※ 当作品は頂いた作品のスピンオフです。そちらをお読み頂ければよりいっそう楽しめると思います。(新窓)
五話 / 転校生あらわる
「っっあにうえっっっ!!!!!」
叫び声をあげながら飛び起きたルーファウスの目に、以前の自室とは比べ物にならないくらい狭く小さな部屋が飛び込んできた。ルーファウスは額に張り付いた銀糸を汗とともにぬぐい、震える腕に視線を落とす。そこに兄の亡骸は存在していなかった。
再会するまで何度、兄は私の腕の中で死んだのだろう? ――何度、私は兄上を見殺しにした?
ベリアルを失ってからのルーファウスは生きる屍も同然だった。孤独な時をただ無為に、漫然と刻み、発狂すれすれの神経をもてあましながらも、落ち窪んだ赤の双眸で死の深淵をのぞきこむ。それでもルーファウスが呼吸を止めてしまわなかったのは「どんな事をしてでも兄を見つけ出す」という頑なで絶対的な意志があったからだ。
ようやく見つけた兄は以前の強大な力を見る影もなく無くし、父の呪いどおり、脆弱な生物へと転生していた。おおよその場所は見当がついていたが、それでも見つけられたのは幸運としか言いようが無い。本当に微弱なものだったが、確かにその生物からは兄の匂いがしたのだ。
その時の歓喜といったら到底、言葉に言い尽くせるわけがない。
転生した兄は記憶をなくしており、予想はしていたことだったが、ルーファウスにはそれが堪えた――しかし、それもしばらくの辛抱である。
ルーファウスはいそいそと身支度を整えると、部屋を後にし、いの一番に兄の部屋の扉の前に立つ。その挙動不審ぶりは待ち伏せするストーカーに酷似していたが、ルーファウスにとっては一日の初めに兄上を讃える神聖かつ荘厳な儀式のひとつ――つまり朝の挨拶なのだ。
ルーファウスの一日は兄上に始まり、兄上に終わる。
それが、兄・ベリアルが魔界に生きていた時のルーファウスの習慣だった。勿論、毎回、半殺しにされるぐらい鬱陶しがられていたのは言うに及ばない。
「あっ、兄上、ご機嫌麗しゅうございます! こうして再び兄上に朝の御挨拶が叶いましたこと、身に余る光栄でございます! もっ、もしそのご尊顔を拝見できますれば……あっ、それともその麗しき唇で私の名前を紡いで頂けるのならば、私、ルーファウスは兄上のため死さえも恐れはしないでしょう! あ、 あにうえ、あにうえ、おはようございます!! あにうえ!」
緊張して声がひっくりかえったルーファウスは二、三回深呼吸をしてから遠慮がちに扉をノックした。以前なら、兄の愛の衝撃派が腕の一本、景気がいいときは二本ぐらいは奪う勢いで襲ってきているところだったが、一向にその気配も無い――はて、転生されて兄上の体質は変わられたのだろうか?
そんなことを思いながら様子を伺うが、部屋の中はしんと静まり返っている。
「兄上? いらっしゃらないのですか?」
徐々に心配になってきたルーファウスはドアノブに手をやったが、そこには鍵がかかっていた。ルーファウスの不安指数はゲージを突き破る勢いで上昇する。
兄上がいらっしゃらない! どこかに行ってしまわれたのだろうか? わ、私に何も言わずにっっ! また私は置いていかれるのか!? 折角再会したのに! 嫌だ! もう二度と置いて行かないで下さいっっっ! あにうぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
ルーファウスが狂ったように回していたドアノブはすさまじい音を立ててもげた。
それでも侵入を阻むドアに恐慌状態に陥ったルーファウスは扉を勢い任せにぶちやぶる。警察の突入シーンよろしくこじ開けられた部屋の中には愛しの兄の姿は無かった。絶望の余り、手に持っていたドアノブを剛速球で投げ飛ばせば窓ガラスは陽光の中に輝きを放ちながら砕け散る。ぶち破った扉の上に崩れ落ち、お姫様座りでさめざめと涙を流していたルーファウスの耳に軽快な足音が聞こえてきた。千夜理の母、理子である。
「あらあら、ルーちゃん、おきたの? おねぼうさんね」
半壊した部屋に眼を丸くしながらも理子はルーファウスにのんびりと声をかけた。発見したのが兄だったならば、うぜぇ、と蹴りで延髄を断絶しにかかってくださったところなのに、ルーファウスは兄を想ってさらに涙ぐむ。
「母上っ! 兄上がっ、兄上がいらっしゃらないんです!」
悲壮感どころか今にも自殺しそうな勢いでルーファウスが詰め寄れば、理子はころころと鈴を転がしたよな笑い声をあげた。
「あらいやだ。ルーちゃん、まだ寝ぼけてるのかしら。千夜理は学校よ」
「ガッコウ?」
その生まれて初めて聞く単語に、ルーファウスは首を傾げ、その意味を理子に問うたのである。
「おはよ! 美弥っ!」
大崎美弥(おおさき みや)は自分を呼ぶ声に顔を上げた。
教室に飛びこんできたのは千夜理だ。ばっさばさ髪をふりみだしている親友に、美弥は思わず苦笑した。
この高校に入ってから友達になった千夜理は負けん気も強く、自己主張も激しいタイプで、それなりに明るいけれど人見知りもする美弥とは共通点も少なかった。それでも一緒にいる時間が長かったのは、なんとなく馬があったからだろう。美弥もチョコという犬を飼っていてることから、千夜理が飼っているチロルと合わせて、チロルチョコだね、と笑いあっていたのは記憶に新しい。
「おはよう。ちーちゃん! 今日はぎりぎりだね!」
「聞いてくれる美弥? 昨日は最低最悪の厄日だったの!」
返事をすれば、千夜理は自分の席に倒れこむように座り、不機嫌そうに口を尖らせる。そして、よくぞ聞いてくれました! とばかりに美弥に向かってすごい勢いで愚痴りだしたのだ。その言葉の奔流に眼を回しながらも聞き取れた言葉は、兄上、魔族、変態、催眠術、マゾ、ドメスティックバイオレンス。えとせとらえとせとら。
美弥の頭の中では、クエスチョンマークがタップダンスを踊っていたが、それでも吐き出せたことに満足したのか、千夜理はいくらかすっとしたような顔をしている。親友の心が少しでも軽くなったのだったらよかった事にしよう、と美弥は他称・癒し系の笑顔をにっこりと浮かべた。
「大崎ぃーっ! お前、今日の英語の訳やってきた?」
唐突にかかった声に美弥はの肩はびくりと揺れる。顔を上げれば声をかけてきた同じクラスの三宅琢也(みやけ たくや)の姿が目に入った。美弥はなんでもない振りをして、お早うと笑顔を返したが、千夜理の眉間にはぎゅっと皺が寄る。
「三宅ぇ。あんた、私らに朝の挨拶も無しなわけ?」
「何だよ、金城。朝っぱらから機嫌わりぃな」
明らかに不機嫌そうな千夜理に琢也はひるんだが、千夜理はさらに剣呑な視線で琢也をねめつける。
「挨、拶、は?」
「おはようございますっ、金城様に大崎様っ! ったくこれでいいのかよ」
「ちーちゃん」
美弥が声をかけると、ふんと鼻を鳴らして千夜理はそっぽを向いた。琢也はなんだよ感じわりぃなぁと千夜理を睨んでいたが、美弥が用件を聞けば急に焦りだす。
「俺さ今日、英語当たるんだよ! 大崎、英語得意だろ? 訳見せて!」
「却下!」
またもやぴしゃりと遮ったのは千夜理である。吃驚している美弥にお構いなしに、千夜理は琢也を半眼で見返しながら片頬を上げた。
「なんで美弥がかさなきゃいけないのよ。自力でやればいいじゃない」
「ぐっ……お前だっていっつも借りてるだろっ?」
「へっ、残念でした。私は美弥の親友だからいいの。その代わり数学のノートは見せてるからギブアンドテイクが成立するわけ――ギブアンドテイク、三宅にはわかんないか」
「それぐらいわかるっつーのっ! 馬鹿にすんなよなっ!」
一瞬即発で睨みあう二人に美弥は肩を落とす。千夜理がなぜこんなにも琢也につっかかるのか原因は明らかだった。しかし琢也にそれが解るはずもないのだから、千夜理の態度をさぞ理不尽に感じていることだろう。
「あのねっ! 三宅くん、私、英語のノート貸せないっ!」
まさか断られるとは思ってなかったのか琢也は驚いたようだった。琢也が英語のノートを借りに来るのは稀なことではなく、これまでも請われるまま貸していたのは美弥だったからだ。
「ほらぁー、どうせなら”彼女”に借りたら? 葉山さんも英語得意でしょ! ねっ?」
みるみる真っ赤になって口篭る琢也に、美弥は少しだけちくりとする胸の痛みを誤魔化した。唸りながら教室を出て行く琢也を見送ってから、美弥はひとつため息を零す。恐らく琢也は美弥に諭されたとおり、彼女である葉山にノートを借りに言ったのだろう。
美弥は入学してすぐの頃から琢也の事が好きだった。クラスのムードメーカーであった琢也は、千夜理からはただのお調子者という評価を受けていたが、美弥にとっては明るくて誰よりも一番魅力的な男の子だったのだ。
初めは友達からだんだんと仲良くなっていこうと努力した結果が「恋の相談役」という最悪のパターン。結果、琢也は思い人葉山と付き合うようになり、美弥の温めてきた想いは陽の目を受けることなく、今でも心の片隅でじくじくと膿んでいる。しかしそれは段々と時を隔てれば鈍くなっていく痛みだ――そう、直ぐに忘れてしまうことが出来るものなのだと、自分に言い聞かせながら、美弥は千夜理に笑いかけた。
「ちーちゃんもほら、座ったほうが良いよっ! 先生来ちゃうから!」
どこか納得していないような様子だったが、美弥の言ったとおり教師の小川修(おがわしゅう 通称・オギー)が姿を現すと、千夜理は渋々と席に付いた。
「うーっす。みんなおはようさん。じゃあ出席をとる――前に金城、保健室にアレ、迎えに行って来い」
「また倒れたんですか。ったく」
千夜理はやれやれと首を振ると椅子を鳴らしながら立ち上がった。頼むぞぉ、と軽い口調で手を振る小川に頷き千夜理は廊下に消えていく。このクラスになって何度繰り返された光景か美弥は頭の中で指を折ってみたが、恐らく両手両足だけじゃ足りないのは確実だった。アレと呼ばれるその人物が、美弥は少しだけ苦手だった。別に嫌うほど良く知っているわけではないが、彼の何を考えているのかわらかないところは今でも少し怖い。千夜理の幼馴染でなければ、傍による機会さえなかっただろう。
小川が出席簿を手に取ったとき、ふいに教室前方の扉ががらりと音を立てて開いた。そこに立っているのは学年主任である先生と一人の男の子だった。一言二言、小川は言葉を交わしてから、美弥たちのほうに向き直る。
「あぁーえらく突然だがな。転校生がいる」
歯切れの悪い小川の言葉に、驚きと期待を半分づつ混ぜ込んだざわめきがクラス中に広がる。
「喜べ女子、そして嘆くなよ男子共。新しいクラスメイトの――ルーファウス君だ」
その瞬間、何人の女子生徒が眼を奪われたのだろうか。すらりとした体躯に、透き通るような白い肌。まっすぐで銀色の糸の様に華奢な髪。彫りの深い顔立ちに埋め込まれている眼はまるで血を流し込み凍らせたかのように紅く、冷たい光を放っている。人とは思えぬ美貌だった。周りのもの総てを拒絶するような雰囲気は、いやにその人物に似合っている。
その少年は、息を詰めているクラスを見回すと、第一声に凍てついた声でこう言った。
「兄上はどこだ、隠し立てすると貴様らの命は無いと思え」
クラスメイト全体をドン引きさせたこの少年の言う"兄上"がまさか親友を指しているとは美弥は露にも思わなかった。その阿鼻叫喚のセカンドインプレッションはもう少し後のこと。
表紙 次項
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