込む
 あっちからの移動?
 眠りが深い?
 目の前にいるこいつは一体何を言っているんだ?
 っていうか、ここ、どこだよ?
「うーん……。負担が大きすぎたかなぁ。ちょっと意識が混乱気味みたいだし」
 そう言って、少女は俺の額に小さくて冷たい手のひらを乗せる。
 と、同時に明確なヴィジョンが俺の中に流れ込んでくる。
 クラスメイトとのカラオケボックスでの馬鹿騒ぎ。
 帰り道に手を振った友則。
 そして、おかしな事を言い始めた亜矢――。
「お前、亜矢やんけっ! ってぇか、なんやねんなここっ!」
 鮮明に浮かぶヴィジョンは眠る前に流れていた俺の時間。
 そして、眠る寸前に見た亜矢のあの不可解な言動。
「ここは政司がいない世界。あっちに比べると状況が緊迫してる世界、かな」
「へ?」
 気づいたときから寝かされていたベッドから上半身を起こした俺に、亜矢はまったくわけのわからないことを言い出す。
 俺のいない世界? 状況が緊迫? 一体なんなんだ、それ。
「政司は、特別者なの。どんなときでも普通でいられる人間。あなたはこの世界での救世主なんだ」
「きゅ、救世主やてぇ?!」
 まったくわけのわからない会話の流れから突然飛び出した『救世主』という言葉に、俺は思わず語尾を荒げる。
 っていうか、何だよ、それ。
 普通でいられる人間? それが特別者? 救世主?
 一体ここはどこなんだよっ。
「あっ」
 俺の言葉に笑顔で頷いていた亜矢は、何かを察知したかのようにその表情を引き締める。
 大きな瞳が鋭く細められる。
「どうやら見つかっちゃったみたいね。……政司はとにかく友則を探して。こっちの世界にいる友則もあっちの世界と同じぐらいいい奴だから、ちゃんと助けてくれるはずだわ」
「へ? 友則?」
「私はしばらく政司のそばにはいけないかもしれないけど……覚えていてね」
 まったく状況がつかめていない俺は、目の前の亜矢の真面目な顔をぼんやりと見つめる。
「政司は、私たちの最後の切り札なの。あなたなら私たちが探しているものを見つけることができるはず」
「切り札?」
「だから、常に自分のことを信じていてね。どんなことにも惑わされない、強い心を持っていて」
「は?」
 きょとんとしたままの俺の手を握り締めて、亜矢は真剣な表情で顔を近づける。
 かわいらしい顔が、俺の目の前に迫ってくる。
「私たちは、長い間あなたを探しつづけていたんだから」
 次の瞬間、俺の手を握り締めていた目の前の少女は音もなく消え去った。
 最後まで、不可解な言葉を残して。
「あ、あれ? 亜矢?!」
 残された俺の手には彼女の小さな手の感触が残っている。
「……一体全体、何がどーなっとんねんな」
 ひっそりと静まり返った室内に一人取り残された俺は、固いベッドの上で小さく呟いた。




 混乱しっぱなしの脳内はとりあえず置いといて、俺は現状把握へと乗り出すことにした。
 この世界がどこなのか、俺がこれからどうなるのか、消えた亜矢が何者だったのか……すべてがさっぱりだがが、とりあえずこの部屋にいたってどうにもならないことだけは俺にもわかる。
 普段の変に冷めた性格が功を奏して、俺は思ったよりもパニックにならずに次の行動を起こすことができた。
 熱くなれない思っていた俺のこの性格も、役に立つときがあってよかったぜ。
「それにしても……ここはどこやねん」
 ベッドから立ち上がってぐるりと室内を見渡した俺は、誰に言うでもなくそう呟いて扉のほうへと足を進める。
 白くて固いベッドに生成りのカーテン。
 壁面に設置された棚の中にはたくさんの薬品。
 消毒液のにおいで充満した室内は、学校の保健室のような印象を受ける。
 しかし、その広さは半分ほどしかない。
 そして――学校の保健室には必ずあるであろう窓が、一つも無い。
「なんや、閉じ込めるための部屋みたいやないか。気味悪いなぁ」
 そう呟いて出入り口の扉を開けた外には、左右に伸びた愛想もそっけもない廊下が続いていた。
 俺がいた学校のつくりにとてもよく似ている風景。
 違うことといえば、廊下の窓の外に広がるはずの青空がまったく見えないということ。
「……なんで窓の外が真っ白やねんな。これって、霧かなんかか? っちゅーか、こんなんやと今が昼か夜かもわからへんやん」
 時間もさっぱりわからへんわ、と呟いてから、俺は思い出したように制服のポケットを探る。
 そうだ。携帯電話を使えばいいんだよな。
 亜矢は友則を探せって言っていたが、とりあえず先に電話してみたらいいんじゃねぇか。
 こんな得体の知れない場所をうろうろするよりよっぽど建設的だぜ。
 手のひらサイズの二つ折り携帯を取り出した俺は、画面を開いて友則の番号を検索する。
 そして、通話ボタンを押すと――。
「……って、つながらへんやんけっ」
 思わず誰もいない廊下で一人ツッコミをしてしまう。
 まぁ、亜矢の話の流れ的に携帯がつながるとは思ってなかったけど。
 それにしてもこれは困る。
 携帯が使えないとなると、右も左もわからないこの世界で俺は友則を探し回らなくちゃならねぇってことだ。
 ……亜矢は消えちまったままだしな。
 っていうか、俺、元の世界に帰れんのかよ。
「うーん……っと、うわっ!」
 ふっと頭をよぎった嫌な予感をかき消すように思いっきり首を振りながら廊下を歩いていた俺は、いきなり曲がり角から飛び出してきた一人の男とぶつかりそうになる。
「あっぶねぇなーっ! こんなとこで何ぼーっとしてんだよっ」
 大きく身体を動かしたときにずれた眼鏡をかけなおした俺の耳に、聞きなれた声が飛び込んでくる。
「あーっ! 友則っ」
 目の前には、馬鹿でおもしろくってクラスの人気者である友則がしかめっ面をして立っていた。
 その顔は、ついさっき駅で別れたときと同じ顔だ。
「あぁ? 誰だよお前」
「へ? 誰やって……政司やないか。クラスメイトの政司」
「マサシだぁ? くらすめいとってなんやねんな。俺にそんな名前の知り合いははいねぇぞ?」
「は? お前なにゆーて……」
 そこで思わず俺は言葉を止める。
 そういえば亜矢がさっき言っていたっけ?
 こっちの世界には俺はいないとかなんとか。
「な、なんでもあらへん」
 目の前でいぶかしげに俺を見ている友則に向かって、俺は言いかけていた言葉を飲み込んだ。
 どうやら、この友則は俺の知ってる友則とは別人ってことなんだよな。
 そういえば、言葉遣いだって関西弁じゃなく標準語だし。
「……あ、お前もしかして特別者か?」
 言葉を飲み込んだ俺に向かって、こっちの世界の友則は手を叩いて頷く。
「だよなっ! その眼鏡に聞いたことの無いイントネーション! 亜矢が言ってた通りだぜっ」
 俺のトレードマークでもあり、変なあだ名にもなった黒ぶちの眼鏡を見つめて、友則は一人、うんうんと納得している。
「そっかー。無事に呼ぶことができたんだな。さすが亜矢だぜ」
「あ、あの……?」
 俺を放置して一人頷いている友則に、俺は思わずおずおずっと声をかける。
 当事者をほっぽりだして一人だけ納得されても困るんですが。
「あー、わりぃわりぃっ。いやぁ、嬉しくってよーっ。なんたって特別者様の到着だろ? これで俺らの未来は安泰ってことだよなーっ」
 にやりと笑う友則の笑顔は、カラオケで今流行りの男性ユニットが歌う「青春アミーゴ」をみんなの犠牲になって俺が一緒に歌ってやった時に向ける笑顔と同じだ。
 なんかよくわからんが、俺がこっちに来たことによって友則たちになにか有利なことがあるらしい。
 ってぇか、俺に一体何ができるんだよ。当の本人はまったく理解してないんだけど。
「んじゃま、とりあえず俺らのホームに来てくれよ。特別者様がこんなところでうろうろしてんのがあいつらに見つかったらやべぇからさ」
「ホーム? あいつら?」
「そ。俺らの隠れ家みたいなもんだよ。ま、詳しくはホームに着いてから話すからよ」
 そう言って、先ほど俺が歩いてきたほうを指差して歩き始める。
 隠れ家、という言葉に一瞬きょとんとしてから、俺は慌てて友則の後ろをついていった。




 友則に連れられてたどり着いたそこは、俺のいた世界での俺らのクラスの教室がある場所だった。
 しばらく歩いていて気づいたが、この建物、間違いなく俺らの学校と同じつくりになっているらしい。
 あの保健室は少し様子が違ったが。
「おーい。特別者を連れてきたぞーっ」
 ガラガラっと横開きの扉を開けて、友則は明るくそう言って俺を中に引っ張る。
「マジ?!」
「うおぉーっ! これで俺らは大丈夫じゃんっ」
「さすが友則! やってくれるぜーっ」
 部屋の中にいた何人かの男どもは、友則のこの言葉に思いっきり歓声を上げる。
 その顔は、どいつもこいつも馴染み深い奴ばっかりだ。って、間違いなく俺のクラスの奴らじゃねぇか。
 あー……でも、こいつらはクラスの奴らに似た別人、なんだよな。
 ややこしいなぁ、ちくしょう。
「俺じゃねぇよ。亜矢が連れてきてくれたんだ」
 友則のその言葉に、男たちは口々に「亜矢ちゃん最高!」「やっぱいい女はちがうよなーっ」と叫んでいる。
 な、なんだこれ……。
 部屋ん中は、まったく俺らの教室と同じだった。
 部屋の前にはでっかい黒板と教壇があって、教壇から見渡した部屋中に生徒が座る机が並んでいる。
 机はまるで昼休みのランチタイムのように乱雑に固まりになってはいるが……。
「んじゃま、作戦会議といくか」
 教壇の上に立った友則は、それぞれ適当に机に腰掛けている男どもを見渡して、よく通る声で話し始める。
 よく見ると、そこには女子はいない。
 クラスメイトのうち、特に俺や友則とよく一緒にいる六人ほどがいるだけだ。
「さってと。とりあえず、特別者様……えーっと、名前はマサシ……だっけ?」
「へ? ああ」
「そのマサシが俺らのところにやってきたから、今までみてぇにちんたらしょっぼい魔法を使って回避する必要はなくなったわけだ」
 友則の問いかけに相槌を打つ形で頷いた俺の耳に、聞きなれない単語が飛び込んでくる。
 魔法? なんだそれ。
「やったぁーっ! ってことは、もうあいつら相手にドンパチすることもねぇんだよなっ!」
「マサシが例のアレを見つけてくれんだろ?」
「良かったー。俺もう魔力限界だったんだよなー。これ以上風は出せねぇぜ」
「あ、俺も俺も! 炎出しすぎて限界」
 は? へ? なんやて?
 目の前で繰り広げられる会話に、俺はひたすら金魚のように口をぱくぱくさせるしかなかった。
 何だよ、風だの炎だの出すって。
 ゲームじゃねーんだから、『ファイア!』って唱えたところで炎が出せるわけねーだろ? 一般人に。
 ん……。ちょっと待てよ。
 ここは普通の世界とは違うんだっけ?
「ああ。マサシがアレさえ見つけてくれれば、俺たちは楽になれる。な。マサシ」
「いや……、だから俺にはなんのことかさっぱりわからんのやけど?」
「え? あー……、亜矢の奴、マジでまったく説明なしでいっちまったのかよ」
 やっと自分の立場を明確に発言できた俺に対して、友則はがっくりと肩を落とす。
 しかも、俺のこのセリフに周りにいた野郎どもも口々に大きなため息をつく。
 な、なんだよ。
 別に俺は悪くないぞ。おい。
「ま、特別者はあっちの世界から来るんだから、こっちのことは知らなくって当然なんだよな。わりぃわりぃ、今から説明すっからよ」
 落とした肩を持ち上げて、友則がカラッとした笑顔で俺を見つめる。
 そこには、俺がよく知るクラスメイトの友則とまったく同じ空気を持つ男がいる。
 うーん。これがパラレルワールドってやつか?
 俺の知ってる友則と一寸の違いも見あたらねぇんだけどな。
「とりあえず、マサシにはこの世界のどこかにある『真実』を見つけて欲しいんだよ」
 そう言って、友則は真剣なまなざしで俺を見つめる。
 真実? 真実ってなんだよ。
 そんなもん、形のあるものじゃないんだから、見つけようがないんじゃねーのかよ。
「『真実』……って?」
「『真実』だよ。俺たちのこの戦いを終わらせるたった一つのモノ。どちらかがこの世界のどこかにある『真実』を見つけたときに、チェックメイトってわけだ」
 いや、そうじゃなくって……。
 なんだ? もしかしてこの世界では『真実』ってのは物体なのか?
 ってことは、『夢』やら『愛』やら『希望』やらも手で掴めんのかよ。
 って、んな阿呆な。
「真実って、目に見えるもんなんか?」
「俺たちには見えねぇよ」
 俺の間抜けな質問に、友則は間髪いれずに即答する。
 だよなぁ。普通そういうもんは目に見えるもんじゃねぇし、ましてや掴むことなんかできねぇよなぁ。
「でも、特別者であるお前になら見えるはずだ」
「へ?」
 友則の言葉に、俺は相変わらず間抜けな返答をする。
 何だ? それ。
 俺にだけ見えるって……なんだよ。
「それが、お前が特別者と言われる所以なんだよ」
 茫然としたままの俺に向かって、友則は冷静に言葉を続ける。
「亜矢が見つけてきた、この世界で唯一無二の救世主。特別者には特別な能力はいらねぇ。ただ、その瞳に映る『真実』を探すだけでいいんだ」
 俺の友人にそっくりの姿かたちをした目の前の男が告げる言葉は、俺の中でまったく消化されないままいつまでもぐるぐると脳内を回っていた。

 特別者が見つける『真実』
 果たして、そんなものがあるんだろうか?
 ってぇか、俺ってば、マジでそれを見つけなきゃなんないんだろうか?


 突然叩きつけられた重大使命……らしきものに、俺は思いっきり逃げ出したい衝動に駆られた。

《続》


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作者/真冬