※(剣と魔法)と(鬼ごっこ)を先に読んで頂けると、より一層お楽しみ頂けるかと思います。




 机の中央に置かれた宝剣から噴出した魔力は荒れ狂い、統べてを絡めとろうと、とぐろを巻いている。軽やかな音で最後の円を書き終えてからリンは顔を上げた。
「――ホン、始めよっか」
「いつでも」
 ホンはけだるげに言葉を返した。やる気のなさそうな態度だが、張り巡らされた防御壁はいつものとおり完璧である。
「じゃあいくよ」
 白墨で書かれたペンタクル上の宝剣を一瞥し、リンは口を開いた。そこからは淀み無い呪文が朗々と溢れ出し、リンは掌を突き出す。

「古の呪術により封じ込められし悪魔よ。我、リンシアの名の下に、汝を解放する。――解!」

 ごうっ。
 宝剣を中心として黒い波動が湧き上がり、リンはとんできた鉄鍋をしゃがんで避けた。解放された黒いもやが空中で不穏な動きを見せる。そして聞こえてきたのは地の底を這うような低い声。
「……もうアカン。温厚な俺やて、さすがに堪忍袋の緒がぶち切れたわ」
 黒いもや――閉じ込められていた悪魔は器用なことに空中で体育座りをしながらくるくると回っていた。ぶつぶつと聞こえてきた妙なイントネーションのある声に、リンはふと首をかしげる。何故か懐かしい気がしたからだ。
 リンがその人物に思い当たるより先に黒いもやは人型を作った。それはすらりとした青年の姿。そして顔を上げた悪魔の眦はきりりと限界まで吊り上がっていた。
 あのイントネーションに、この顔は。
「あ」
 リンは頭の中で閃いた名前に、ぽんと手を打ち声をあげた。
「死にぃ! どぐされ黒魔術師っ!」
 黒髪を振り乱しながら悪魔はリンへと飛び掛ってきた。鋭く尖った、殺傷能力を持つ爪が、リンの首に向かって振り下ろされる。そのスピードは普通の人間が到底防ぎきれるものではなかった。
 ――しかしリンは黒魔術師である。
 キィン! と金属をぶつけたような音を立て、魔方陣が攻撃を完璧に妨げた。
 悪魔は弾かれた手を握り締め、こちらをぽやんと見ている黒魔術師を忌々しそうに睨み付け――ていたかと思えば、一瞬後に下顎ががっくんという音を立ててみごと落下。
 絶句という言葉が相応しいほどの驚愕っぷり。
 長身の悪魔は高速で目をこすりながらリンを指差した。激しく動揺しているのか、その指もふるふると震えている。
「ま、まままっまぁ! まさかっ!」
 リンは無言で悪魔をまじまじと観察していたかと思うと、何を思ったのか魔方陣の中から手を伸ばし悪魔が突きつけていたひとさし指をぎゅっと握った。
「マスターっ!」
 魔方陣から出れば、いくらリンといえど攻撃を完璧に防ぎきる事はできない。ホンは何を考えているのだと、咎めるような声を上げた。
 すると感極まったように肩を震わせていた悪魔が、リンに飛びついた。
 ぎゅうぎゅうと無表情で抱きつぶされているリンにホンは目を剥く。
「リンちゃん! リンちゃんやないかー! えらいおおきぃなったなぁー! 俺がおらんと寂しかったやろー? やけど相変わらずコンパクトやなぁ! かわえぇ! たまらん可愛いわぁ!」
 むちゅうと頬に口付けまでかまそうとする悪魔の顔を掌で押さえつけて、リンは嫌そうに顔をゆがめながら言った。
「存在が暑苦しいから離れてくれる? ――ラフィちゃん」


 宝剣に封印されていた悪魔・ラフィレアードはセルゲイ師匠の使い魔だった――といっても、リンとホンのように(仮であるが)契約を結んでいるのではなく、セルゲイが一方的にラフィの名を奪い、縛り付けたあげく牛馬のごとくこき使っていたのだが。
 その当時、リンはまだ生まれたばかりの赤ん坊だった。
 セルゲイがラフィを召喚したのも赤ん坊の面倒を見るのが煩わしかったからであって、自動的にリンの面倒を見るのはラフィレアードの仕事になった。最初は悪魔である自分が人間の子供の世話をすることに抵抗もあったが、無邪気なリンの可愛らしさにラフィの父性本能も見事に開花し、結果、リンにはメロメロに甘い、立派な親馬鹿が誕生したわけである。

 その”親”は現在、滝のような涙を流して、この世の無常を嘆いている。

「長いあいだ会えへんかって、やっと再会できたのにっ。そ、それやのに『存在が暑苦しい』やてっ! ひ、ひどいわ、リンちゃん。俺のこと嫌いになったん?」
「嫌いになるも何も、好きなんていったっけ?」
「これが噂の反抗期ってやつかぁー!」
 ラフィはずびずびと鼻をすすった。リンはラフィの心の叫びもあっさりスルーでトントンと軽快な音をたてて薬草を刻んでいる。
「ところでラフィちゃん。なんであの中にいたの? 私、別のいけに――悪魔が閉じ込めらてるとばかり思ってたのに」
 リンは疑問に思っていたことをラフィにぶつけた。ただ単に泣き言も聞き飽きたから話を逸らしたかっただけかもしれない。良くぞ聞いてくれましたと、ラフィは拳を固めた。
「――あのサド魔術師以外にこんな酷い仕打ちするやつがおると思うんか? 閉じ込められたんや。ある日唐突に! しかも問答無用で!」
 答えは簡単に予想できていたらしくリンは重々しく頷いた。なんで助けてくれへんかったんと、少し拗ねたように言ったラフィにリンは思い出したように指をぴんと立てた。
「……あ、思い出した。ラフィちゃんがいなくなった日師匠が『奴はつがいになるロバの尻を追っかけまわしながら出て行った。万年発情期だからな』って言ってたから、私はてっきり、ラフィちゃんはロバと結婚したんだと思ってたんだわ」
「あんのどぐされ黒魔術師めがっ! リンちゃん! あの根性悪の言うことは一切耳に入れたらアカンで? 耳腐ってまうし! あぁ、ホンマにむかつくわぁ! ――って、今あれここにいんの?」
 ラフィは思い出したように全身を強張らすと、まるで野生動物が狩人を警戒しているかごとく周りを見渡した。リンはこともなげに肩をすくめてから、切っていた薬草を沸騰していた鍋の中にぶちこむ。
「ラフィちゃんが今、消し炭になってないのがなによりの答えだと思うけど」
「リンちゃん、ほんまに辛口になってしもたんやなぁ……。なりはこんなに可愛えぇままやのに!」
 抱きしめようとリンに向かってラフィは両手を広げた。うざったそうにリンは眉をひそめたが、拒否して泣かれると面倒くさいと思ったのか避けようともしない。しかしラフィがリンを腕に抱く前に、それは飛んできた電撃で遮られる。ラフィは間一髪というところで交わし、そして攻撃を仕掛けたリンの使い魔に見事なメンチを切った。
「ちょお、あんさんなんやの。さっきからけったいな殺気びんびん飛ばしてきてからに」
「……煩いんだけど」
 ホンはずうっとイライラしていた。マスターと自分の住居に我が物顔で居るのも気に食わないし、マスターに無駄に絡んでいるのも腹立たしい。たぶん本能的に相容れないタイプなのだろう。
「はぁ? 静かな所が好きなんやったら、どっか一人で別の場所いったらどうや? 俺とリンちゃんの感動の再会を邪魔するんやったら、ただじゃおかへんで?」
「ふぅん。一体、どうするつもりなのか聞かせてほしいね。身の程をわきまえたら?」
 鼻面をつき合わせながら、険悪な雰囲気を出しているホンとラフィを横目に、リンは薬草の入ったなべをかき混ぜている。
「リンちゃん、こいつなんやの?」
「アンタに名乗る名なんてないね」
「自分になんて話しかけてへんで。黙っとき」
 一種即発の空気のなか、リンはイタダキマス。と手を合わせてから薬草入りのスープを口へと運んだ。はふはふはふ。
 睨み合っていた二人の心のうちは、奇しくもぴたりと一致していた。
 ――こいつ気に入らない。


「リンちゃん! なんやあのドちびはっ!?」
「ラフィちゃん。その格好、ジプシーでも目指してるの?」
「そうそう、今の流行はヒッピー系って……違うわっ!」
 明らかに攻撃魔法で真っ黒焦げになったラフィをリンは無感動な目で一瞥する。その上「そのラフィちゃんのノリ突っ込み久しぶりだね」とずれた事を言い出した。それほどでもないでぇ、とラフィはでれでれになりながらも照れたが――リンに褒めたつもりはまったくない。
 はっと我に返ったラフィは、まるで烈火のごとく怒り出した。地団太を踏む様は三歳児のようだったが、片手間に聞いているリンは突っ込む事さえしない。せわしなく動く足のせいで埃が舞い上がって、リンの思考は(そろそろ掃除しなきゃなぁ、ラフィちゃんにやってもらおうか)などとまったく別のところを彷徨っていた。
「あのホンとかいうクソ鳥な! めっちゃくちゃ生意気やねんけど! せいぜい二百年とすこししか生きてへんくせして、俺のことを爺やて! ふざけんなや! 俺のどこが爺やねん! まだ三百と半分過ぎたぐらいのぴっちぴちやで! まったく最近のガキは年上を敬うって気がぜんぜんあらへん!」
 ふんふん、と頷きながらリンの意識は机の上の羊皮紙に注がれていた。どうやら新しく手に入れた剣を使って早速、錬金術を試してみようと思っているのだろう。
 ホンは見下したような目をしてラフィを鼻で笑い飛ばす。
「いやだな。自分の実力が明らかに劣っているって解ったから、今度は自分が年寄りだってことしか自慢できないわけ? それになんで僕がアンタを敬わなきゃいけないの? そういう台詞は尊敬に足るそれなりの実力を身につけてから言って欲しいね――ま、そんな日なんて永遠にこないけどね」
 止まり木の上でせせら笑うホンに、キィィ! とラフィはヒステリーを起こしている。ラフィも一応は上級魔族にギリギリひっかかるぐらいの実力は持っていたが、上級魔族の中で圧倒的な力を持つホンには到底叶わなかったようである。
「リンちゃぁん……。傷心の俺を慰めてぇや」
 ラフィはカリカリと羽ペンとコンパスを動かしているリンの背中にべったりと張り付いた。リンといえば作業のほうに夢中でラフィのことは空気のように扱っている。もはやどちらが親なのかわからない。そんな光景に不機嫌になったのはホンである。眉間にはこれ以上ないというほどの深い皺が刻まれた。
「……これ以上、マスターの邪魔をするようなら容赦しないから」
 ホンの押し殺したような声に、ラフィはははぁん、と得心したように鼻を鳴らした。そして、すぐに底意地の悪い表情を浮かべ、猫なで声でリンに話しかける。
「リンちゃん、なんか食べたいものないん? ラフィちゃんがなんでもつくったるで?」
「手が離せないからいい。いらない」
 ラフィのほうを見ようともせずリンは突き放した。それにへこみそうになりながらも、ラフィは諦めずに食い下がる。
「甘ぁいハッカのプディングとかどうや? リンちゃん好きやったやろ? それかふわふわのキロキロ鳥のオムレツとかも今が旬やで? ほらほら、お腹すいてきたやろ!」
 リンは動かしていた羽ペンを休ませ、少しの間逡巡していたようだった。頭の中ではおそらく食べ物がぐるぐると回っている事だろう。そしてリンはラフィのほうを振り向くと、めったにみせない笑顔でお礼を言った。
「うん。食べたい。ありがとう」
「ラフィちゃんにまかしときっっっ! 美味いもんつくったるしなっっ!」
 ふるふるとリンの可愛さに打ち震えていたラフィは張り切って腕まくりをする。そして怪訝そうに見ていたホンに気づくと勝ち誇った顔で鼻を鳴らした。そしてみるまに黒い鷹に姿をかえると、材料調達のためか外へと消えていく。
 残されたのはリンとホン。
 相変わらず研究に没頭しているリンにホンは耐え切れずにいった。
「マスター、あいつ殺していい?」
「ん、駄目。美味しいご飯食べれなくなっちゃうでしょ」
 ホンの物騒な台詞にリンはラフィが聞いたらむせび泣きしそうな理由をあげる。ホンは舌打ちをしてからイライラとした様子で嘴を鳴らした。


 それからというもの事あるごとに、ラフィはリンのご機嫌を取ろうと腐心した。リンは相変わらず淡白だったが、それでもラフィの言葉に甘える事は厭わない。そして、その度にラフィはリンとの仲を見せ付けるようにするのがホンには非常に不快だった。


 その日、リンは舞い込んできた依頼をこなすべく、机に噛り付いていた。広げられた羊皮紙の上には難解な数式が並び、古代の文字が列を成す。ラフィはどこから用意したのか、東洋の白い頭巾と前掛けを身につけ掃除に精を出していた。所帯臭いがそれが涼しげな青年に似合ってしまうところが謎である。パタパタと木に羽が括りつけてあるものでラフィは天井の蜘蛛の巣を取っていた。ホンは定位置である止まり木の上でその様子をイライラしながら見ている。そして、天井から落ちてきた蜘蛛の巣がご自慢の羽にくっついた時、ホンはラフィに喧嘩を売った。
「――蜘蛛の巣が落ちてきたんだけど」
「ああ、それは悪うございましたなぁ。どっかの使い魔は掃除もできひんみたいやから、蜘蛛も喜んで巣を張るっちゅう話や」
 受けて立つとばかりにラフィは嫌らしい口調で言い返した。こういった言い合いは日常茶飯事になっていた。リンは作業に没頭していて顔も上げない。
「使い魔がアンタみたいにへこへこして媚を売るものだとは知らなかったよ。はっ、安いプライドだね」
「……なんやて」
 鬱憤が溜まっていたホンの鋭い言葉はラフィの表情から笑みを消す。しかし、ここでどんぱちはじめるには分が悪いと思ってか、ラフィは馬鹿にするような笑みを貼り付けた。
「主人を喜ばせる事も出来ひん使い魔に何を言われても痛とうも無いわ。役立たずの使い魔やて指摘されてむきになるのは餓鬼の証拠やな。――いっちょまえにヤキモチ焼いてんなや、ガキンチョが」
「……もう一度、言ってみなよ。生まれてきた事を後悔させてあげるから」
 ドスのきいた低い声でホンは唸った。怒気がオーラのよう体から発散され、もはやホンは爆発寸前だった。しかし、コテンパンにされると解っていても、ラフィの口は止まらなかった。
 たとえやられるとしても、言いたい事を言ってから。それはセルゲイに虐げられていた時からのラフィのポリシーである。

「お望みとあらば何度でも言ったるわ! ガ キ ン チ ョ !」

 そう言葉を発した刹那、凄まじい勢いで魔力がラフィを襲った。しかしそれをラフィはすんでのところでかわす。その動きを読んでいたのだろう、ホンはラフィの目を狙い滑空した。ラフィは焦って体を捻ったが、避けきれずに頬には赤い筋が入った。倒れこむようにしながらもラフィはホンの死角から炎の玉を投げつける。それは絶妙な攻撃であった。勢いを持ったそれはホンを完璧に捕らえたのである。
 やったか!
 思わずラフィは拳を握ったが、ホンを飲み込んでいた炎は唐突に消え失せた。驚きに目を見張るが、次の瞬間ラフィは正面から吹き飛ばされていた。無様に顔面から突っ込んだラフィは机の上に痛む体を横たえる。
「――さぁ、覚悟しなよ。クソジジイ」
 怒りで我を忘れたホンの瞳は残虐性を帯び、赤く爛々と輝いている。
 やばい煽りすぎた。ホンマに殺られるかもしれへん、と顔をしかめているラフィに、ホンは止めを刺すため魔力で具現化した槍を投げつけた。
 それを阻んだのはラフィとは別の魔力である。
「マスターっ!? なんで止めるのさっ?」
 ホンはそう非難の声を上げたが、自分を庇ってくれたと感激したラフィはリンに飛びつこうとした。しかし、ぼそりと呟いたリンの前にラフィは芋虫のような恰好で崩れ落ちる。
「いだっだだだだ!」
 それはリンの師であるセルゲイがラフィの体の自由を奪う時に好んで使った緊縛呪文であった。絡みつく茨の棘が突き刺さり非常に痛い魔術である。俯いていたリンはクシャクシャになった羊皮紙を前に、壮絶な笑みを浮かべた。

「二人とも邪魔。それ以上、ここで揉めるってんなら――埋めるわよ?」

 その時、彼女の笑顔は恐ろしいほど師に酷似していた、とはラフィレアード談である。



 小屋の外では体育座りをしながら、ラフィがくすんくすんと捨てられた子犬のように鼻をすすっている。それにホンはうざったそうな目を向けた。
「ひっく、リンちゃんがあの腐れ魔術師みたいになってしもたっ。ひっっく。あんなにかわええ子やったのに。俺はどこで育て方を」
「煩いよ」
 半分はラフィのせいだったとしても、ホンはリンの仕事を邪魔してしまった事に落ち込んでいた。その上、延々と泣き言まで聞かされたら気が滅入ってしょうがない。ラフィはキッッと親の敵を見るかのようにホンを睨んだ。
「お前にぐれた子を持つ親の気持ちがわかるんか? わからへんやろ? わかってたまるか! 遠い日のいたいけなリンちゃぁぁん! カムバァァァァック!」
 夕日に向かって叫ぶラフィは果てしなく鬱陶しい。ホンは黙らせる事を早々に諦めた。
「――ほんっとうにマスターの事が好きなんだね」
「今更な事いいなや! 俺のリンちゃんに対する愛はアカリア海峡より深いって評判なんやで!」
 どこで評判なのさ、という突っ込みは入れない事にする。ホンも段々とラフィの扱いを心得てきたようである。呆れたようなため息をつきながら、ホンは口を開く。
「ねぇ、これまでの事は水に流すことにしない?」
「へぇ、生意気なガキンチョがどういった心境の変化や?」
 ラフィの挑発にむっとしながらも、ホンは怒鳴りだしそうになるのを抑えた。
「これ以上、マスターの邪魔になるのは、僕も本意じゃないから」
 そっぽを向きながらもそう言ったホンに、ラフィは少し驚いたようだった。まじまじとホンを見ながら感心したように顎に手をやる。
「ほほー、俺が想像してたよりもリンちゃん思いの使い魔やったんやな自分」
「――売られた喧嘩は買うよ?」
 ホンが声を尖らせれば、ラフィは耐え切れずといった風に破顔する。泣いたり笑ったりと忙しい男である。
「あはは、ホンマに血の気多いなぁ。ええわ。俺も餓鬼みたいむきになってた事は認める。堪忍な?」
 嫌にあっさりと自分の非を認めたラフィだが、元々、からっとした気質の悪魔なのだろう。そうなると謝らなかった自分が余計に子供に思えてきて、ホンは気まずさの裏返しでぶすくれた。
「そうやなぁ、仲直りの記念として二人で『リンちゃん大好きの会』でも結成しよか?」
「なんでそうなるの」
 リンちゃん友の会でもええで〜! と叫んでいるラフィをあしらっていると、小屋の扉が開いてリンが姿を見せた。
 ラフィとホンが駄目にした仕事が終わったのだろうか、リンは妙にすっきりした顔をして背伸びをしている。そして怒られるのではないかとびくついていたラフィに目を留めた。リンはラフィに近寄ると、その黒々とした瞳でラフィレアードを見上げる。
「ラフィちゃん」
「なっ、なんや?」
 そこで言葉を切ってから、リンはラフィの纏っていた服をちょいと掴み、にっこりと笑った。
「私ね――ケサランパサランが食べたい」
「ケサランパサラン、っていうとあの、幻の?」
「うん、ケサランパサラン。食べたいなぁ。ケサランパサラン」
 問答無用な言い切りだったが、ラフィにはそれが可愛いお願いとして聞こえていたらしい。ラフィは胸を膨らませるとどーんと叩いた。
「ラフィちゃんにまかせときっっ! リンちゃんのためにケサランパサランでもまっくろくろすけでも生け捕りにしたるからなぁ!」
 ぐん、風を巻き起こし、ラフィは飛び出していった。その素早さにホンは舌を巻く。ラフィの影を見送ってから、リンはホンのほうを振り返った。ラフィに向けていた笑顔は取っ払われており、いつもの無愛想なリンである。ホンは柄にも無く緊張した。
「ホン、おいで」
 自分にも伸ばされた手にホンは酷く安堵してしまった。しかし、それを悟られるのが悔しくてわざとリンの肩に舞い降りる時に爪を食い込ませた。
「痛い」
 リンは文句を言ったが、それは苦笑混じりで、自分の胸のうちまで見透かされているかと思うと腹が立つ。
「……仕事終わったの?」
「うん、誰かさんたちに邪魔されたおかげで時間はかかったんだけど」
 ちくり、とやられたのがむかついたから、ホンは羽でリンの頬を軽くぶった。しかし、一応は悪いと思っていたから謝ってあげることにする。
「悪かったよ」
「頬っぺた叩きながらじゃ説得力ないでしょ?」
 リンはホンを肩に乗せたまま扉をくぐった。部屋の中は酷い惨状で、間違いなく先ほどの喧嘩が原因だろう。きっちりと書き上げられた羊皮紙だけが机の上に鎮座していた。
「はぁ、片付けるのが億劫だね。ラフィちゃんに頼めばよかった」
 失念していたとリンが呟いた。リン同様に家事能力が皆無なホンは「帰ってきてから頼めば?」と無責任な事を言う。
「あー、無理無理。だってそう簡単には帰ってこないもん」
「どういう意味?」
 投げやりに首を振ったリンに嫌な予感を覚えながら、ホンが問いただすと、リンは少し返事を渋っていたがようやく観念したらしい。
「ケサランパサランって幻の生物なのよ。まぼろし。わかる?」
「つまり」
 ごくりと言葉を噛み締めるようにして、自分想像が外れている事を願いながらもホンは口を開く。
「いるかどうかも解らない生物が食べたいと言って――体よくアイツを追い払った、ってわけ?」
「おおっと、流石の慧眼! ホンってば冴えてる!」
 ぴんぽんぴんぽーん! と調子外れた声でリンはそれを肯定した。
 あまりにも酷すぎる。
 そのうち諦めて帰って来るでしょ、と楽観視するリンを前にホンは愕然とした。ぐれた子供を持った親の気持ちが解らないが、ぐれた子供に翻弄されている親を哀れに思う気持ちが今なら痛いほど解る。
 ラフィが早く真相に気づいてくれることをホンはただひたすらに祈るのみである。